ただの幼女だとお思いで?
アイヒベルク伯爵邸のとある談話室、夕食後の家族で過ごすゆったりとした時間にローテーブルを囲んでルイーザとその父であるアルバン、それから母、エルフリーデはグラスを掲げてささやかな乾杯をした。
「じゃあ……えっと、私の婚約に……? 乾杯!」
「乾杯!」
「乾杯」
ルイーザの声に合わせて三人はグラスを掲げて口をつける。
もちろん、ルイーザはまだお酒など飲める年齢ではないので、ぶどうジュースをグラスに注いでの乾杯だ。
口をつけてコクリと飲み込むとフルーティーなブドウの味わいが広がり、少し渋みがあって大人の味だがそれでもルイーザの好みにはぴったりだ。
用意してくれた従者のギルベルトにチラリと視線を送り、美味しいよと目を細める。
すると彼も同じようにグレイの瞳を細めて、よかったと思っている様子だった。
ルイーザの人生の中でも割と長い付き合いになるので、言葉にせずともなにを考えているのかなど手に取るようにわかった。
それからまたグラスを傾けようとするけれど、やはりどうにもぐらぐらとしてしまって片手で優雅に飲むことはできずに両手で支えて子供っぽく飲むしかない。
……ああ、ストレス。もう、早く大人になりたいったら。
祝いの席ではあるが、ルイーザはそんなことを考えて憂鬱な気持ちになった。
「はぁ、それにしても良かったわ。ルイーザ、あなたのことを本当に好いてくれる人が見つかって」
「そうだな。ルイーザはほかの子とちょっと違うから、きちんとした配偶者が見つかるかと心配していたけれど杞憂だったようだ」
ルイーザの気持ちとは裏腹に父と母は上機嫌だ。
しかしそのアルバンとエルフリーデの気持ちもルイーザは一応よくわかる。
アルバンが言ったようにルイーザは少し他とは変わった子供であるというのはどうしても周知の事実であり、そんなルイーザになんの醜聞もないし健全に生きてきた”結婚に良い人”が見つかったのはとても喜ばしいことだろう。
「うん。家を継ぐためにも必要なんだものね」
頷いて、ルイーザは付け加えるように言った。
けれどもめでたいということはわかっているけれどもアルバンやエルフリーデのように手放しに素晴らしいことだと思えないのはルイーザが転生者であるからなのだろうか。
「ああ、そうだよ。ルイーザはまだ小さいからわからないかもしれないけれど、女性が爵位を継ぐということは大変なことなんだ」
「ええ、特に子供を産む時間があるからね。もし私たちに何かあった時にもきちんと支えてくれる経験豊富な年上の配偶者がいるのは重要なのよ」
「……まぁ、そうね。効率的に考えればもちろん間違ってないと思うのよ」
二人の言葉にルイーザも笑みを浮かべてなんとか納得しようとかみ砕いて考える。
まず、彼ら二人は跡目争いに発展させないように自分たちの長子にこの家を継がせると決意している。だからこそ女の子が生まれた時点で、こういうふうにするべきだと決めていたらしい。
こういうふうというのは恋愛感情などを抜きにして支え合うための政略結婚のことだ。
ルイーザが婚約をしたランベルトという男もルイーザよりも一回りか、それ以上は年上だ。
しかしきちんと成人して勤めていて、家柄もきちんとしていてなにより、ルイーザのことを大切にしてくれるとアルバンやエルフリーデに猛アピールをした人物だ。
それならばと、了承するに至ったのだが、やはりその価値観がどうにもルイーザには理解できない。
「あら、あまり腑に落ちていないような言葉ね。でも大丈夫、いずれ後継者教育をしていくうちに理解できるわ。なにも若くて楽しい時期に全部を詰め込んで大変な生活をしなくてもいいのよ」
「そうだな。ルイーザには伸び伸びと育ってほしい。それは僕らのエゴかもしれないけれど、本当に爵位を継承するっていうのはちょっと……結構大変なことだから」
「後継者教育ってそんなに覚えることが多いの?」
父や母がみなまで言わなくても意思疎通をして補足するように話す姿に、ルイーザは少し不安になって問いかけた。
その不安げな表情を見て、決して脅したかったわけではないし、苦労話をしたかったわけでもないアルバンは「いやいや!」とすぐに否定して安心させるように言った。
「ちょっとだちょっと。ほんの少し……屋敷や領地のことから、社交の関係、それに加えて普通のマナーや勉学、ついでに、魔法の素養があるなら魔法学園にも通って資格を取ったりと……ちょっとやることが多すぎるだけだ……」
しかし途中で、アルバンは勢いを失っていき、最後の方は消え入るように小さな声になっている。
……領地のことと、社交のことと、それからマナーと勉強、後は魔法……たしかにやることが多いね。
そんなにたくさんのことを今から覚えられるのかという心配もあるし、なによりルイーザはやはり変わった子であるのだ。
だからこそ普通と同じようにそれが出来るかという点がネックなところである。
「だ、大丈夫よ。これからはランベルトさんも手伝ってくれるのよ。だからあなたは全然無理しようだとか思わなくていいのだから」
「そう! そういうわけだ。僕たちもサポートを怠らない、だからルイーザ……おいで」
エルフリーデは自信が無くなったように言った父の言葉にそう付け加えて笑みを浮かべる。
その瞳は輝くサファイヤの様な美しい色合いをしていて、宝石のような瞳とはまさにこのことである。
ワイングラスを置いてルイーザのことを呼んだ父の髪は、美しいブロンドだ。少しふわりとしている金の髪は間接照明に照らされてキラキラと光りをはらんでいる。
彼らの元にルイーザはソファーを降りてトテトテと歩いて向かう。
足元はルイーザの成長に合わせて作られた金の留め具のついたヒールの無い革の靴で、ピンクのドレスにはたくさんのリボンがついていて、フリルもふんだんにあしらわれている。
そんなドレスの裾を揺らして、慣れ親しんだ父の膝に手を乗せる。
わきに手を入れて持ち上げられて、ルイーザはすっかりアルバンの膝に横座りで収まって、エルフリーデが無造作に近づいてルイーザの額に小さくキスを落す。
「君は自由だ。好きなように生きてごらん。なんでも君の好きにしていいんだ。僕らはそれだけで幸せだよ」
「ええ、ルイーザ。あなたは私たちの宝物。きっと良い人生を送ってほしいの」
惜しみない愛情を注いでくる両親。
そしてルイーザは間違いなく彼らの娘であり、それを象徴するように、サファイアの瞳とキラキラの金髪を持っているこちらでは普通の容姿をした、愛らしい幼女である。
「うん。お父さま、お母さま、ありがとう。愛している」
「僕らも愛しているよ」
いつもこうして愛情を示してくれる彼らに、今のルイーザは申し訳ないという気持ちはそれほどない。
転生してきてすぐのころは少しばかり悩んだりもしたが、どんな普通らしくないことをしても、気がつかないふりをして愛情を注いでくれる二人に今はただのルイーザとして接している。
父の胸元に頬を預けて、ほっとするような心地がする時点で間違いなくルイーザは彼らの娘なのだ。
それでいいじゃないか。
と、思う。
……思うのだが……。
「だとしても、こんな幼女に求婚してどんなに大切にするかって手紙を何十枚も送ってくる一回りも年上な人ってどうなの?」
けれども結局、ルイーザはこらえきれなくなって本音を口にした。真顔で。
すると彼らは、じんわりと家族愛を感じていたゆったりとした感動的な時間から引き戻されて、自分のことを幼女と口にする幼女にキョトンとした。
「……」
「……」
彼らの反応にルイーザは若干ひやりとして、ちらっと視線を向けたが、彼らはすぐにあははと笑って言った。
「なに言ってるのよ。それだけのことが出来るという意味でしょう? 可愛いとしてもこんなに幼い子を変な目で見るわけもないのだし」
「ああ、そうだ。そんな人間いるはずもない。いくらルイーザが可愛いからってなぁ?」
「ええ」
その様子に、ルイーザはそういうものかと小さくため息をついた。
まったくこの世界に来てからは、驚かされてばかりである。父は金髪だし、母は青い目をしているし、世襲制だし、王族もいるし、魔法はあるし。
自分はこんなに幼くなっているし、ふとした時に素が出てしまって周りを驚かせてしまうことがままあるのだ。
けれどもまったく違う世界にこれでも出来る限り馴染めている方だと思うのだ。
ルイーザは頑張っている。
それはもちろんその通り、前世から自己肯定感は高い方である。
ただ、こうして手放しに自分を認められるのは、彼らの深い愛情のおかげであるともいえる。
だからこそ、ルイーザはできるだけ、こうしていたい。
彼らの子供らしく、普通らしく、幼女らしくしていたい。その願いは間違っていないと思うのだった。
しばらく家族の時間を過ごし、これから仲良く晩酌をする二人を置いてルイーザは談話室を出る。
すぐ後ろには、従者のギルベルトがついてきて、彼はいつものように適当に言った。
「相変わらず旦那さまと奥さまは仲睦まじいですね。いつも夜を共に過ごしてるし」
「うん。ね、本当に。あれでいてあの二人は政略結婚って言ってたよね」
「そうらしいですよ。主さまもああなれるといいねー」
「え、それはどうだろう。どう……なんだろう。やっぱり私だけかな、なんかヤだなって思ってるの」
「そうなんだ。珍しいですね、主さまが毛嫌いするなんて」
彼は短い脚でトコトコと歩いているルイーザの隣につき、ゆっくりと歩いた。
「毛嫌いっていうか不審なの」
「不審かな」
「うん。お父さまとお母さまはああいうけど、世の中変な人っているもんだよ」
「変な人か」
「そう、変な人……私だってむやみに嫌がってるわけじゃなくて、やっぱり女の子はちゃんと警戒……していかないと…………ふあぁ……」
ギルベルトにだけは自身のもやもやとした気持ちを理解してほしくて、ルイーザはどんな変な人がいてどんなことが起こるのかという話をしようとした。
けれども体が眠気を訴えてもう一秒たりとも我慢できそうにない。
あくびが出てもごもごと口を動かし、ああもうとルイーザは自分にいらつくような気持ちになった。
……これだから、この体は……。オールぐらい余裕なのに……。
これでもきちんと社会人として働いてきた大人なのだ、こんな早い時間に眠くなるだなんてお子様かおばあさんぐらいだろう。
そう思うのに、瞼が落ちてきて体がだるい。立ち止まると、何も言わなくてもギルベルトはルイーザのことをそっと抱き上げた。
「……警戒ね、わかった。でも今は、お部屋に戻ってぐっすり寝る方が大事ですから、行こう?」
「うん」
「あ、不機嫌な声」
「……うん」
力もなく、体力の少ない子供の体にイラつくと、返事一つでギルベルトはルイーザの心中を読み取ってゴキゲンに指摘した。
その指摘に、さらに声が低くなるとギルベルトは「怒らせちゃったなー」と適当に言った。
それから片手でルイーザを抱いたまま無造作にポケットへと手を入れてそれからルイーザを覗き込んで言った。
「じゃあ、手を出して」
「なぁに?」
「いいから」
「はい」
眠い目をこすりつつも右手を差し出すと短く柔い小指にスッと指輪が通される。
……ピンキーリング……四葉の形だ。
それも子供用のものなんて普通は売っていない、わざわざ特注しなければ手に入らない代物だろう。
……それにこれ……魔法具?
淡く小さな光の粒がクローバーを模した四つの石の中に煌めいているのを見つけて、ルイーザはその正体を考えた。
しかしすぐにギルベルトが答えを言う。
「主さまが欲しがってたやつです。婚約祝いに」
「ま、ま、まさか!」
「うん。身体強化の魔法具、俺からのプレゼント、お守りになればいいなって思って」
「っ……っ~、ギル!!」
ルイーザは途端に眠気など吹っ飛んで、たまらずぐっとそれを握りしめる。
指に感じる小さなリングの感触は、なんとも形容しがたいもので、堪えられなくなってルイーザは突撃するようにギルベルトを抱きしめた。
「おっ、と」
「すごい! すっごい! ありがとう! ギル! 大好き、高いんでしょ! 魔法具ってそれなのにっ、あ~! 嬉しい!!」
「わっ、ちょ」
「これから使ってみよ! すぐ使いたい! 練習するの! いいでしょ!?」
「え、ダメだってもう寝る時間ですから、主さまっ」
「お願い、お願い! 明日からちゃんと寝る、大丈夫!」
窘めるように言うギルベルトにルイーザは勢いのままそう口にした。
彼は着々とルイーザの部屋へと近づいていて、もうすぐそこだ。これから部屋で魔法具の練習としゃれこもうじゃないか。
「ダメです! 旦那さまと奥方さまに叱られるのは俺も一緒なんだから」
「それでもお願い、黙ってて?」
彼の再三の注意にもルイーザは瞳をキラキラとさせて駄々をこねた。
こうして否応なくこの体にされているのだこのくらいのいいとこどりは、許されるだろうとルイーザはウルウルと瞳を潤ませて彼に言った。
するとしばらく沈黙してそれから彼は、仕方ないとばかりに「一回だけだよ」と折れたのだった。
幼いうちの婚約であったとしても貴族というものはパーティーを開くの大好きだ。
身内の多い集まりにはなるが、よっぽどパーティー好きの人種なのかもしれない。
ホールの中には軽やかな音楽が流れ、今回の主役であるルイーザはありとあらゆる人物にお祝いの言葉を言われる。
本当の幼女であるならば苦痛な時間だっただろうが、アルバンやエルフリーデに恥をかかせるわけにもいかないし、ルイーザ自身パーティーが嫌いというわけではない。
人とお話する時間というものは楽しいものであっという間に時間が過ぎていったのだ。
それに、ギルベルトからもらった魔法具もある。
身体強化の力はこの日までになんとか使いこなせるようになったので、長時間椅子に座っていてもおしりは痛くないし、なによりグラスも片手で持つことができるのだ。
けれどもそんなこととは露知らずに、父と母はそろそろルイーザが退屈するころだろうと視線を向けてくる。
その様子に隣に座っていたランベルトが口を開いた。
「アイヒベルク伯爵、彼女のことは僕が見ておきますのでどうぞ、楽しんでいらしてください、せっかくのパーティーですから」
整った敬語で彼は人の好さそうな笑みを浮かべる。
もちろん、外見はただの幼女なのでそういう扱いであることは周りからすると当たり前のことではある。だが、その面倒を見ておくという言葉にルイーザは若干の嫌悪感を覚えた。
「あら、そう? ……そうね、私たちも話をしたい人がいるし……」
「お願いしようかな。よろしく頼むよ、ランベルトさん」
彼の提案をアルバンとエルフリーデは受け入れて、それからルイーザへと視線を向ける。
子供がいては出来ない話もあるのだろう。
せっかく親戚一同が集まっているのだからできる話はしておいた方がいい、そう自分を納得させてルイーザは頷いた。
「じゃあ、行ってくる。ギルベルトも頼んだよ」
「はい、旦那さま」
ギルベルトにも一言残し彼らは去っていく、そしてランベルトはルイーザへと視線を向けた。
「久しぶりに会った人もいるはずだから、退屈だと思うけれどまだお開きまでに時間はかかるかな、もう少しいい子に待っていてね、ルイーザ」
「……はい。問題ありません」
「はは、やっぱり君は随分と大人びた子だな」
ルイーザのつんとした態度にランベルトは相好を崩してそんなふうに形容する。
周りから見て変に映るかもしれないが、なぜか彼に対しては態度を緩める気にはなれない。
普通の子でいたいと思うけれども、そうするべきではないとルイーザの頭の中で警鐘が鳴っていた。
「……」
「……」
彼の言葉になにも返さずにいると、二人の間には沈黙が流れる。こういう所も警戒に値するとルイーザが考える理由だ。
あれほど熱烈な手紙をよこしてきたというのに二人きりになれば、話すこともなにもない。
それはルイーザのことを大人と話をしたところで楽しくもなんともない子供だと侮っているからなのかなんなのか、そういった点はよくわからない。
そもそも会ったことだって数える程度しかないのだ。
窺うように、そっと視線を向ける。
すると彼は持っていたグラスをまるでバランスを崩してしまったかのように倒して、二人の間に濃厚なワインをまき散らす。
飛び散ったワインは、この日の為にあつらえた美しいドレスを汚し、彼のズボンにも付着してしまう。
グラスは敷かれたカーペットの上にカトンと音を立てて落ち、コロコロと転がった。
「ああ、僕としたことがやってしまった。すみません、ルイーザ、とりあえず、控室へと行こう」
その流れはごく自然なものではある、彼はルイーザのことを両親から任されているのだ。しかし、胡散臭いともとれる。
けれども、ほかに選択肢があるわけではなくルイーザはギルベルトに椅子から降ろして貰って静かに彼の後をついていった。
控室へと移動するとパーティーの喧騒は遠のき、部屋は静寂に包まれていた。
「ごめんね、こんな格好ではいられないしすぐ、新しいものに着替えるから。そうだ、君はもう自分の部屋に下がっても構わないかご両親にお伺いを立てたらいいんじゃないかな」
もちろんそれはルイーザ自身に行けと言っているわけではない、後ろにいるギルベルトにそうさせろと暗に示しているのだろう。
……着替えをするならこのまま、お父さまやお母さまに聞かないで戻ると言いたいけれど……。
さすがにそれを勝手にするというのは気が引けて、けれどもギルベルトを自分のそばから離したくない。
「結構です」
「いやいやそうするべきだ。大人の僕が言っているんだから」
彼の言葉を理由もなしに突っぱねるのも難しく感じて、ルイーザは出来るだけ彼をきっちりと見つめて、しゃんと背筋を伸ばす。
「……そもそもこうして着替えをすると言っている男性と同じ部屋というのは外聞が悪いのでしょう? このままでも会場に戻ります」
「いいや、そんなことはないんだよ。外聞なんて難しい言葉を使うんだね。いいんだよそんなものは気にしなくて、さあ、行かせて、ほら」
「…………」
「従者、君も自分の主に従っているばかりではなく幼いのだから率先して動かなければ」
彼はついにギルベルトにまで勝手に話しかけ、部屋を出ていくように指示する。
そこまでされると、立場上彼が逆らうということは難しい。
その様子にルイーザは仕方なく、彼からもらった魔法具を指で摩って、彼に目線をおくって小さく頷いた。
「えらい、えらい。最初からそうしてくれていればよかったんだ」
「……」
「じゃあ僕は着替えるから、少し待っていて」
そう言って自分の従者が出した替えの衣装を持って用意された衝立の向こうへと消えていく。
ギルベルトもいない以上は警戒するべきだと考えてルイーザはソファーに座らずに出入り口に突っ立っていたが、普通にきびきびと動く彼の従者たちを見て流石に、警戒しすぎたかと考えた。
ただ幼いルイーザのことを考えて、放り出すことはせずにきちんと面倒を見たかっただけなのかもしれない。
そう考えて、ホッとひと息をついた。
身体強化をしているとはいえ、ずっと座っていてお開きまで穏やかな態度を崩さないというのはたしかに、疲れる。
このまま一足先に休めればルイーザもうれしい、そう考えた矢先だった。
衝立の向こう側から出てきた彼は、なぜかジャケットを脱いでいて、スラックスこそはいているが無造作に腕まくりをしながら、こらえきれないとばかりにニマニマとした笑みを浮かべていた。
「……そろそろ行ったかな? …………やっと、やっとこれで二人きりだ」
厳密に言えば彼の従者がいるが彼らは機械のように、無表情で淡々と彼の汚した衣服を畳んだり静かにたたずんでいるだけで、その主の様子に一片の感情も見せない。
……!
「はぁ、ルイーザ、もう我慢できない。ルイーザ……」
彼の様子はただごとではない、それだけはわかる。
目を見開いて凝視しているうちに、彼は大きな歩幅でずかずかとルイーザのほうへと歩み寄り、いつの間にかルイーザの前にたちはばかる壁のように鎮座していた。
「可愛い、可愛い、僕の天使! あぁ~、やっとこの日が来た! やっと、やっとだ、もう耐えられないっ!」
真上から手が伸びてくる。やけにその手のひらが大きく威圧的に見えて、視界いっぱいに広がっているようだった。
頭を溺愛する犬のようにわしゃっと撫でられて、全身の肌が粟立ち、言い表しようのない嫌悪感が全身を駆け巡る。
「その可愛い体のにおいをかがせてくれ、その愛らしい唇で僕の名前を呼んでくれ」
「っ」
「短い手足、あどけないけれど高貴な顔つき、ぴったり、僕の理想ぴったりだぁ!!」
彼の勢いは留まることを知らず、彼に感じていたおぞけの正体を知る。
「幼い少女のその足で僕を踏みつけにしてくれぇ!!」
雄たけびのように声をあげて膝をつき、ランベルトはルイーザの顔を両手で包み込むように掴み、目をつむり唇を尖らせて迫ってくる。
「うっ、うわっ」
咄嗟に声を漏らし、ルイーザはその手を振り払った。
まったく抵抗されるとは思っていなかったらしく、その手は簡単に振りほどくことが出来た。
膝立ちになっている彼とぴたりと目が合う。歪んだ感情を宿した瞳はルイーザのことをなめるように見つめていて、ルイーザはやっと言葉を口にした。
「っ、へ、変態だ!」
警戒はしていたもののアルバンやエルフリーデの言葉からこの世界にはそんなものは存在していないのだと思い込んでいた。
しかし、事実きちんと存在しているのだ、ロリータコンプレックスを持ち、幼いルイーザを性的な目で見て襲い掛かってくる変態がファンタジー世界にも存在しているのだ。
キラキラとした容姿にオークトチュールのドレス、生まれてこの方ルイーザの人生は美しいものばかりで満ち溢れていた。
けれどもそれだけではない、らしいという混乱で動きが遅れたが、ルイーザはすぐに身を翻す。
部屋を出るしかない、そしてこの変態から逃れなければ!
幸いそうできる距離感だったように思う、しかし実際に実行してみると窘めるような声が背後から響いて、腕をがっしりと掴まれた。
「こら、こら、待って待って! 怖くない、怖くないからこんなの皆やってることだよ!」
「っ」
「だからイイ子に、僕のいうことを、聞いていればっ」
ぐっと腕を引っ張られる。
……っ、一か八か!
このままではいけないと思いルイーザは「ギルー!」と大きな声で叫びつつも、半分振り返って強く魔法具を使う。
彼の手の甲側に肘をまげてそのまま押せば、女性の力でも腕をすり抜けることが出来る。
これは、前世で女性も使える防犯知識として知っていたことだった。
幼女の力では到底かなわなかった相手でも、魔法で強化すれば普通の女性ぐらいにはなれるだろう。
けれども抜け出したのは良いものの、その後の対処については逃げるなり、殴り掛かるなり、なんでも自分で行動をとってねというタイプの護身術である。
手を振りほどくことができるというのは良いことだが、体の小さなルイーザにできることは多くない。
「っ、ま、まて!」
ランベルトはすぐに膝を立てて、ルイーザのことを捕らえるために立ち上がろうとした。
その隙をルイーザは見逃さずに、魔力をめいっぱい使い、前のめりになっている状態の彼の顎に向かって標準を定める。
それから歯を食いしばってぐっと目をつむったまま、これでもかと魔力を指輪に注ぎ込みびょんと飛び跳ねた。
「はがっ!!」
彼の顎に、ルイーザのヘッドショットがクリーンヒットだ。うめき声をあげながらランベルトは崩れ落ちる。
顎を抑えて立ち上がれもしない様子に、ルイーザはもう危険はないだろうと判断した。
それから乱れた髪を少し戻して、視線を鋭くしてランベルトに言った。
「大人立場を使って幼い子を言いくるめて自分の性癖に付き合わせようなんて恥を知りなさい!!」
「は……は?」
「父や母も騙して、私だけならなにもできないと思ったのでしょ! 女だから、幼女だからってできるなら何をしてもいいわけじゃない! ただの幼女でも気持ちを押し付けていいわけないでしょ!」
「……」
「ギルベルトに話してきちんとした対処をしてもらうから、絶対に逃がさない! あなたみたいなのは一生檻の中で、私を侮ったことを後悔しながら生きていけばいいのよ!」
混乱しているランベルトにルイーザは怒りをそのままに怒鳴りつけた。
やっと立ち上がろうとする彼に、背後からギルベルトが短剣を持って現れる。やはり部屋のすぐそばにいてくれたらしい。
ランベルトは同じ男性に剣を向けられたことによって青くなり、それからルイーザのことを見て、その目は歪んだ熱をはらんでおらず、単にルイーザのことを恐れている様子だった。
「っ、き、気色悪い」
「……」
「悪魔、悪魔付きだ!」
「悪魔じゃないよ。……私は……ただの」
……ただの普通の幼女……とは言えない。
ただの幼女では対処できないことに対処して、ただの幼女らしからぬことを言ってしまった。そしてこれが普通の反応なのだろう。
けれどそれは本音だ。ただの幼女だって好き勝手していいはずがない、誰しも力が弱い人だって自分を持っている。押し付けられて嫌な思いをして当然じゃない。
それは当然の権利だ。守るべきものだ。彼は当たり前の報いを受けた。そのはずだけれどそれを主張する幼女は普通ではない。
言葉の続きは転生者というのが正しいのかもしれない。けれども転生したからというだけで今こうではないのだ。
今こうしてここにいる理由は、ルイーザをルイーザたらしめている要因は……。
「アイヒベルク伯爵令嬢、アルバンとエルフリーデの娘、ルイーザなの。 大切にされている跡取り娘だもの。あなたの餌食になる哀れな少女じゃないわ。まあ、そんな少女も世の中のもうどこにも生まれ無いでしょうけどね! だって私の前でこうして本性を現わしたのだから!」
ルイーザは少しかっこつけるように言って、腰に手を当てて胸を張る。
こんな目に遭ったことは腹立たしいが、子供と女性の敵を一人討伐できたと思えば多くの子供を救ったことになるので、むしろただの幼女ではないルイーザの元へとランベルトがやってきてくれてよかったのかもしれない。
よかったというか、逆にそうなるべくしてなったのかもしれないとも思う。
この世界には神様とかがいるらしいから、めぐりあわせなのかもしれない。
そう思って、振り返った。
するとそこには、目を大きく見開いているアルバンとエルフリーデの姿があった。そして背後から声が響く。
「伯爵! アイヒベルク伯爵! この子供はただの子供じゃない! 悪魔だ! こんな年増のようなことを言う子供なんて悪魔でしかない!」
すぐ後ろ扉の向こうに彼らがいたことによってルイーザも急激に興奮が冷めて青くなった。
彼らの娘であると口にしたのはいいが、こんなふうに普通の子供らしくないことは彼らにとってどう映るだろう。
どこまで聞かれたのか、どうしたらいいのかすぐに、ルイーザの頭の中で思考が駆け巡り、そのまま動けずにいた。
「喋るな、下郎が」
背後からギルベルトの低い声がして、ギルベルトだけはそんなことも気にしないでくれて自分の仕事を全うしているのかと少しホッとする。
そのままギルベルトにしがみついてしまいたいほど不安になったのは、ルイーザの体が大人ではなくてそのせいで心まで幼くなってしまっているからだろうか。
「っ、ごめんなさい!」
「ごめん、ルイーザ!」
父と母が一番初めに発した言葉は、謝罪だった。
その言葉の意味を理解する間もなく、ルイーザは母にきつく抱きしめられた。
……っ!
ふわりと香る花の香水の香りに、母の柔らかな肌は心地がいい。
「私たちがもっと早く来ていれば、あなたの言葉をもっと真剣にきいていたら、こんなことには……」
「ギルベルト、彼は捕らえてくれ、後は僕たちの仕事だ」
「はい、旦那さま」
「いや、いやいや! おかしいよ! おかしい! そんな、普通じゃない! その娘は、絶対普通じゃない!」
ランベルトは声をあげるが、背後でギルベルトがなにかをしたらしく突然絶たれてもう彼の声は聞こえない。
ルイーザがその様子を確認しようとすると、そっとエルフリーデに抱き上げられて見ることが出来ない。
「行きましょう。あなたは見てはいけないわ。立派でつよい私たちの娘だけれどまだ、こんなに小さな体をしているのだから」
「ああ、きちんと守れなくてごめん、ルイーザ。至らない親で」
父も母もルイーザがどんなふうに言われていても、なにをしていても変わらない。
変わらずの子ども扱いに、変わらない愛情の滲んだ声。やったことは認めていても態度は変わらない。
……そうか、私、普通の子じゃないから、普通にと思っていたけれど、それは……この二人にとって普通かどうか、なんて愛するための条件じゃないんだ。
ただの子供でなくたって、私は私でいいんだ。怖がらなくても受け入れてくれる。
そう思うとやっとどこか腑に落ちたような気がして「いいの、お父さま、お母さま」と呟くようにルイーザは口にした。
ルイーザはただの幼女じゃない、無垢な子供じゃない、でも二人の間に産まれてきて、愛されているアイヒベルク伯爵家の娘だ。
たったそれだけである。
その後のランベルトへの罰は残酷なものだった。前世の常識からするとやり過ぎな気もするが、現行犯でとらえたこと、父の力もあり彼の日記という証拠を取れたことによって、訴えが通った。
具体的なことについてはアルバンやエルフリーデは口にしなかったのでギルベルトに聞いてみたところ肉刑に処されたということらしい。
つまりは、ルイーザが言ったように本当にもう彼の被害に遭う人間はこの世のどこにも出ることがない。
喜ぶべきか、その苦悩を考えて痛ましいと思うべきか、ルイーザは多少悩んだ。
けれどもそんなことで悩んだところでなにが変わるわけでもない。
早々に頭を切り替えて、今目の前の問題に思考を戻した。
「だからね、私たち考えたのよ」
「ああもう、それは深く考えた」
「やっぱり、技能も大切だが、ルイーザのことを間違いなく大切にしてくれる相手というのは、見ず知らずのよその人間から選ぶのはリスクが高すぎる」
「ええそう! だってこんなに可愛いのだもの」
「だから、確実に間違いのない人物を婚約者に据えたい」
アルバンとエルフリーデの二人に言われて、ギルベルトは困ったような適当な笑みを浮かべた。
「……そんなに急いで婚約者を選ばなくてもいいんじゃないですか?」
「いいや、もちろんそういう選択肢も可能だが……跡取り娘の婚約者が不在というのは……」
「とてもじゃないけれど普通に社交界を楽しめないわよ」
「ま、まぁ、そうかもしれないですけど、主さまなら別にそんなに心配しなくても大丈夫だと思いますけど」
「そう、あなたのそういうところ、そういうところがぴったり」
「ああ、もしルイーザが今後本当に一緒になりたい相手が出来ても、君ならルイーザのことを考えてくれるだろう?」
「つまりは、主さまの日常の為のつなぎということですか」
父と母の言葉を要約してギルベルトはそう結論を出した。
しかしそう言われると流石に、利用しているみたいでバツが悪かったのか、二人は渋い顔をして「給金は倍出そうと考えている」と最後の切り札のように言った。
その様子に、ギルベルトはアハッと適当に笑って軽く手を振る。
「いりません。そういう話なら。いいですよ。もう俺も主さまには危険な目に遭って欲しくないですから」
そうして了承した彼に、アルバンとエルフリーデは大興奮し、結局すぐにまたルイーザは婚約することになったのだった。
廊下へと出て彼に抱き上げられてルイーザは考えた。
一応彼は、騎士の資格を持っていて、一応貴族らしいのだが魔力が多くないらしく騎士としての仕事が出来ず、ならば丁度いいとルイーザの護衛兼従者としてこうしてそばにいる。
伯爵家の幼い子供にいっぱしの騎士をつけるとなると過保護すぎるという話になるが、彼のような人材ならばそういうこともあるよねと納得される。
なので彼はルイーザのおもりをしていたのだが、今度は仮の婚約者として丁度いいよねという話になってしまった。
本当にそれでいいのかとルイーザは、ギルベルトのことを心配になって言った。
「簡単に承諾してよかったの? というかよく考えてみたら、ギルは結婚しないの?」
「……ああ、たしかに言われてみれば仮の婚約者のうちはできないか」
「うん、いいの?」
「いいっていうか、あんまり重要じゃないです」
ギルはさして考えずにそう言った。
その意味が分からずに首をかしげる。
「……だって、俺は主さま以外になにもないし、いらないし、それで主さまが楽できるなら俺も嬉しいし」
「……」
「健康に、できるだけ苦労せずに育って欲しいからそれでいいし……ああ、主さまの子供の面倒も見たいです」
「え、父親として?」
「なんでもいいですけどー、主さまから生まれた子ならきっとすごく大事なので」
「……」
「だから、俺はなんでもいい。主さま」
「うん」
「愛しています」
「……うん?」
彼の言葉にルイーザはランベルトとは違ったなにかを感じ取ったが、それに不快感はない。
彼のルイーザに対する思いは、愛だの恋だのを通り越したなにかとてつもないものな気がするが、それでもルイーザにとってギルベルトはただのギルベルトであってそれ以上でも以下でもない。
……はず、だよね?
自分がそうであるように、彼もそうだと纏めたかったが、それについては少々考える時間が必要なのであった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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