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第九話 うしろの正面、狐の面(二)

「ご無沙汰しています」

 女学校の前であった、あさは以前はくまのぬいぐるみを持ち、知らない人とは口を聞けないという人見知りだったが、今は他の少女と変わらない姿に直は安堵する。

「元気そうでよかった。今は女学校に?」

「はい。婚約者も学業を優先していいと言ってくれているので、卒業までは学業に専念するつもりです」

 婚約者という言葉に直は驚いてしまったが、元々は男爵家のご令嬢だった子だ。婚約者がいてもおかしくはないと思い直す。そのことに気づいた兄さまが軽く、耳打ちをした。

『女学校は良家のお嬢さんが多いから。大抵の場合が婚約者が決まっているんだ』

 あさは直の大丈夫なのかという視線を感じたのか、彼女は微笑む。

「お父さまがああなって、本当は婚約を破棄されてもおかしくはなかったんです。でも彼が父と私は関係ないと言って、婚約は継続されることになりました。見た目は屈強な方ですが、とっても優しい人なんです」

「ああ。彼はいい人間だから、直も心配することない」

 あさに続き、兄さまも婚約者の人柄に頷く。兄さまが言うのなら間違いないだろう。彼女が父の事件を引きずっていないようで、直はよかったと思う。他の女学生の姿が見えたことで、あさは自分たちを校舎内へと案内すると、ひとつの教室の鍵を開いた。

「此処は?」

「授業が終わったあと。生徒たちは自分が好きな趣味の活動をすることが出来るんですが、教室も事前に先生に申請すれば貸して貰えるんです」

 あさは直たちに腰掛けるように促すと、お湯を沸かしたあと、真っ黒な液体を直たちの前に出す。兄さまが美味しそうに飲んだことで、直も恐る恐る、口にしたがあまりの苦さに噴き出しそうになってしまった。

「あささん、牛乳はあるかな? 直のお子さま舌にはまだ早かったようだ」

「な、なんですか。この墨汁みたいな液体は」

「コーヒーだよ。貴重な一杯だ」

 まだ舌がピリピリするような感じがしてしまう。兄さまは辛いものは苦手な癖に、苦いものは平気だったらしい。あさは申し訳なさそうに温かくした牛乳を直の前に差し出した。

「直さんは苦いものがお好きではなかったんですね。すいません」

「いや、大丈夫です」

 妹と同じ年頃のあさの前では格好をつけたくて、再度、挑戦しようとするものの、兄さまに直のコーヒーまで飲まれてしまう。仕方がなく、甘い牛乳をちびちびと飲む直を見ながらも、あさは話を始める。

「直さんたちが私に会いに来たのは、千代さまと文子(あやこ)さまのことを聞くためですよね? 学年が違ったので噂くらいしか知らないですが」

「話してくれるか?」

「ええ。私が知っていることで良ければ」

 あさの話でも学内では姉妹のように仲のよいふたりを影で『エス』と呼びあい、男女の関係とは変わらないよう振る舞っている少女たちもいるという。中でも千代と文子の関係はふたりの距離の近さに恥じらいを覚えて、目を逸らしてしまうような女学生たちも多かった。

 そんな関係を危ぶんだのか、千代は親から早々に女学校を卒業させられ、文子との関係を切るように言われた。そこで、千代は事前に学内の『誰か』から薬を入手していたらしい。

 叶わない恋を貫きたければ、図書館の本にある花を描いた栞を挟めば希望は叶う。

 そう女学校では噂をされていたが、千代は実際に図書館の本に栞を挟んで薬を手に入れ、文子の前で花になった。その花を押し花の栞として大切に持っていたらしいが、千代が消えたことで千代の家族は文子を問い詰めた。彼女はいずれ、あの子を追いかけるつもりだったと、千代の家族の前で薬を飲み、文子への想いを遺すようにチューリップへと姿を変えてしまった。

 この事件は女学校の中で生徒たちに黙っておくようにと教師からも言われたが、今でも、ふたりのように自分たちの恋を守りたいという女学生たちもいるらしい。

「私の知っている話はこれくらいなんですが。安曇さまたちはこれから、女学校に入られるおつもりなんですよね?」

「なにか問題が?」

「おひとり。学内で薬を融通している方に心当たりがあるんです」

「本当か?」

 兄さまの問いかけに、あさは頷く。

「はい、白鳥さまという陸軍で階級を持つお父さまがいる方です。以前まで、後輩のキヨさんと『エス』の関係と噂をされていたのですが、キヨさんが結婚の為、卒業をしたあとから、様子がおかしくなって」

 あさは直をみて、心配そうに告げる。

「安曇さまの妹役は直さんですよね。どうかお気をつけて。今の女学校では誰を信じていいのか分かりません」

 あさは頭を下げると、そろそろ、部屋を閉めなければいけませんのでと、先に直と兄さまを部屋から出す。どうして、あさが直のことを心配そうにしたのか。女学校に通う前まで直も兄さまにも分からなかった。





「ごきげんよう」

「ごきげんよ……」

 途中まで挨拶を交わした女生徒が幽霊でもみたかのように直の顔をみると、小走りに走り去ってしまう。

「お姉さま。やっぱり、ぼく、おかしいんじゃ」

 改めて、自分の姿を眺めながらも、直は兄さまに聞いてみる。

「直は私の次に愛らしいよ。あささんも言い淀んでいたが、やはり、この女学校には何かありそうだね」

 ひとりの女生徒の為に道が開けられたことに、兄さまも直もそちらに顔をむけた。幽鬼のように足がふらふらとしている女生徒が、ひとりの青年に支えながらも、校舎へとゆっくりと歩いていく。

 元々は美人だっただろう。背まで伸びている黒い髪には艶がなく、目が窪んで頬がこけてしまっていることから病気じゃないのかと彼女が通りすぎる際、直が思ってしまう。表情がなかった女生徒は、直を瞳に捉えた瞬間鋭い眼光を宿した。

「キヨ‼︎ キヨじゃない‼︎ 貴女、今まで、どこにいたの?私に黙って消えるなんて……」

 女性とは思えない力で両腕を掴まれ、思わず、目に涙が出そうになる。女生徒に掴まれた腕を兄さまはやんわりと離すと直を庇うように前に出た。

「この子は『直』ですが、人違いじゃありませんか?」

 兄さまの言葉に女生徒は再度、直を見ると、そのまま、何ごともなかったかのように校舎へと向かう。彼女を支えていた青年は教師に女生徒を託すと、また此方に向かい、走ってきた。

「お嬢さまに掴まれたところは大丈夫ですか?」

「えっと。あなたは?」

 直が尋ねると、青年は丁寧なお辞儀をする。

「白鳥家、久子さま付きの三郎と申します。怪我をされているようでしたら、治療費は白鳥家で持ちますので」

 怪我と言っても、久子が掴んだ指の痕がついたくらいだろう。三郎に問題ないと直が告げると、彼はじっと直の顔をみつめる。

「そんなにぼくと似ていたんですか?」

「ええ。よく見れば違いますが、雰囲気が似ていることもあり、お嬢さまも間違えられたのでしょう」

 三郎はなにかあれば自分に伝えてくださいと再度、頭を下げると授業終わりまで久子を待つつもりなのか、校門前に佇んでいる。一連のことを経て、考えこんでいたような兄さまは直に告げた。

「直。作戦を変更しよう」

「変更、ですか?」

「お前はキヨの情報を集めろ。お前と似ているということだから、相手の口も軽くなるかもしれない。いざとなれば、たぶらかせばいい」

「は、はい⁉︎ ぼくは兄さまと違って、他人を魅了させて口を割らせるなんて才能なんてありませんよ?」

 兄さまは笑うと軽く、直の頬を抓る。

「直。ここでは」

「いひゃい、姉さま、です」

 よろしいと兄さまは頷いた。

「擬似姉妹の路線で薬を入手しようとしたが、本当の姉妹ということにして、私はお前とは別に情報を探るとしよう。直、くれぐれも無茶はしないよう。なにかあれば、すぐに姉さまを呼ぶんだ」

 直のりぼんが緩んでいたのか、結び直して、軽く頭を撫でてから兄さまは上級生の教室へと向かう。なんとなく心細くなった直はりぼんに手を触れると、事前に通達があった教室へと向かった。

 既に教師がいたことに、早足で教卓の前に行く。

「貴方が『安曇直』さんね。直さんの席は」

「はいはーい! せんせー! わたし、直さんの隣がいいです」

 明るい女生徒の行動に教師は直に視線で確認をとると、直は彼女の隣に腰を掛けた。

「私は芳子って言うの。あなた、本当にキヨさんにそっくりね。ご親戚?」

 周囲は直の素性を聞きたくて仕方がなかったらしい。芳子の声に聞き耳を立てているのが分かる。

「ひとつ上にお姉さまがいるけど、『キヨさん』って子は知らない。そんなに、ぼくに似てるの?」

「芳子さん。転入生が珍しいのは分かるけど、まだ先生のお話が終わってませんよ」

 教師に注意をされたことで軽く舌を出しながらも、芳子は教師に謝る。彼女のノートの端に『昼休みに』という言葉を見て、直も黙ると授業を真面目に受けた。



「直さん。お昼に行こう」

 女学校生たちの間では、名前に上級生なら『さま』同じ学年なら『さん』歳下なら呼び捨てにするという風潮があるらしい。早速、直を名前で呼ぶ彼女に促されて、直はお弁当を持って彼女の後についていく。彼女は図書室に向かうと、中にいた教師に声を掛けた。

「先生。お昼に準備室を使っていいですか?」

「本当は駄目なんだからね」

「分かってますって。また、本の整理とか手伝いますから」

「はいはい。期待しないで待ってるわ」

 教師に鍵を渡されて、準備室に入ると、久子は直にも席をすすめる。

「好きなところに適当に座ってね」

「芳子さんが私を誘ったのは、『キヨさん』のこと?」

「うん。直さんがどうして、皆に驚いた顔をされたのか気になってないかなって。転入生が珍しいってこともあるけど、注目されて、驚いたでしょ?」

 直も似ているだけなら、ここまで顔を見て怯えられるのはおかしいと思っていた。芳子が弁当の前で手を合わせるのと一緒に直も弁当を開く。ご飯の上に梅干しだけの日の丸弁当をみた芳子はいくつかのお菜を直の白飯の上に載せてくれた。

「あ、ありがとう」

「ううん。ご飯だけじゃ寂しいしね」

 自分だけが食べるからと職場の給湯室で適当に詰めてきたが、誰かの目があることを考えれば、これからは考えなければいけない。

 情報を探るため、あまり目立たずに学園生活を送りたかった直だったが、初日からこれだけ注目をされているなら無理だと、兄さまの言う通り、別の方向から情報を得ようと思う。

「慌てて作ってきたから。ご飯しか詰められなくて」

「直さん。自分で作っているんだ、えらいな。うちは春ちゃんが作ってくれるから。きっと、私が台所に入ろうとすれば、皆に止められちゃうだろうし」

「住みこみのお手伝いさん?」

「うん。キヨもお料理上手でよく自分で作ってたんだよ。花嫁授業の一環なんだって」

「キヨさんは、結婚のために学校を卒業したんだよね?」

 直の言葉に困ったように芳子は眉根を寄せる。

「だったらいいんだけどね。ここだけの話、キヨは婚家に嫁いでいなくて、行方知れずなんだ。キヨの家は家出だと思って、捜索願を出していないし。学校は学舎から出ちゃえば関係ないって冷たさだしね」

「久子さまも知らないの? キヨさんのこと、消えたって思ってるみたいだったけど」

「あぁ、久子さまね。キヨとは姉妹みたいに仲が良かったよ。今は久子さまは幽鬼みたいになっちゃってるけど。みんなの理想のお姉さまだったし、よく、キヨの面倒をみてた。そっか、本当に直さんは似ているだけなんだね。世の中に自分に似ている人は三人いるって言うけど本当だな」

「あの、芳子さんとキヨさんは」

 呼び捨てにしているということは、友人以上に仲が良かったのだろう。直の問いかけに、芳子は懐かしそうに目を細める。

「うん? 親友だったよ」

 芳子はなにかを誤魔化すように笑う。鐘が鳴ったことにふたりは早く食べると、慌てて、図書準備室から出た。

 数多くある作品の中からお読み頂き、有難うございます。よろしければ、ブクマや評価を頂ければ、嬉しいです。

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