3. 小学校編:英里
『田木幼稚園』を卒園した子どもたちは、そのまま園の目と鼻の先にある『田木小学校』へ進む。
校門前には大きなイチョウの樹がそびえ立ち、シンボルツリーとして登下校する生徒たちを見守っていた。
「いってきまーす」
2000年、小学4年生の私は赤いランドセルを背負い、横にリコーダーを挿し、金具のフックには洗いたての給食袋をぶら下げて家を出た。
「あら、英里ちゃんおはよう!」
顔を上げると、両手に大きな南瓜を抱えた叔母さんが立っていた。畑を持っている叔母は、収穫した野菜をよく我が家に届けてくれる。
「おはようございます」
挨拶を返すと、叔母はいつもの言葉を口にする。
「大っきくなったねぇ!」
会うたびにそう言うので、私はどう返していいか分からず曖昧に笑うばかりだった。奥から母が出てきて叔母と世間話を始めるのを横目に、私は玄関を後にした。
集団登校で学校に到着し、『4年1組』の教室に入る。中では友達同士でお喋りしたり、後ろの席でじゃれ合ったりと、皆それぞれに楽しそうだ。
「エリちゃん!おは!」
「エーちゃん!おはー!」
木村栄子──通称エーちゃんは、私を見るなり駆け寄ってきた。
幼稚園の頃から可愛かったけれど、この頃には目鼻立ちもくっきりとして、手足もすらり。まるでピーチやレモンみたいな名前のファッション誌に出てくるモデルみたいに見えた。
私は席に着くと、ランドセルから白い垂れ耳犬のメモ用紙と、赤いリボンをつけたネコのラメシールを取り出す。
「エーちゃん、交換しよ!」
「うん!わぁ、かわいい!」
目をキラキラさせてシールを見つめるエーちゃん。私は得意げに説明した。
「このシールね、擦ってみて」
「え、なになに?」
エーちゃんは指でシールをこすると──私は鼻をつついて合図する。
「指、匂ってみて!」
「……え!リンゴの匂いだ!」
その反応に他の女子たちも「なになに?」と集まり、次々と嗅がせてほしいとせがみだした。あっという間にメモやシールの交換会が始まり、教室の一角は小さな市場のように賑やかになる。
「ありがとエリちゃん!これあげる!あとコレ書いてね!」
エーちゃんからはぷっくりシールと、カラフルなプロフィール用紙を渡された。名前や住所、趣味や恋愛事情まで書き込むそれは、女子同士の大切なコミュニケーションツール。貰った瞬間、「友達」として認められた気がして嬉しかった。
授業中。プリントを解きながら、缶ペンケースから消しゴムを取り出して文字を消していると──折り畳まれたメモが横から飛んできた。
視線を向けると、エーちゃんがいたずらっぽく笑っている。広げてみると、ラメペンで描かれた猫のイラスト。「イエーイ!」と吹き出しが添えられていた。
内容はほとんどない。けれど、私は笑いを堪えて肩を震わせる。クラスのあちこちでも、先生の目を盗んでメモ回しが行われていた。
そこに意味なんてなくても、ただ「楽しい」というだけで十分だった。
昼休み。エーちゃんと私、そして数人の女子は体育館裏に集まっていた。こっそり持ってきた雑誌や漫画を見せ合うのが、最近のお決まりだった。
エーちゃんはファッション誌を広げる。表紙にはアイドルグループが肩を組み、「秋ブランド新作コーデ」と書かれている。
「ナナちゃんの髪型真似したい」
「このメイク可愛い!」
ページをめくりながら目を輝かせるエーちゃん。私は──心は動かなかった。
「かわいいね!」
馬鹿正直に「興味ない」とは言えない。だから笑顔で頷き、肯定の言葉を口にする。けれど、キラキラした服も、流行のメイクも、私には別世界のものに思えた。
「今月号の新連載おもしろかったよ!絵がすごい可愛いの」
私は少女漫画雑誌を差し出す。皆で回し読みして、キスシーンに黄色い声を上げたり、付録のシールを分け合ったり──そんな時間は確かに楽しかった。
けれど、本当は。私はお兄ちゃんの部屋にある少年漫画に夢中になりつつあった。
「モンスターを育てるゲームがあってね、めっちゃ面白いけん!」
「魔法使いの男の子が魔法学校に行く話なんだよ!」
夢中で説明した。自分の好きなものをエーちゃんにも知ってほしかった。共有できると思い込んでいた。
だが、返ってきたのは──
「へー」とか「ふーん」
それだけ。否定ではないけれど、薄い反応。
その瞬間、胸の奥に小さな違和感が芽生えた。
2002年。私は小学6年生になった。
そして、エーちゃんとはクラスが分かれた。
最初は一緒に悲しんで、「昼休みは毎日遊ぼうね!」と口約束を交わした。
けれど半月もすれば、その約束は自然と消えていった。
エーちゃんのクラスには、瑠美という気の強い、お洒落な女子がいた。次第にエーちゃんはそのグループと行動を共にするようになる。
ある朝、花のような香りが漂っていて見ると、廊下でエーちゃんを見つけた。
「お、おはよう!」
勇気を出して声をかける。エーちゃんは一瞬だけ目を丸くして、笑顔を返してくれた。
「おはよ!」
ほっと胸を撫で下ろしたその時──
「エーちゃーん!」
教室から瑠美が呼ぶ声。
エーちゃんはそちらを振り向き、ためらいなく教室へ入っていった。
残された私は、胸の奥に鉛を落とされたように、重苦しい悲しさを抱えた。
(オシャレに興味を持てなかったのがいけなかったのかな……)
(エーちゃんに嫌われたのかな)
そんな思いを抱えながらも、私は好きなものをやめられなかった。
兄の本棚からこっそり持ち出したバスケ漫画を、ベッドに寝転んで読み耽る。
――ガチャッ、バンッ。
ノックもなしにドアが開いた。
入ってきたのは、四つ上の兄だった。
「うわ、ノックしてよ」
「うわ、じゃねーよ!お前こそ俺の部屋に勝手に入って漫画持ってくな!」
兄は私の手から漫画を取り上げると、じろじろと顔を見てきた。
その視線に、嫌な予感しか走らない。
「お前、もうすぐ中学なんだからさ、少しはオシャレくらいしないやァ。はぁ……だっせぇ奴が俺の妹とかマジで恥ずいわ」
頭に一気に血が上った。
(よく言うよ……)
兄は私そっくりの重い一重で、地味な顔立ちだ。サッカー部の補欠のくせに、安物の毛染めで野猿みたいな茶色にして。
焼けた肌も相まって大きなゴボウにしか見えない外見で、よくもまあ人の容姿を偉そうに語れるなと思った。
兄が部屋を出ていったあと、私は残った汗臭い匂いを消すために、消臭スプレーを部屋中に撒いた。
そして机の上に置いてあった手鏡を手に取り、自分の顔を映す。
太い眉。
癖が強く、量ばかり多い髪。
重たく沈んだ一重の目。
雑誌に載っているモデルや、エーちゃんの顔とは真逆の外見だった。
(……私がダサいから、エーちゃん、恥ずかしくなったのかな)
そんな思いが胸に広がったとき、ふと以前のことを思い出す。
クラスの男子たちがコッソリやっていた、くだらない遊び。女子をランキング形式で格付けする、下世話なあれだ。
「性格が悪そうランキング」
「彼女にしたいランキング」
――そして、私が選ばれたのは。
『暗そうランキング・1位』。
心のどこかで「やっぱり」と納得してしまった自分がいた。
だって私は、どう頑張っても明るく振る舞うことなんてできないから。
一方でエーちゃんは――
『美人ランキング・1位』。
この差は、天と地の差どころじゃなかった。
美人のエーちゃんと一緒にいることが、誰かにとって「不釣り合い」に見えるのは当然だったのかもしれない。
ランキングを作った男子に堂々と意見できるほど、エーちゃんは可愛くて、強くて、カッコよかった。
だから、こうなってしまったのも仕方がないんだと自分に言い聞かせる。
私は手鏡を机の下に伏せて置き、ほんの少しだけ涙を流した。




