表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/13

12. 社会人編:英里


ローカル線がゆっくりと減速し、『田木駅』に到着した。扉が開くと、帰宅途中のサラリーマンや学生たちが次々と降りていく。

私もその流れに混ざってホームへ降り立った。

久々に見る田木駅は、いつの間にか塗装が新しくなっていた。アイボリーの壁が夕陽を受けて、ほんのりと金色に染まっている。


「……ついにこの駅にも出来たか」


改札を抜けると、構内に海外チェーンのコーヒースタンドが出来ていた。ステンレスのカウンター、外国語で書かれた看板。

この小さな町には少し似合わないほど洒落ている。

私は喉が渇いたので、女子高生たちの後ろに並び、アイスコーヒーを頼んだ。

店内の奥からは、母親たちの笑い声が聞こえてくる。ブランド物のバッグを膝に置きながら、子どもを叱っている声。


「こらっ、お友達には優しくしなさい!」


そのすぐ後に、別の母親へと話題を切り替える。


「だからさぁ……中村さんって育ちがアレだから、息子さんも乱暴なのよねー」


「瑠香ちゃんママ、わかるわぁ、ほんと迷惑よねぇ」


品のある口調のまま、他人を刺すような言葉を吐く。その手はブランドバッグをやさしく撫でている。


(……子どもはちゃんと見てるぞ)


私は受け取ったアイスコーヒーを片手に、早々に店を出た。口に含むと、冷たさが喉を滑り落ちていく。少し苦い。でも、妙に懐かしい味がした。


駅前の風景も、変わっていた。

田んぼだった場所には新築の家が立ち並び、

畑は駐車場に変わっている。田木幼稚園の横の畑も、持ち主が高齢になって売ってしまったと聞いていた。

かつて見慣れた緑は、すっかり形を変えてしまった。


「パパぁー!」


小さな声に振り向くと、四歳くらいの女の子がサラリーマン風の男性に駆け寄っていく。

その後ろには、若い奥さんらしき人の姿。


(……あれ? あの人、小野田くん?)


同級生だった小野田くんが、柔らかな笑みで娘を抱き上げていた。頭髪が薄暗くなっている。その光景に時間の経過を感じる。


「さて、私も行きますか」


スマホを取り出し、『いま田木駅に到着!もうすぐ着くよ〜』とメッセージを送る。

数秒後、“既読”の表示。そして赤いリボンをつけた猫キャラクターのスタンプが、「は〜い」と笑顔を返してきた。


夕焼け色に染まる通りを抜けると、藍色の暖簾と赤提灯が目に入る。


『きむら亭』――。


(……変わってない)


私は目を細め、その懐かしい店構えを見上げてから暖簾をくぐった。


「いらっしゃ……あっ、エリちゃん!!!」


テーブルに小皿を運んでいた女性が、私を見るなり声を弾ませて駆け寄ってくる。


「エーちゃん……久しぶり!」


1年ぶりの再会。

エーちゃんは相変わらずの美人で、輝くように笑っていた。

地元のローカル番組で紹介されて以来、“美人すぎる店主”として話題になり『きむら亭』は密かな人気店になったと聞いていた。


「あらまぁ、小林さんちの英里ちゃんじゃないの!大人になったねぇ」


カウンターの奥から出てきたのは、エーちゃんのお母さん。少し白髪が増えたけれど、相変わらずサッパリとした美人だった。


「お久しぶりです。……あの、これお土産です」


私は包みを差し出す。


懐かしい香りが、ふっと鼻先をかすめた。

――帰ってきたんだな、私。


「ありがとうねぇ、英里ちゃん……栄子ー! あんた英里ちゃんにビール出しないや、ビール!」


「もー、出してるよ!エリちゃん、お酌するね♡」


カウンターの向こうで、エーちゃんがキンキンに冷えたジョッキを置き、瓶ビールをトトトッと注ぐ。泡がふわりと立ち上がる。その横には、揚げたての野菜の天ぷらまで並んでいた。


「最っ高なんだけど!」



瓶を片手にニコニコ微笑むエーちゃんは、店の壁に貼られたビールグラスを掲げるグラビアアイドルよりも、ずっと輝いている。


(おいおい、こりゃ天国ですな……)


「エーちゃんも飲もうよ!」


「え? じゃあ少しだけ!」


そう言ってエーちゃんはカウンターの奥から、小さめのグラスを取り出した。

私がそこにビールを注ぐと、ふたりで軽くグラスを合わせる。


――カチン。


泡のはじける音とともに、夜の空気が少し甘くなる。


「はー、おいし……って、エリちゃん早ッ?!」


「へへへ……ザルなもんで」


私はもうジョッキを空にしていた。

酒に強くないエーちゃんは、ぽかんとした顔でジョッキを見つめる。


「体に気をつけてよ〜、エリちゃん。なんか少し痩せたし……ご飯、ちゃんと食べてる?」


「あー……まぁ、食べてるよ。カップ麺とか」


その瞬間、エーちゃんの眉がピクリと動く。

カウンターの奥から、野菜スティックを取り出し、私の前にどんと置いた。


「もう! ダメっ! ちゃんと野菜も食べて!」


ぷくっと頬を膨らませて叱るその姿が可愛くて、つい笑ってしまう。


「あ〜、なんかイイ……もう一回言って♪」


「もーっ、ふざけないの!」


腰に手を当てて怒るエーちゃん。

そのやり取りに、カウンター奥のお母さんが声を立てて笑った。


「ほんと仲いいねぇ。栄子、あんたもう店は上がんな。久々に会ったけん、英里ちゃんとたくさん話しなや!」


「やったー! サンキューお母さん!」


「すみません、おばさん……」


お母さんに会釈しながら、私はほっと息をつく。エーちゃんの料理に、美味しいお酒。

隣には、大切な――本当に大切な親友。


「あのね、エリちゃん」


急に真顔になったエーちゃんが、少しだけ悲しげな声で言った。


「田木町会館ってさ、今年いっぱいで取り壊すんだって」


「……え」


その言葉に、心がひゅっと冷えた。

私たちにとって田木町会館は、“あの壁画”を描いた思い出の場所。あの夏、夢中で色を重ねたあの白い壁だ。


「建物の老朽化でね……移転するんだって。だから、今年で私たちの『壁画』ともお別れ」


十年前の夏。

私の小説をもとに、ふたりで描いた、あの物語の絵。後ろ姿の魔法使いたちが並んで歩く――あの壁。


「エリちゃん、今から行ってみない?」


「……うん。行こう」



夜風が少し涼しい。並んで歩く路は、昔よりも街灯が増えていて、舗装もきれいになっていた。でも、懐かしい匂いはまだ残っている。

町民会館の前に着いたとき、私たちは言葉を失った。壁は少し黒ずみ、ところどころにひびも入っていた。

けれど、そこに描かれた“私たち”は、今もちゃんと並んでいた。


「ああ……」


思わず声が漏れる。色は少し褪せても、確かに、あの頃のままの絵だ。

胸がきゅうっと締め付けられる。


「エーちゃん……」


「エリちゃん……」


エーちゃんが、壁の隅を指差した。

そこには、『AA』の文字。


ふたつ並びの“A”。

私とエーちゃんだけが知る、ふたりのサイン。


「エリちゃん、私ね……あの夏のこと、ずっと忘れない。絶対、絶対忘れない。この絵も……エリちゃんが声をかけてくれたときのことも……」


お酒がまわって、顔を赤くしたエーちゃんの目がうるんでいる。


――ああ、相変わらず泣き虫だな。


「私だって……絶対忘れないよ」


いかん、私まで泣きそうになる。


そっと手を伸ばし、エーちゃんの手を握る。

少し冷たい夜風の中で、二人の手のぬくもりがしっかり重なる。壁画の中の、あのふたりの魔法使いのように。

私たちは並んで、褪せた絵をいつまでも見つめていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ