29 必要経費
弱い者いじめというのは、俺は心底好きではない。
ゲームで初心者プレイヤーを嬉々として襲う性格の悪い古株のプレイヤーは少なからず存在する。
そういった卑劣な行為は、VRMMOというゲームジャンルが確立し、広く普及した段階で格段に増えた。
現実世界ではできないことが、ゲームの世界の中ではできる。
自分の中に潜在的に眠っていた暴力性、あるいは普段から溜め込んでいた鬱憤、はたまた元から自覚していた凶暴性を開放したいという願望。
当時はそういった電脳空間での暴力志向の顕在化を防ぐために規制法を制定すべきだという運動もあった。
そして一部ゲームシステムに実際に規制がかかりもしたが、アンダーグラウンドな界隈ではその規制を掻い潜ったシステムを使ったゲームが作成され、それにのめり込み、挙げ句の果てに現実でもその暴力性を披露したプレイヤーが逮捕されたというニュースもあった。
その犯人は言った。
『戦うのが楽しいからだ』と、しかしそのプレイヤーが現実で戦った、というよりも襲ったと言うべき相手は気弱なサラリーマンだという。
一切の抵抗を許さず、一方的に危害を加えることを喜ぶ快楽は俺にはわからない。
戦いは、双方が互角に戦えて、そして互いにリスクがあるからこそ楽しいという信条が俺にはあるからそう思うだけなのかもしれないが。
「なんなんだよ、お前」
少なくとも俺より弱いジャカランを殴り続けることに俺は楽しみを見いだせなかった。
一発殴られたらそれを躱して、一発殴り返す。
それを延々と繰り返している。
FBOをしていた時から俺はジャカランというキャラクターを心底嫌悪していた。
様々な悪役キャラがいる中で、こいつだけは絶対に好きになれないと思っていた。
いや、今でもそう思っている。
こいつは臆病で、小心者で、卑怯者。
力に溺れ、自分より弱い者しか相手にできなくて、それができなければ逃げる。
「ほら、立つでござるよ」
だから、こいつと相対するときどんな感情で臨むかと、この現実の世界でジャカランの存在を知った時からずっと考えていた。
弱い者いじめは好きじゃない。
では、こいつを倒すときに必要な感情は何か?
正義感か?いや、俺はそんな高尚な物は持ち合わせていない。
義務感か?いや、そんな使命は帯びていない。
では何かと、思いながらたどり着いた結論は、迷惑を防ぎたいからという防衛本能が一番近いのだと納得した。
だがこいつを排除するという根本からの解決は、今はできない。
だから、せめてこれ以上の被害を防ぐために、互いの戦力を疑似的に対等にして、それでも自分よりも強い奴がいると言う恐怖を奴の意識に植え付けることにした。
ジャカランが素手だから俺も素手で、そして俺の方がレベルは上だから此方からの先制攻撃を封じて、ジャカランが一発攻撃したら、俺も反撃で一回だけ、利き手じゃない左手のみで攻撃すると制約をかけた。
絶対に敵わない敵がいる。
それに困惑し、怯え、そして必死に虚勢を張るジャカランの目を冷めた目で見る。
この世界は現実。ゲームじゃない。
本当だったらこんな弱い存在を叩きのめすだけの行為などやりたくなどない。
だが、こいつ相手だと罪悪感を欠片も感じないのは、この世界の常識に俺が染まりつつあるからだろうか。
あの時、嫌いという部類に入る狂楽の道化師を殺した時の感触は今でも覚えている。
その感触は今でも俺の心にこびりつき、人を殺すことへの嫌悪感を思い起こさせる。
嫌いだからという理由で、殺すことは俺にはできない。
危険だからという理由で、ギリギリ、だけど殺すことは躊躇ってしまう。
ついさっきスライムに殺されたこの組織の人間は残したら後々大変なことになると判断し、必要だからという理由を自分に言い聞かせて覚悟を決めた。
PvPの対人戦でゲーム内では疑似的な殺し合いをしているから、心理的なハードルが低くなっているかと思いきや、そんなことはない。
ゲームの対人戦なら、終われば戦っていた相手から声がかかる。
それは『強かった』と敢闘を称える声だったり、『ズルしただろ!!』と罵声を浴びせる声だったりもする。
しかしどちらにしろ相手が生きているという証明になるから、気軽に戦うことができた。
だけど、ニュースで流れた事件のように、そして今戦っているように、もしここでとどめを刺してしまえば相手は二度とその声を発することはない。
「クソオオオオオオオオ!!!!」
こうやって雄たけびを上げてジャカランは殴りかかってくるが、ダメージが蓄積して動きが鈍くなったその攻撃を躱し、そして。
「グホォア!?」
再び腹の同じ箇所を殴る。
よく、漫画やアニメで殺しに対して抵抗がなくなったと言う主人公のセリフを聞く。
そして異世界では殺すことに、主人公は最初は躊躇うも、すぐに順応するという描写を見かける。
その事に対して、殺しが悪とされる日本で、架空の世界の話とは言えそんな簡単に適応して殺しができるのかと思うことが多々あった。
実際に狂楽の道化師との闘いで初めて人を殺した時は、全身から熱が無くなったと思うくらいに寒気がした。
こんな感覚は二度と味わいたくないと思う反面、人間、経験を積むと割り切るという防衛本能を身に着けることができるということもわかった。
この嫌悪感に身を任せ何もかもを諦めるには、俺は強欲過ぎた。
まだやりたいことがある、そしてまだ生きていたい。
その二つの欲求があればこそ、日本人の倫理観を守るのは、『異常者にならない程度で良い』という精神安定的結論にたどり着いた。
郷に入っては郷に従え。
日本人の倫理観を徒に異世界に持ち込む方がおかしいとつくづく痛感する。
では、そう言うことであるのなら、ジャカランという害悪に対して、嫌悪感に蓋をして殺してしまえばいいのではと思うかもしれない。
人を殺すことへの嫌悪感はあるが、人として許せない醜い行為を見た後だと、これならいいかと割り切りやすい。
だが、こいつは蛇を釣る餌だ。
そしてそんなに易々と割り切り続けると、その割り切りのハードルが下がりすぎてしまう。
「クソォオオオオ!!!!」
「遅いでござるなぁ」
「グホォ!?」
英雄という看板に泥を塗った輩をどうするか。
その動きをもってして、蛇の居場所を探る。
確実に後顧の憂いを断つために、こいつには生きていてもらわねばならない。
この場にいる観客は証人、そしてジャカランが敗北したという事実を周知してもらうための口。
と言ってもこの騒ぎに刻一刻とスライムたちが近寄ってきているから何人生き残ることやら。
何度も何度も同じ箇所を殴り続けているから、そこだけ青黒く痣になっていて、ジャカランの呼吸も怪しくなってきている。
「ふむ、潮時でござるか」
そしてそのころにタイムアップがきた。
どういうことだと腹を押さえながら俺を見上げるジャカランに向かって、俺はにっこりと目元に笑みを浮かべ、そのまま視線を出入り口の方に向けてやると。
「も、モンスターだ!?」
「なんだと!?」
「警備はどうなっているんだ!!」
「お、俺を守れ!!」
そこには人の気配に引き寄せられたスライムたちがいた。
その存在への恐怖でパニックに陥った観客たちは、一斉に壁際に逃れ少しでもモンスターから距離を取ろうとしている。
「スライムだと!?」
そのモンスターの正体をシャリアは知っている。
傷を押さえ、モンスターと戦えるかと心配している彼の元にジャカランを放置して近寄る。
その道中でリングに刺した槍を抜き、背中に収める。
「さて、この騒ぎに乗じて逃げるでござるよ」
「え?ちょ。おま!?」
一見美女に見えても、シャリアが男だとわかっている俺は妙に色気のある彼を迷わず俵担ぎにして、檻を切り裂いた場所から外に出る。
「さて英雄殿、あとは任せたでござるよ」
そしてわざとらしくこの場を任せたと手を上げて挨拶をすることで。
「そ、そうだ!私たちには英雄ジャカランがいるではないか!!」
「頼む!ジャカラン様!!」
「モンスターを倒して!!」
このモンスターはジャカランが倒すという流れができる。
わざわざスライムを用意したのはこのためでもある。
「さてさて、モンスターは英雄殿に任せて逃げるでござるよ」
「逃げるって、入り口は」
「大丈夫でござる!ちょっと痛むでござるが、しっかりつかまっているでござるよ」
唖然としてスライムを見るジャカランを放置して、俺はシャリアを担いで、スライムの方向に突撃。
入り口は3体のスライムがみっしりと詰まっていて、普通には通れない。
そのままぶつかるか否かというタイミングで、走り高跳びの背面飛びの要領で、上部にわずかにあった隙間を飛んで通り抜ける。
「そんなの有りか!?」
「有りなんでござる。ニンジャなので」
「ニンジャすげぇ!?」
空中を飛びながら、顔面すれすれでスライムの隙間に飛び込み、そのまま通り過ぎることに成功した。
華麗にそのまま着地して、絶望している観客、そしてジャカランに振り返り。
「生きていたらまた」
「あばよ!!」
嫌味ったらしく、あとは頑張れと応援をしておき、シャリアはしっかりと痛む体に鞭打ってジャカランに中指を立てている。
男らしい態度を意識していると言ってもそれはちょっとと思いつつ俺は、ずるいぞ!!と叫ぶ観客たちを背にして走り去る。
まぁ、普通に考えて関係者通路の方に逃げればいいとは思うが、警備員を倒している間にこっそりとそっちの出口の方にも細工をして開かないようにしてあるからより追い詰められてテンパるあいつらを見れないのはちょっと残念だ。
暗部の連中はいつ頃気づくかねと、スライムでテンパっている奴らのことなど放置して、そのまま出口へとまっすぐ進む。
仮にあいつらが全滅してもスライムに食べられてしまえばアジダハーカの生贄判定にはならないからセーフ。
何もかも消化するスライム様様だ。
「おい!逃げるのはいいけどよ!入り口には見張りがいるし、この建物中にはあいつらの仲間が」
「大丈夫でござる。しっかりと全部倒しているでござるよ」
「マジか!?」
「ニンジャでござるので」
「ニンジャすげぇ!?」
出入り口までの道のりで接敵は一切なし。
スムーズに進んでいると、登り階段が見えて、そしてそこに初めて警備員がいる。
「なんだ!?」
「あいつ!前に捕まえた冒険者だぞ!!」
「クソ!仲間が侵入して助けに来てたか!!」
流石に入り口付近の敵を始末してたら外にいるやつらにバレて仲間を呼ばれるから放置してた。
現在、シャリアを担いで走っているから両手は塞がっている。
だけど、問題なし。
「止まれ!!」
「それで止まる馬鹿がどこにいるでござるか!!」
そのまま加速して、一気に間合いを詰めると俺のスピードについてこれない警備員たちはそのまま飛び蹴りを顔面に浴びて、奥歯を残して他の歯を全てへし折られることになった。
「うわぁ、容赦ねぇ」
「ニンジャでござるから」
「おまえ、すべてニンジャって言ってればいいと思ってないか?」
「ニンジャでござるから」
白い物体が宙に舞う光景を、シャリアは移動最中の痛みで顔をしかめながら呆れた目で見ている。
そのまま階段を駆け上れば、その先には隠し扉となっているはずの大きな鉄扉が待ち構えている。
「おいおいおいおい!まさか!?」
「口は閉じておいた方がいいでござるよ。舌を噛むでござる!!」
なんだかノリと勢いでござる口調を使っている気がしたが、そんなことは関係ない。
加速し、本来であれば蹴りぬけないような鉄の扉めがけて本気の飛び蹴りを放つ。
人体が出してはいけないような打撃音が響き、その勢いのまま扉が衝撃の方向に吹き飛ぶという惨事が発生する。
それと同時に、飛竜のダンジョンのときに使った煙幕を発動させる。
「なんだ!?地下で爆発か!?」
打撃音が爆発音と勘違いされ、同時に吹き出てきた煙幕に外の見張りは大混乱。
その隙に気配探知で索敵し、そのまま入り口に向かって脱出する。
騒ぎを聞きつけて、暗部が来るのは時間の問題。
それよりも先にこの場所から逃げ出す。
そして先に逃げたジュデスたちと合流しないといけない。
「アハハハハ!すげぇ!あんたすげぇよ!!」
痛みと興奮でテンションがおかしくなったシャリアを背負い、そのまま全力疾走で明るい街中を走る。
もう少し静かにしてほしいなぁと思いつつ、疾風と化した俺は急いで集まってきた暗部の追跡を振り切るために右へ左へと路地裏を通り。
「!?」
気配探知で見つけた暗部の顎を思いっきり蹴りぬいて相手の監視網に隙を作ってから逃げるのであった。
楽しんでいただけたのなら幸いです。
そして誤字の指摘ありがとうございます。
もしよろしければ、ブックマークと評価の方もよろしくお願いいたします。