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道なりに進んで行くと森に入った。日も暮れ始めているから今日はここで野宿になりそうだ。
「さすがにランタンだけでは夜を越せませんね」
簡単な炉を作るために、シンは小枝を、俺は石を探した。こうやって、黙々と形のいい石を探していると懐かしい気持ちになる。テネブルにいた頃も、こんな風に誰かと夜を明かしたのか。何百年も前のことを思い出そうとすると記憶が断片的になって、自分の想像なのか現実なのか分からなくなる。だが、懐かしむということは、頭が覚えていなくても、身体が記憶しているということだ。だから、これは現実にあったんだ。そうやって、いつも自分に言い聞かせては、その『現実』がはっきりと顔を出すことは無い。
「シエンさん」
真横から急に声がして、全身が硬直する。
「なんか心ここに在らずって感じですけど、もう眠くなってるんですか?」
例のごとくニヤリと笑っている。
「……ちょっと考えごとをしていただけだ」
「へー。エルダのことですか?」
心なしか声のトーンが下がった気がする。
「いや、エルダは関係ない」
「ふーん」
俺もう集め終わったんで、と言うと先に野宿する場所に行ってしまった。なんだか、エルダの話題になると機嫌が悪くなるような気がする。
石を集め終えると、俺も野宿所に向かう。もう日も暮れる寸前で辺りはだいぶ暗くなっている。シンは荷物からナイフや食料を取りだしている。機嫌は治っているようだ。
「もーシエンさん遅いですよ。日が暮れちゃうじゃないですか」
「すまない」
特に言い訳することもなかったので素直に謝った。
「冗談ですって」
最初に会った時の『神々しいと思ってる』が嘘なんじゃないかと思うくらい軽口を叩いてくるな。
「食事の準備か?」
シンの前には、何種類かの野菜が並べられている。緑、橙、赤……ざっと目立つのはこの色だ。
「そうです。簡単な野菜炒めですけど、野宿玄人シン特製のスパイスで味付けしてるので、ただの野菜炒めとは言わせませんよ」
そう言って、慣れた手つきで野菜の皮を剥いていく。途切れることなく螺旋状に続く野菜の皮を眺めては、最後に料理をしたのはいつだったか考える。
「シエンさんも剥いてくださいよー」
「ああ」
思い出せない。
とりあえず、ナイフを手に取り、丸い野菜を剥こうとした――が、
皮の剥き方が分からない……。
手に取ってみればできると思ったが、いざ剥こうとすれば手が止まってしまう。
「また考え事ですが?」
シンが少し心配そうに俺を見る。
「いや、実は最後に料理をしたのがかなり前で、皮の剥き方が分からないんだ」
シンの動きも止まる。
絶句しているように見えるが気のせいだろう。
「え……」
絶句していた。
「料理しないって、どうやって生きてきたんですか?」
「精霊族は、ほとんど食事をしない。そもそも精霊族は人間と身体の外的特徴は似ていても、内部構造は少し異なる。俺たちは、生命から発せられる魔力をエネルギーに変換できる」
「じゃあ、食事をする必要が無いんですか?」
「それは違う。生命から得られるエネルギーはあくまで生きる活力のようなものだ。それさえあれば生きることはできるが、身体が衰えてしまう。身体の器官を正常に保つためには食物を食べる必要があるんだ」
シンが改まって俺を見る。じゃあ、なんで料理をしないのかって顔だな。
「そして、俺たちは食物から得るエネルギー変換効率が人間よりも優れている。どれくらい優れているかと言うと、リンゴ一つと豆ひと握りで、人間で言う一週間分の食事量になる」
「一週間っ?!」
さっきまで淡々と聞いていたが、一週間という期間にはさすがに驚いたようだ。
「シンは、わざわざ週一回の少量の食事のために料理をしようと思うか?」
んー、と顎に手を当てて一点を見つめている。
「でも、リンゴだけずっと食べててもさすがに飽きるじゃないですか。だから、たまには料理すると思います」
人間は欲深い生き物だ。ただ、種族を存続するために生きているだけの生物が五万といるのに、生きるための活動にも娯楽を求める。
「そうか。俺たちは、人間と違ってそういう感覚に疎い。だから、食べ物に特にこだわりは無いから料理もしないんだ」
「そうですか……」
シンの表情が少し曇った。
どうしてさっきからたまにこういう顔をするんだろう。人間は共感されたい生き物だから、人間とは違う俺の意見がおもろしくないのだろうか。
「なにか不満があるなら言ってくれ。数ヶ月とはいえ、これから一緒に旅をするんだ」
すると、シンは慌てた様子で俺の方を見た。
「え!いや、不満とかそういうのじゃなくて……」
何か言いたげだが、口の中で言葉を転がすだけではっきり言わない。曖昧にされるのは好きじゃない。
「何を言っても怒ったりしないからちゃんと言ってくれ」
シンは口を尖らせて言った。
「気まずく思わないでくださいよ」
「ああ」
「俺、シエンさんと旅するの楽しみだったんです。最近は、親父も忙しくてご飯食べるのひとりだったし、エルダの家に行くまでも一人で来たから話し相手もいなかったし。あと、クラルテの食べ物の話とか生活のこととか色々聞きたいと思ってたし……」
「つまり、話し相手が欲しかったということか」
「……いや、ちょっと違います」
心なしか冷めた眼差しを向けられている気がする。敬っているはずなのに失礼じゃないか?
「もちろん話し相手は欲しいですよ。でも、それは俺が一方的に話すんじゃなくて、シエンさんからも話して欲しいんです」
「俺も話してただろ」
「話してましたけど! それは、俺が言ったことに答えてただけで、自分から話してくれないじゃないですか! シエンさんが振ってきた話題『俺とエルダとの関係』と『食事の準備か?』だけですよ?!」
言われてみればそんな気もする。
人と話してなさすぎて、会話の仕方を忘れてしまったようだ。
「人間に興味ないことは薄々感じてましたけど、一緒に食事をすれば気持ちも緩んで話してくれるかなって思ったんです」
「人間に興味がない? 俺はそんな風に見えるのか」
「気づいてないんですか? シエンさんは人間についても俺についても聞いてこないし、エルダのことを話す時もどこか他人事みたいに聞こえます」
一瞬、心臓を掴まれたように、ヒヤッとした。この感じは、図星を突かれた時の感覚だ。
それに、なんだかこれはデジャヴな気がする。
「シエン様は人間が好きですか?」
急に、エルダと初めて会った日を思い出した。
無邪気で、だけど、どこか見透かすような声色でそう言われた。
あの時も今と同じ感覚だった。
そして、答えることが出来なかった。
そうか、俺は人間に興味がないんだな。
しかも、それが表に出てたなんて、最悪だ。十七歳の子供に気を使わせて。大人として……というか、七百年も生きてるのに情けない。
「すまない。本当に気づかなかった」
罪悪感からシンの顔を見れなかった。
「あーもう! 気まずくならないで下さいって言ったじゃないですか」
表情は分からないが、怒っているような、呆れているような声色だ。
「大体、最初からシエンさんが人間に友好的だとは予想してませんでしたよ。さっきも言った通り、神様的な存在だと思ってたし、人間より遥かに生きてるならもっと偉そうだと思ってました」
そんな傲慢な存在だと思われてたのか。いや、結婚相手を知ろうとしないことも同じか。
「でも、実際話してみたら礼儀正しいし、この世界のこと知らない俺にも丁寧に教えてくれて、思ったよりもいい人だと思ったんです。だから、その……」
シンの言葉が止まった。
足元を見つめて黙ったかと思うと急に顔を上げる。
「だから、シエンさんと仲良くしたいんです!」
「?!」
仲良く??
予想外の反応に、動揺する。
てっきり嫌われてしまったのかと思っていた。
「もっとシエンさんのこととか、精霊族のこととか知りたいし、人間のことも知って欲しいです」
目を白黒させて戸惑っている俺に、真っ直ぐな目を向けるシン。
正直、知ったとしても時間が経てば、どうせ消えるものに興味なんて持つだけ無駄だと思う。だが、こんなに素直に気持ちを伝えてくれた相手を無下にすることは、俺の信条に反している。それに、俺が人間に興味を持たないのは、もっと違う理由がある気がする。それを知るには相手を知る必要がある。
「分かった。これからは、互いに知り合えるよう努力する。だが、実を言うと、ここ百年以上まともに人付き合いをしてこなかった。だから、上手くできる自信はない」
シンの目に光が戻った。
「心配には及びません。シエンさん食事はできるんですよね?」
「ああ。食べることはできる」
「じゃあ、人間流の仲良くなる方法を教えてあげますよ」
シンは、得意げな顔でそう言った。