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記録3

 アイリスの件が落ち着いたとは言っても、キメラ化被験体は次々作られる。成果としての個体を出すまでこの仕事は終わらないのだ。

 クリムは欠伸を噛み殺しつつ、手元の書類を眺める。

 次にやってくる被験体の名はノクシア。能力は死霊操作。

 その内容にクリムは眉を顰めた。


「いいのかよこれ………」


 死霊魔術は禁忌だ。死体や霊を操るというのは死者の冒涜にあたるからだ。被験体の能力がそれと全く同じじゃないにしても、もしこいつを採用した時に倫理的にどうなんだと協会やらから苦情が飛んでくるに違いない。


「はぁ……」


 死霊系には良い思い出がない。クリムにとっては最も苦手な相手だ。

 クリムが憂鬱になっていると、ガチャ、と扉が開いた。

 入ってきたのは研究員と、棺桶のような長い箱。今更何が来ても驚かないつもりでいたクリムも流石に動揺を隠せなかった。


「お、おい、被験体はどうした?」


「この中です」


 研究員が蓋を開け、棺桶を覗き込むと中は寝具のようになっており、一人の小柄な少女が眠っていた。珍しい漆黒の髪と青白い肌。胸が動いていなければ死んでいると勘違いするところだった。


「寝てんのかよ……」


 クリムがそう呟くと、ぱちりと少女が目を開き、むくりと上半身を起こした。

 少女の眠たげな瞳がクリムを捉え、クリムは息を呑んだ。それは吸い込まれそうなほど黒く深さの見えない目で、何を考えているのか全く掴めなかった。

 そうして少女が口を開く。


「おはよう」


「え、あ、ああ、おはよう。君がノクシアだな?」


「そうだよー」


 見た目の異質さとは裏腹にごく普通でゆったりとした返事が返ってきた。


「おじさんは?」


「……俺はクリムだ。よろしくな」


 クリムは棺から出て立ち上がったノクシアが黒く装飾の多いドレスを纏っているのに気が付いた。

 服装に指定はないとはいえ大抵は病衣のような簡素な服を着せているものだが、相当可愛がられているのだろう。

 クリムが見ていることに気付いたのか、ノクシアはスカートを持ち上げてみせた。


「可愛いでしょ」


 こいつ自身の趣味か。

 クリムは一呼吸ついて、質問を始めることにした。


「好きなものはなんだ?」


「うーん、自分?」


「そうか」


 話を広げづらい。


「そんなことよりもさ、私が使えるかどうか調べる試験なんでしょ? なにすればいいの?」


「あー、そうだな……」


 また面倒なやつか。積極的なのは嬉しいが、調子を狂わされる。クリムは少し顔を顰めながら検査の説明に入った。


「よし、じゃあやって見せてくれ」


「はーい」


 ノクシアが軽く腕を振ると、彼女の周囲に白く半透明な球がいくつか現れた。


「そいつらは?」


「幽霊さんだよー私に協力してくれるって」


 彼女の能力、死霊操作は、周囲に漂っている霊達を可視化し自分の味方につけるというもの。そこまでは資料にも書いてあった通りだ。


「その霊で何ができるんだ?」


「んー、人をびっくりさせられるよ」


「他には」


「幽霊さんの力を借りれるよ」


「具体的には?」


「見た方が早いよ」


 ノクシアは浮遊する霊の一体にお願い、と声をかけると、霊が彼女の体に入り込んだ。そして彼女は手を差し出し、そこから小さな火を出した。


「こんな感じで、私は火を出す魔法とか魔術とか知らないけれど、幽霊さんのおかげで使えたり」


 ノクシアが別の霊に声をかけると、その霊が彼女の体に入っていたものと入れ替わるように入り込んだ。


「ペン、借りてもいい?」


「ああ」


 ノクシアはクリムが貸したペンを持ち、背筋を伸ばし、構えた。

 クリムは剣術などには大して明るくないが、その構えは隙のないものに見えた。

 そしてノクシアはゆっくりと動き出し、洗練された舞のような動きを見せた。


「どう?」


「すごいな、霊の記憶を使っているとかか?」


「うーん、記憶というか、幽霊さんが私の体を動かしてくれてる感じ」


 なるほど、彼女の言い方から察するに憑依の一種なのだろう。霊を自分に憑依させて、力を引き出す能力。より強い霊を憑依させれば、十分に戦力として役立つ。


「周りの霊がどんな力を持っているのかはわかるのか? 霊に協力してもらった時に何ができるのか、とか」


「んーなんとなくならわかるよ。さっきの幽霊さんなら熱い感じ、今の幽霊さんだと鋭い感じとか」


「結構感覚的なんだな」


 そこまで抽象的だとどの霊が使えるものか明確にわからずに困るかもしれない。どんな力を持っている時にどう感じるか、ある程度情報を集める必要がある。


 その後クリムは、検証も兼ねてノクシアにいくつかの霊を憑依させてみることにした。周囲に居た霊は五体。これを試して今日の検査を終わろう。

 彼女曰く、元気さで霊の強さも少しだけわかるらしい。クリムには元気さというのがよくわからなかったが、強い霊を判別できるならなんでもいいと諦めた。

 ノクシアが引き出す力は、その霊が最も得意とする能力のようで、検証として憑依させた五体の中には戦いに向かない能力もあった。例えば絵描き。クリムにはどう考えても活用法は思いつかなかった。他は斧術や格闘術などがあったがどれもほどほどに使える程度。


 そして最後の霊を試した時異変は起こった。

その霊が憑依するとノクシアはガクッと首を下げ、動かなくなった。


「……おい、どうした?」


声をかけても反応がない。


「…………わ、わた、し、私、あ」


 バッと顔を上げたノクシアの目は紅く光り、焦点が合っていなかった。明らかに様子のおかしい姿にクリムは気を張った。

 ノクシアはおもむろに手を掲げ、集ってきた周囲の霊がその周りを回り始めた。

 そして彼女が手を振り下ろした瞬間、霊たちはクリムに向かって真っ直ぐに突っ込んできた。


「うおっ、痛っ!?」


 霊はクリムに物理的な衝撃を与えた。

 どうやらノクシアは霊を可視化どころか実体化できるらしい。

 これはかなり使える。そもそも憑依させた霊の能力は何なのだろうか。

 クリムがそんなことを考える間にも霊は彼に向かって突撃してきた。クリムはそれを躱しながら、護身用のナイフを取り出した。小さめだがよく切れるナイフだ。


「おらっ!」


 試しに霊に向かって振り下ろしてみた。しかし霊はナイフをすり抜け、クリムを突き飛ばした。


「駄目か……マズイな」


 霊がどうにもできないなら、本体を止めるしかないだろう。

 彼女の霊を使った攻撃はそこまで速くない。十分回避可能な範囲だ。

 クリムはそう判断して再度ナイフを構え、駆けた。

 迫る彼に対しノクシアは霊を動かすが間に合わない。

 クリムが拘束のためノクシアの手を掴もうとした瞬間、彼女は手を前に突き出し、真っ黒な闇を吐き出した。


「あっ……」


 闇はクリムの体を飲み込み、机まで押し戻して叩きつけた。

 そしてクリムは気を失った。



 クリムが意識を取り戻すと、ノクシアは居なくなり、彼女を担当した研究員だけが立っていた。


「ふぅ……助かったか」


「呼んでくださって正解でしたね。彼女はかなり危険な状態でした」


 クリムは気を失う直前、咄嗟に机にあったボタンに手をかけていた。

 被験体の検査は基本的に、被験体評価への影響をできる限り無くすため担当の研究員は席を外し、部屋の外で待機することになっている。そしてクリムがボタンで呼ぶまで部屋に入ることを禁止しているのだ。

 ちなみに、万が一クリムが死んだ場合は、外部から監視している者が対処する。


「ノクシアはどうなったんだ?」


「……彼女は、完全に制御不能となったので、処分しました」


「そうか」


 研究員は感情が抜け落ちたような顔でどこか遠くを見つめていた。

 自分が担当する被験体を殺したんだ、心の傷は大きいだろう。

 あの自由な性格を許すくらいには可愛がっていたのだろうし、だからこそ今の彼の虚ろな目は痛ましかった。

 クリムは近いうちに彼を飲みに誘うことを決めた。


――――――


 ノクシアの一件が終わった後、クリムはその日の仕事をすべて明日に回すことにした。

 検査で死にかけたその日にまた違う被験体と顔を合わせる気には、流石にならなかった。

 少しだけ書類を整理して、クリムはアイリスの様子を見に行くことにした。

 アイリスが居るのは第二研究室。今はもう研究室として使われなくなった部屋を被験体の保管用に使っている。


 クリムが中に入ると、部屋にはいくつか檻のような個室が備え付けられており、そのうち何個かには被験体が入れられていた。

 多くはアイリスのように検査に落ちて処分待ちとなった者で、中には異常な行動をしたり、研究員に危害を加えたなどの理由で収容されている者もいる。

 アイリスは部屋の左奥の個室の中で、膝を抱えて座り込んでいた。

 処分が決まってからまだ日は浅いはずだが、彼女の髪はぼさぼさに乱れ、光の消えた虚ろな目で空を見つめていた。


「…………ああ、えっと、グリム?」


「クリムだ。思ったよりくたびれてるな」


「……そう、あんたのせいでね」


 もっと恨み言を言われるかと覚悟していたが、それ以上の言葉は返ってこなかった。


「あー……そうだな。調子はどうだ?」


「聞く必要ある? 見ての通りよ」


 彼女は吐き捨てるように、諦めと絶望の入り交じった声で返した。


「目を瞑ると勝手に声が響くから、ずっと目を開けてるの。ずっと」


 "声"というのは恐らく念話の能力によって受け取る、周囲の人間の思考だろう。


「……それで、何しに来たのよ」


「あることを伝えたくてな」


 これは、外に漏らしたら二人とも消される内容だ。だからこそ、クリムはアイリスの能力を使うことにした。


「目を閉じろ」


「嫌よ。私はもう他人の思考なんて知りたくない」


「いいから目を閉じろ。この話は他人に聞かれたらまずい」


「……わかったわ」


 アイリスは目を閉じ、クリムの頭に彼女の声が響く。


『で、何』


『お前の処分はなしだ。俺が逃がしてやる』


『……は?』


 アイリスの思考が止まったのがわかった。直後、驚愕、希望、疑問や不安といった言葉にならない感情の波が伝わってくる。


『落ち着け』


「なんで……!? どういうこと?」


『理由は色々あるが……まあ、俺が嫌になったからだ』


『嫌になったってそんな理由で』


『俺だって人間だ。日々違う被験体と会って、毎回処分を決める。もううんざりだ』


 アイリスは見ていないが、クリムは説得力を増すために手振りを交えながら話す。


『嘘じゃ……ないのね』


『ああ。もちろん』


 嘘ではない。だが、一番の理由でもない。

 クリムはアイリスの能力について、ある仮説を立てていた。それは、「対象の思考の表層しか読めない」ということ。つまり、隠したい内容から思考の焦点を外し、別の思考を被せることで、アイリスに見破られることを防ぐことができる。

 言い換えれば、彼女の能力は"考えないこと"で対処できると、クリムはそう判断した。


『俺が手を回したから、三日後のお前の処分は先送りにされる。その後は俺の連絡を待て。なんとか脱走の機会を作る』


『私は、何かすることある?』


『ちゃんと寝て、ちゃんと食っとけ。そんなんじゃ脱走までもたないぞ』


 クリムは懐から水と携帯食を取り出し、アイリスの目の前に置いた。アイリスは光の少し戻った目でぼうっとそれを見つめていた。まだ衝撃が抜け切っていないらしい。


『わかった……けどなんで、なんで私なの?』


『たまたま、逃がしてやれそうなのがお前だっただけだ』


 アイリスの能力は"使える"。とクリムは判断した。それは今も変わってはいなかった。

 彼女には十分成長の余地がある。クリムがここで処分することで失われるものは大きいと彼は考えた。

 たとえ宮廷魔術師が否定しようが、クリムは己の直感を信じたかった。


 そして、アイリスはどこか妹に似ていた。

 昔、病で死んだ五歳下の妹。気が強くて、いじっぱりな彼女は、ちょうど今のアイリスくらいの年齢だった。

 あの時幼くして亡くした彼女の影を、アイリスに重ねていたのかもしれない。


「ずっと、後悔していたのかもな……」


 クリムは不思議そうな顔をするアイリスに背を向け、静かに扉を開けて部屋を出る。

 扉が閉まる音だけが冷えた部屋に響いた。

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