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10. 高校生編4:英里



寝ぼけたセミがわずかに鳴く夏の夜、お風呂上がりの私は部屋の灯りの下で手を広げていた。

指先にきらめくラメ。エーちゃんにしてもらったネイルは、ただ彩られただけじゃなくて…魔法みたいに心を躍らせてくれる。


(すごい…見てるだけで嬉しくなるなんて)


胸の奥からこみ上げてくる喜びに、自然と頬が熱を帯びる。あのとき言った言葉がふと蘇った。


――今のエーちゃんの好きなこと、ちゃんと知りたいって思ってる。


――……うちも、エリちゃんの好きな物、知りたい。


あぁ、素直になるって、きっと大人になるってことなんだろう。

幼い頃の私は、人目を気にして自分を卑下して、勇気を出せなかった。でも今は、心の中の小さな自分に寄り添って、一歩を踏み出せている。


そんなとき、不意に携帯が光った。


画面には「ナオコさん」の名前。


『件名:こんばんは〜!

今度、公民館に壁画を描くことになりました!でも手伝ってくれる人が集まらない(-.-;) 英里ちゃんヘルプ〜! お友達にも打診してくれると助かります汗』


壁画――。

頭に浮かんだのはただひとり。エーちゃん。

彼女はまだ絵が好きなんだろうか。…正直に言えば、私はエーちゃんの絵が見たい、ただそれだけだった。



休館日の公民館。約束通りエーちゃんは私の部屋に来て、ふたりでDVDを観ることになった。私が小学生の頃から大好きな、分厚いファンタジー児童書の実写映画シリーズだ。


「え〜…マジでヤバい…なにこの展開」


画面に前のめりになって、真剣に食い入るエーちゃん。私は何度も観た映画だから、彼女の横顔ばかりを目で追ってしまう。


(自分の好きなものを、こんな風に楽しんでくれるんだ…)


胸の奥がじんわり温かくなって、同時に安心した。だからこそ、もっとエーちゃんの好きなものを知りたくなる。引き出してみたい。そう思った。


「エーちゃん、絵…描いてみない?」


不意に口をついて出た言葉に、エーちゃんは目を丸くした。

でも、少し迷ってから頷いてくれる。

正直、私もナオコさんの手伝い程度だと思っていた。まさかエーちゃんがメインで壁画を描くことになるなんて。

動揺する彼女の肩を、私は背中を押すように支えた。

エーちゃんは一瞬ためらったけれど、結局は力いっぱい笑って答えてくれる。


「な、ナオコさん!よろしくお願いします!エリちゃんも!」


その姿は、田舎の川辺で度胸試しに飛び込む子みたいだった。迷いを振り切って「えいっ」と一歩踏み越える勇気を、私は隣で確かに見た。


――だから。


その勇気に触れたとき、私も挑戦したくなった。書きかけの、あのファンタジー小説に。




私たちは勉強を終えると、エーちゃんは壁画のデザインを、私は小説を。

それぞれのノートに向かって、並んで頭を悩ませていた。ゼロから何かを生み出すって、想像していたよりずっと大変。

でも横を見れば、私と同じように眉を寄せてスケッチブックとにらめっこしているエーちゃん。それが、なんだか嬉しかった。


「エーちゃんに見てほしいなぁ……」


つい口をついて出た私の呟きに、エーちゃんはびくっと肩を動かして振り向く。花が咲くみたいに目を輝かせて。


「いいの?」


「うん。自信はないけど、エーちゃんに見てほしい。まだ途中だけどね」


私はノートパソコンをそっと向けた。

エーちゃんは一瞬だけ私を見上げて、小さく微笑む。


「……ありがと、エリちゃん」


その声が、静かな部屋に吸い込まれていった。画面の文字を追うエーちゃんの黒目が、ゆっくりと動いていく。

私は胸がドキドキして、身体の奥がむずむずするような妙な緊張に包まれた。


つまらなかったらどうしよう……。


(いや、それはそれで参考になる!)


そう言い聞かせても、息を詰めてしまう。


「エーちゃん……」


やがてエーちゃんが小さく呟く。


画面から目を離さないまま。


「これ……私でもわかるよ。話がすーっと入ってくる。読みやすくて、なんか……いい。」


その一言で、胸の奥がじんわり熱くなった。


「エリちゃん、私……この話、好き。大好き。


すごいなぁ、エリちゃん。マジですごいよ!」


不覚にも泣きそうになった。

他の誰に褒められるよりも、何倍も嬉しかった。


(エーちゃん……魔法使いみたい)


その数日後、エーちゃんのデザイン案が決まり、壁画の下書きが始まった。

ナオコさんの指導のもと、真剣な表情で筆を動かす姿は眩しかった。


(がんばれ……)


私は胸の中で祈るように呟いた。


***


ある日、私たちはM駅前のショッピングモールにいた。

夏休みの人混みの中、子どもの笑い声とアナウンスが響いている。


「最近できたクレープ屋さんがあってね、マジで美味しいから!」


甘いものが大好きなエーちゃんの提案に、私たちは軽い足取りでモールを歩いた。

創作も勉強も頑張ってるご褒美だ。


そして、今日はお揃いのネイル。

エーちゃんに塗ってもらった色違いのデザインが、光を受けてきらきらしている。

おまけに今日は、エーちゃん指導のもと薄化粧までしている。


(たしかに……オシャレって気分が上がるな)


「バナナチョコにしよっかな!」


エーちゃんのはしゃぐ声が弾んで、ミニスカートの裾が軽やかに揺れた。すれ違う人が振り返るほどの可愛さ。


「エーちゃん、可愛すぎ」


「えっ!?な、なにいきなりっ」


顔を真っ赤にして慌てる仕草がまた可愛い。

だけど、次の瞬間――

エーちゃんの表情がこわばった。

そのまま目の前のスポーツ用品店に飛び込み、試着室に駆け込む。


「え、え、なに?どうしたの?」


私は慌てて後を追う。

カーテンを閉じた試着室の中で、エーちゃんは小さくうつむいていた。


「……が、」


震える声。


「……綾子たちが、いて……」


私はカーテンの隙間からそっと外を覗いた。

店の前を、派手な茶髪の集団が闊歩している。


「ギャハハ」「ウケる!」「ありえねー」


目立つほどの大きな声を上げている。

その真ん中には――カバコ。

中学の頃と変わらない騒々しさ、いや、もっと悪化していた。青いアイシャドウに厚化粧、まるでケガをした悪役プロレスラー。


「……もう行ったみたいだよ」


「ごめんね、エリちゃん。いきなり……」


私は何も言わず、彼女の手を握った。


「今日は、クレープやめて違うところ行こう!」


エーちゃんは小さく頷いた。

その姿が少しだけ小さく見えて、胸が締めつけられる。私は、自然に腕が動いていた。


エーちゃんの華奢な身体が、すっぽりと自分の胸の中に収まる。


「え、エリちゃん……」


少し驚いたような声。

でも逃げようとはしなかった。


「…怖かったよね。でも大丈夫、私がいるから」


その瞬間、エーちゃんの指先が小さく私の背中に回る。


「うん…」


まるで、安心のしるしみたいに。



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