4 生きるという自覚
さて、馬小屋だとは言え雨風しのげる建物を使えるようになったのは大きい。
「と言っても、本当に寝られるだけの部屋だけどなぁ」
この世界で言えば、馬は貴重な移動手段。
屋外につなぎっぱなしだと簡単に盗まれるからなのか、この馬小屋も下が土さらしになっていることと、出入り口が大きいこと以外は想像以上に広い個人的な空間が確保できている。
当然だが、電気水道などのライフラインは通っていないからそこら辺は不便な生活になる。
しかし店主の厚意で、わらとシーツ、それと古い毛布、さらに体を洗ったり洗濯する用なのだろうか大きめの桶も貸してくれた。
子供の俺とその道具たちだけじゃ、馬小屋が埋まるはずもなく、割と余裕なスペースの一角。
簡易的な藁ベッドに腰かけて、少し硬めの布のシーツの感触を味わいながらこの後の予定を考える。
「と言っても、やれることと言えば外であれをやるくらいだよな」
どんな理由で、どんな原因でと根本的なことは何もわからないけど、ここは勝手知ったる世界。
となれば、行動指針は割とあっさりと決まる。
「となると、まず最初に知らないといけないのは周りの土地勘だよなぁ」
馬小屋の中にあった小さな木の棒を手に取って、土の床にそっと線を引く。
「ええと、ここが王都レンデルで北の方に行けば行くほど敵が強くなるはず、南にしばらく進むとこの国で一番の港町があったはずだから……」
FBOの世界は四つの種族がそれぞれ治める四つの大陸と、モンスターがはびこる中央大陸の合計五つの大陸で構成されている。
北が獣人族、西が精霊族、南が人族、東が竜族。
それぞれの大陸でNPCの長が大陸を統括していたはず。
獣人族は文字通り、人と獣が混じったような感じの種族。
哺乳類系や鳥類系の人種がここに当たる。
精霊族っていうのはこの世界での魔法属性に則った地水火風に光闇雷氷の合計八種の属性を得意とするエルフやドワーフみたいな見た目の種族。
人族は俺みたいな日本で見かけるようなノーマン、子供かと間違えるくらいに小さな小人族のチルド、逆にアメリカとかでバスケ選手をやるような選手よりも大きな身長と体格を持つ巨人族のジャイアントこれが人族。
そして、最後の竜族だけど、これは少し勘違いしやすくて竜そのものが統治しているんじゃなくて、設定上は過去に竜と血を交わした人が始祖となって、体に竜の特徴を備えた人が増えたことによってその種族が生まれたと言われている。
所謂、爬虫類系人種だ。
「まぁ、どこの大陸でも冒険者としていろいろな種族がいるからなぁ。単純な比率の問題だけどな」
統治していると言っても、この世界にいればいずれは出会うことはできる種族ばかり。王族や貴族みたいな地位の高い人種を除けばの話だ。
実際、この馬小屋を貸してくれた店主の奥さんは狐の獣人、娘のネルもそうだ。
最弱の子供である今の俺に種族能力の差は関係ない。
後々は考慮しないといけないよなぁ。
「仲間を集めるのは俺がある程度強くなってからの話だ」
このゲームは一応ソロでも攻略できるようになっている。
オフラインモードではストーリーをメインに攻略し、オンラインではプレイヤー同士で協力するクエストもあったが、難易度を度外視すればソロでも攻略できるようにはできている。
だけど、仲間がいるかいないかの差は今後のことを考えれば雲泥の差ともいえるくらいに生きていくのに苦労の差が出る。
そしてそれは俺自身の未来にも影響してくるのは間違いない。
「そうすると、ここはひとまず王道のあれで行くのがベストか?」
この体の年齢は飯もろくに食べていないからわからないけど、高く見積もっても二けたはいっていないはず。
そんな小柄で幼い体でできることなどたかが知れている。
だけど、ここで手を抜いたら後々苦労するのが目に見えている。
「そうと決まればさっそく……ん?」
手元にあるお金の残金を考えれば今は時間が惜しい、明日の準備も兼ねて少し出かけようと思った。
だから今の今まで気づかなかった視線にここで気づいた。
「ええと」
「じー」
「口でそんなこと言うの初めて聞いた」
扉が少しだけ開けてあって、そこから覗き込む小さな影。
ピンと張った、綺麗な赤毛のおさげをした狐耳の少女。
店主の娘のネルが俺を観察していた。
子供の体とはいえいきなり見知らぬ男が家の近くの馬小屋に住み着いたと知れば興味がわくのもわかるけど、こうもわかりやすく見張られるとどう対応すればいいのかわからない。
「えっと、何かあった?」
「変」
「え?」
「さっきから一人でぶつぶつと何か言ってた。あなた変よ」
「うっ」
誰もいないからって、自分の現状を整理するために独り言をつぶやいているのを聞かれていたのか。
羞恥心から、ちょっと心にダメージを受けた。
その間にネルは空いた扉の隙間から体を差し込んで中に入ってきた。
「これは何?」
好奇心旺盛な子なのだろうか。
ついさっき知ったばかりの男と二人っきりの空間に入ってくるなんて。
「えっと、地図?」
そして地面に描いた俺の地図らしき丸と四角で構成された世界地図というには烏滸がましい代物の答えを言う。
「ちず?」
しかし、この世界で地図というのはあまり周知されていないのだろうか。
いや、この歳で地図という代物を知っているのも珍しいのか?
「えっと、ざっくりとしたものだけど、この俺たちの住んでいる世界の絵みたいな物?」
「……ふーん」
じーっと、俺が描いた地図モドキを見ている。
「えっと、面白いか?」
「ぜんぜん」
「そ、そうか」
見た目は子供だけど中身は大人だから、子供の興味というのはよくわからない。
「ねぇ」
「何?」
十秒くらい、地図モドキを見ていると俺の方を見て指をさしながら声をかけてきた。
「私が住んでいる場所ってわかる?」
「だ、だいたいなら」
「どこ?」
「えっと」
この世界の地図はゲームをしているときの記憶が鮮明に残っているから大まかな場所ならわかる。
「ここらへんかな」
南の大陸の王都は、大陸中央よりも南に位置している。
これは中央大陸に近づけば近づくほど強力なモンスターがいるからだ。
南大陸の北の最果ての砦がこの大陸で最強のモンスターがいるエリアが存在するから王都はある程度離れた位置に存在するわけだ。
「ふーん」
それを知ったからと言って、ネルは何が楽しいのか俺が木の棒で差した先をじっと見る。
「こっちには何があるの?」
「南の方にはたくさんの村と一つだけ街があって、その先になるとまたたくさんの村を経由して大きな港街があるよ」
そしてさらに南の方に指された小さな指の先を記憶を呼び起こしながら答えてみる。
「……ふーん、じゃぁこっち」
「えっと、西の方は村があって……」
そこから始まるのは、あっちこっちと小さな指を動かしての質問攻め。
時間があまりないけど、ここの店主の娘だ。
嫌われたら追い出されるかも。
せっせと質問に答えていくことどれくらい時間が経ったか。
「じゃぁ」
気づけば、ニッコニコと笑いながら質問を投げかけてくれるようになった。
知らないことを知れるのは楽しいのだろうな。
「ネル!ここにいたのね」
「お母さん」
その楽しみを中断されて、少しご機嫌斜めになった様子。
俺とネルの会話が聞こえたのか、奥さんが腰に手を当ててため息を吐いていた。
そんな奥さんのもとにネルが小さな足で駆け寄ると。
「お母さん、お母さん、リベルタがいっぱい教えてくれたの。あのね、みなみっていう場所に行くとおおきなふねっていうものがたくさんあるの」
「あら、よくそんなことを知ってるわね」
「私、大きくなったらお父さんみたいな立派なぎょうしょうにんになるの。だから、外のこといっぱい知らないといけないの!」
「ネルは勉強が好きだものね」
俺が教えた内容を笑顔で報告している。
親子の何気ないやり取り、若干驚いて、俺がそんなことまで知っていることに怪しんでいる様子だったが、俺が変なことを教えていないことにひとまずは安堵しているようだ。
「商人は頭が良くないとダメなの!」
「あの人ったら、もう、娘に何を教えているんだか」
前途有望な少女の未来に、微笑む母の絵は尊いのだが。
「あら」
「お母さん、おなかすいた」
「でしょうね、晩御飯の時間だから呼びに来たのよ」
その少女のお腹がかわいく鳴き。
あっという間に現実に戻ってきた。
お腹に手を置き、知的欲求よりも食欲の方が勝ったネルを見てクスクスと笑い。
「娘の相手をしてくれてありがとう、あなたにはこれね」
手に持っていた籠を俺に差し出してくる。
「ありがとうございます」
「いいのよ、あの人が決めたことだし」
受け取ってみれば、パンとシチューみたいなものが入っている。
「籠と食器は食べ終えたら裏口の前に置いておいてね」
「はい、ありがとうございます」
「リベルタ」
「うん?」
「またね」
「うん、また」
今日の俺の晩御飯が確保できたことに嬉しくなり、きっと今の俺は笑顔だろう。
だから、無邪気に手を振るネルに向けて俺もきっと無邪気に手を振ることができた。
「さて、冷める前に食べるか」
まだ温かいことから、作り立てを持ってきてくれたんだろうな。
「いただきます」
ありがたくいただくために、手を合わせてその言葉を紡いでからパンを手に取りかぶりつく。
「……硬い」
日本にいたころにこんなに硬いパンと出会ったことがあっただろうか。
いや、ない。
バゲットでももう少し柔らかいだろ。
危うく歯が砕けるかと思った。
「レベルが、レベルがあればこの体でもかみ砕けるか?」
この世界の強さの根幹。
レベル、それはモンスターを倒すことによって手に入る神の恩恵と言われているこの世界の種族全員が得られる力。
そしてこの世界の強さ主義の根底。
「いやいや、そんなもののためにレベルを上げるなんてもったいない」
それがあればこの硬いパンも快適に食べられるはずと脳裏によぎるけど、諸事情により簡単にレベルを上げるわけにはいかない。
であれば、気合でこの難敵に挑むほかない。
「シチューに浸して、かろうじて食べられるか……」
水っぽい、そして味も薄味、さらには具も少量のシチューにこの黒くてかたい物体を浸すことで食べれることが判明。
もさもさとした食感を味わいつつ、あこがれの世界には来られたけど、日本の米文化が早々に恋しくなるとは思わなかった。
「グス、日本ってかなり恵まれていたんだな」
肉串を食べて、その時は空腹という名の最高のスパイスがあったから気にしなかったけど、ある程度余裕ができるとそこら辺のダメージが遅れて来た。
「できるだけ早く、強くなってこの生活から脱出しないとな」
ダメージを受けて、そのままへこたれても何も改善しない。
むしろ、ここで落ち込んだら早々にゲームオーバーしそうな気がする。
「ご馳走様」
人間、満腹になれば意外と気持ちは回復する。
太陽光しか明かりのないこの馬小屋では、夕暮れが過ぎればあっという間に暗くなってしまう。
食べ終わるころには、もう日が落ちる直前。
食べ終えた食器をかごに入れて、言われた通り裏口に置くと暗くなる前に馬小屋の中に戻る。
「明日は、朝から動かないと」
そして少しもさっとするベッドに入る。
肌寒いとまでは行かなくても、暖かいとは言えないような気温。
ごわごわとした、少なくとも日本では売り物にはならないような毛布をかぶる。
日が暮れたからここまで寒くなるんだ。
ゲームの時は知らない感覚。
この感覚がより一層、この世界がゲームじゃなくて異世界だっていうのを俺に教えてくる。
楽しみの中に冷や水を差された。
きっとこれが不安なんだろうな。
誰もいない、なにもない、常識が通用しない。
この世界に来れた、この世界で知識が通用した。
たった二つの事象が、俺に興奮という名の不安を打ち消してくれるきっかけを与えてくれたんだろう。
「ここからが、本番」
たった一日、だけど、ここまでがチュートリアル。
明日から本格的に動く。
俺が考えている通り、俺が想像している通りのことができるのなら間違いなくうまくいく。
上手くいくはず。
考えて、考えて、考えるほど。
不安っていうのは案外ぬぐえないモノなんだな。
結果が出るまではあくまで仮定でしかない。
何か実績がなければと不安になってしまう。
「ああ、生きるって、こんなに大変なんだな」
憧れだけでは一日しか持たなかった。
だけど現実が、生きるならもがけと背中を押してくる。
日本でなんとなく生きていた。
仕事があれば生きていけた。
頼れる隣人があそこにはいた。
恵まれていた、ああ、確かに恵まれていた。
「だけど」
そしてその恵みはこの世界でもあった。
知識に有ったクエスト、手を差し伸べてくれた店主、笑顔でなついてくれたネル。
「もう少しだけ、頑張ってみよ」
その温かみを糧に、目をつむり俺は最早寝るしかないこの日を終えるのであった。
読んでいただきありがとうございます。
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楽しんでいただけたのなら幸いです。
そして誤字の指摘ありがとうございます。