11. 高校生編5:栄子
初めて、エリちゃんの小説を見た。
私でもすっと読める文章で、でもどこか魔法みたいな世界だった。
読めばそのまま、あの物語の中に引きずり込まれるような――そんな不思議な感覚。
魔法使いの女の子二人が、呪いにかかった村の人たちを助けるため、
“呪いを解く蝶々”を探して旅に出る話。
しゃべる花々、常に光を放つ使い魔の猫、追いかけてくるピエロ人形……。
それがエリちゃんの描いた世界なんだと思うと胸がいっぱいになった。
いや、それを抜きにしても、ほんとうに素敵な物語だった。
――公民館の壁に願いを込めるように下書きを施す。
(どうか、上手くかけますように)
エリちゃんに再会して、また隣に立つことができた。少しずつ昔の私とは違うと思っていたのに――。
ショッピングモールで綾子たちを見かけた瞬間、あの頃と同じ、いやそれ以上の冷たい血が逆流する感覚。逃げるように試着室に飛び込んでいた。エリちゃんが見ているのに。
「……怖かったよね。でも大丈夫、私がいるから」
エリちゃんは呆れるどころか、私を守るように抱きしめた。その手が、あたたかくて、優しくて、強かった。
(うちがもっと強かったら……エリちゃんにこんな心配かけなかったのに…まじで…最悪…)
ごめんね…エリちゃん…
※ ※ ※
「えっと、じゃあエリちゃんはこの色をここのエリアに塗って。うちは右側を書き足すね」
「オッケー」
細かい部分はナオコさんが修正してくれて、私たちは丁寧に色を塗り重ねていく。
夏の太陽の下、汗が噴き出して、腕が日焼けで赤くなる。
(あ……エリちゃんの顔に絵の具ついてる。いや、うちもだな……)
シャツも手も汚れだらけ。でも、それすらも楽しかった。こんなに夢中になって絵を描くのは久しぶりで、純粋に“楽しい”って思える瞬間だった。
日を分けて、何度も何度も修正して。白い壁に、たくさんの絵や色が少しずつ積み重なっていく。
指導してくれたナオコさんは「もうあとは栄子ちゃんと英里ちゃんだけで仕上げられるはず」とその場を後にする。なんでも県外に用事があるらしい。私たちは礼を言いながらその後ろ姿を見つめた。
「ここから…本当にエーちゃんと私だけの作品作りになるんだね」
「うん…」
エリちゃんが顔を覗き込む。
その瞳は、まっすぐで、どこか挑むように澄んでいた。
「…心配?エーちゃん」
「まっさか!やってやろーじゃん!」
笑い合って、私たちは筆を取った。
夕焼けが壁に長い影を伸ばし、やがてそれが夜に溶けていく。
黄色、赤、紫、紺色——グラデーション、幾何学模様、星空に咲く花々。
雑多なようで、どこかひとつの物語のように繋がっていく。
「よーし!今日はここまでにしよっか!」
「うん!おつかれ!」
作業を終えて、並んで歩く帰り道。
夜風が少しだけ肌に心地よくて、街灯の下を小さな虫たちが飛び交っている。
ぱち、ぱち、と灯りに触れては消える音。
「エリちゃん…前にさ、ショッピングモールで変なとこ見せちゃって…ごめんね」
「気にしないでよ。私がエーちゃんなら、きっと同じことしてたよ」
エリちゃんの言葉はいつも、心の奥をまっすぐ撫でてくる。階段を上がると、駅の高架の歩道に出た。下を見れば、帰路につく人がちらほら。
その時——
エリちゃんが小さく息を呑んだ。
「……あれ、綾子じゃない?」
覗き込むと、真下に見覚えのある派手な茶髪。綾子と、どこかのヤンキー男。
缶チューハイ片手に、煙草の吸い殻を足元に散らしている。
「マジ…?よりによってこのタイミング?」
私が眉をしかめた瞬間、エリちゃんがバケツを指差してニヤリと笑った。
「いや、エーちゃん。むしろベストタイミングかもよ」
その中には、壁画の片づけで出た濁った水がまだたっぷり残っている。
「えっ、ちょ、エリちゃ——」
ばしゃぁっ!!
一瞬の静寂。
「ぎゃああああ!!」「くせぇぇ!!」
下から響き渡る絶叫。
「エーちゃん、逃げろ!」
「え、エリちゃんっ!」
エリちゃんに手を握られる。
次の瞬間、2人で全力で駆け出した。
後ろの方で怒号と、どこかのおばちゃんの悲鳴。
夜風を切る足音が響いて、笑い声が止まらない。
「あははは!あの叫び、最高すぎ!」
「やだ、エリちゃんヤバいって!あはは!」
笑いすぎて涙が出た。
こんなに笑ったの、いつ以来だろう。
息を整えながら、エリちゃんがぽつりと言った。
「私、全然強くないけどさ……でもエーちゃんが悲しんでるなら、私を呼んで。
いつだって行くから。2人なら、なんとかなるって思わない?」
胸がぎゅうっと締めつけられる。
でもそれは苦しさじゃなくて、心の奥があたたかくなる痛みだった。
——ずるいよ、エリちゃん。かっこよすぎだよ。
「うん…!」
声が震えて、言葉にならない。
でも、笑った。
それだけで全部、伝わる気がした。
「できた……エリちゃん」
「……すごい」
夕陽に照らされた壁の前で、私たちは並んで立っていた。
そこには、完成した壁画。
後ろ姿の魔法使いの女の子が二人、手を繋いで歩いている。
周囲には、色とりどりの花々や幾何学模様、光をまとう黒猫、遠くで笑うピエロ。
青空は次第に夜空へと溶けていき、端には一匹の蝶がひらりと舞っていた。
――まるで一つの物語みたい。
「……私の小説の世界だね」
「うん。エリちゃんの小説を読んだ時に、絵が浮かんだの。ずっと描きたかったんだ」
エリちゃんの瞳が、少しだけ潤んでいた。
その光景が、胸の奥で暖かく弾ける。
「ここまで描けたのは、ナオコさんと……エリちゃんのおかげ。エリちゃんがいてくれたから……えへへ……ありがと……」
言葉の途中で、涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。封じていた“好き”を、また取り戻せた。
絵を描くことも、人を信じることも――全部、もう一度。
「エーちゃん……泣き虫だな〜」
「エリちゃんもじゃん〜!」
2人して泣いて笑って、また泣いた。
忙しいけど、こんなに心が生きてるって感じたのは久しぶりだった。
エリちゃんが袖で目を拭って、壁の隅を指さす。
「ねえ、エーちゃん。この端っこの“AA”って文字、何?」
「あ、これね!サイン!エリちゃんと私の頭文字だよ!」
エリちゃんが目を瞬かせる。
「……でも、栄子と英里なら“E”じゃない?」
「…………あ……あーーーーー!!!」
思い切り素で間違えてた。
だって、“エーちゃんとエリちゃん”って響きが“A”っぽいんだもん!
「もぉーー!うち、バカすぎる!」
「アハハハハ!いいじゃん、これ!“ふたつ並びのA”!最高に可愛いよ!」
エリちゃんはお腹を抱えて笑い転げた。
でもその笑顔が、私にはたまらなく嬉しかった。
『ふたつ並びのA』。
それは、私たちだけのサイン。
この夏、たった二人で描いた、永遠の印。
※※※
夏休み明け。
私は廊下を歩きながら、携帯の待ち受けをちらりと見る。
――あの壁画の写真。
(うちには、これがある。だから大丈夫)
教室のドアを開けると、空気が少し張り詰めた。一瞬、皆の視線が集まる。でも、綾子の姿はない。
綾子の取り巻きの数人が慌てたように私に駆け寄ってくる。
「栄子〜〜!マジ久しぶりぃ!」
「……」
「ねぇ聞いて! 綾子、退学になったんだよ!」
……退学?
驚いて固まる私に、彼女らは面白がるように続けた。
「夏休みに駅前でさ〜、無免許でスクーター乗って飲酒してたら捕まったんだって!ヤバくない?!」
笑いながら話すその顔に、同情は一ミリもなかった。
「うちらもさぁ、正直アイツ嫌だったんだよねぇ。綾子の言うこと絶対だったし〜……ねぇ?」
猫なで声の“ねぇ”が、妙に耳障りだった。
――“また仲良くしよ?”って意味だ。
(なにそれ……)
私は一歩下がって、淡々と口を開く。
「知らねーよ。私に近づくな」
取り巻きたちはぽかんと口を開け、魚みたいに瞬きを繰り返した。
教室のどこかから、小さな声が落ちる。
「うわ、だっさ……」
空気が一気に変わった。
取り巻きたちは顔を真っ赤にして席に戻る。
私は深呼吸をして、再びスマホを見る。
(ありがとう、エリちゃん。勇気、くれて)
相変わらず、私はボッチ。
でも、今はそれが怖くない。
昼休み、中庭で紙パックのジュースを飲んでいると――
「あの……木村さん、だよね?」
2人の女子が近付いてきた。
派手すぎず、でも可愛いネイルにピアスとシュシュ。少し緊張した様子で笑っている。
「前から思ってたんだけど、木村さんのネイル、めっちゃ可愛いよね! うちらもネイル好きでさ!」
「趣味友ふやしたくて……良かったら話してみたくて」
その真っ直ぐな目に、胸がじんわり温かくなる。
(あ……いい子たちだ)
「うん!うちも、ネイルの話したい!」
2人が顔を見合わせて、ぱっと笑った。
その笑顔を見て、私も自然と笑顔になれた。
携帯の画面には、あの“壁画”が光っている。
あの夏、エリちゃんと過ごした日々は――
今もちゃんと、ここに息づいていた。
毎日2投稿と言ったのに、今日だけ3つ目の投稿にしました。高校編をキリ良く終わらせたかったので…すみません。




