第七話 妹への手紙
「直。今日は闇市をひやかしに行くんだが、一緒に行かないかい?」
兄さまに言われて、直は首を傾げる。闇市は以前、兄さまと解決をした事件で、少女たちが薬を手に入れる為に使った場所ではなかっただろうか。あまりいいイメージがないため、返事を渋る直に兄さまが思わしげに唇をあげる。
「妹御に手紙を送りたくはないか?」
「送れるんですか⁉︎」
直の勢いに驚いたのか。兄さまは宥めるように、自分の背を叩いてくる。
「本来はふたつの違う狭間が交わることはない。ただ、最近、闇市で直の世界へ行くための手段があると噂をされている」
「この世界の人達は、ぼくたちの世界を知っているんですか?」
「お伽ばなしのようなものだな。料理の注文をとるための猫の絡繰りがいることを語る者がいたら、幻でもみたのだろう、とこの世界の人々は思うだろう。直も元の世界にいて死ぬときは花になる人がいると聞かされたら、同じことを思わないかい?」
直の元いた世界、名前の知れたチェーン店で活躍していたロボットのことを頭に思い浮かべる。確かに、この世界の人間にそのような世界があると言っても、信じられるものではないだろう。
「闇市で異界へ行く方法を手に入れられると噂が立っているようで、異世界の物を売るならまだしも、人が境界を越えるとなると問題だ。まず、異界に行くため、彼方に手紙を送る必要があるという」
「……兄さま。それってお仕事ですよね?」
直の為に闇市に口にはしているものの、実際には兄さまの仕事を手伝えということだろう。じと目でみてしまう直に悪びれず、兄さまは言う。
「妹君に手紙を送れる可能性もあり、私の仕事も手伝える。一石二鳥だろう?」
闇市には行きたくはないが、妹には手紙を送りたい。渋々、直は兄さまの後について行くことになる。
迷えば二度と戻れないかもしれないという理由で、兄さまと手を繋ぎながらも、闇市と呼ばれる場所に赴く。
近場の神社にたどり着いた直は古物を売るような蚤の市を思わせる売り方に不可思議さを感じる。奥には見せ物小屋もあり既視感を覚えた。
「すぐに検挙されそうな場所で売っていても平気なんですか?」
「闇市の管理者は上層部の軍人たちにも顔が効く者だからね。私達は闇市だと知ってはいるが、一般人から見れば、骨董市と変わらない。ただ、手に入れた物で人生を変えてしまう者がいるというだけだ」
「そうですか」
人混みに紛れつつ、ひとつずつ売り物を確認していくが、いつから手が離れてしまったのか。隣にいた兄さまの姿がなかった。向こうが探してくれるだろうと直は気にせず、売り物を確認していくが、皿や古本を売るものが多く、以前、兄さまが話していたような怪しいものは見つからない。
そんな中、人の波が引けたようにそこだけ、ぽっかりと開いたような場所で煙管を吹かしている男が売っているものが気になった。
「これって、灯籠ですか?」
直もお盆の時期になると先祖の霊が迷わずに帰れるように祈って、川に流したことがある。男は猫のように瞳を細くすると直の姿を見て言った。
「中途半端もんだな。偶にいるんだ、あんたみたいな奴が」
直が理解していないことを察したのだろう、男は言葉を繋げる。
「あんた、もとは異界の人だろう? それが今じゃ、半分くらいはこっちのものになってる。しかも、お手つきだから手は出せない」
冷やかしなら帰りなと顔に煙を吹きかけられて、咳こんでも、直はまだ、男から聞きたいことがあった。
「この灯籠を使えば彼方の世界に手紙が出せますか?」
直が客だと分かったのか、煙管を男は置くと、灯籠のひとつを直に見せた。
「誰から聞いたかは分からないが、この中に手紙をいれて燃やし、紙の部分に出したい相手の名前を書いて流せば手紙が届けられる」
男の目が左手を捉えたことを察して、直は右手で覆い隠す。男は指で左手を指し示した。
「それと交換なら、いくつでも渡せる」
兄さまの大切なものを渡せない。
「こ、これは無理です! 絶対に渡せません‼︎」
「……そうだな。一番、小さいものになるが、お前の髪でもいい」
髪だと言われて、直は自分の髪を触る。暫く、床屋にも行っていなかった為、今まで短髪であったのに、肩までの長さがある。髪なら別に害はないだろうと、直は小さく頷いた。男が伸ばした鋭い爪に自分が刺されてしまうかもしれないと思った瞬間、首周りが涼しくなる。
「お買いあげ、どうも」
男は直の髪を纏めて結くと、今になって震えてきた直の手に灯籠を渡す。誰かに肩を叩かれて、兄さまかと振り向いた瞬間、見慣れない姿の若旦那風の男が直を見て、ニコニコと微笑んでいる。
「あ、あの。どなた、ですか」
着物の袂から兎の面をつけると、両手を開きながら、バァと声を出した。
「う、う、兎さん⁉︎」
「そうだよ〜。こんなところにひとりで来るなんて、危ないなぁ」
「兄さまと来ていたんですが、はぐれちゃって」
「離されたのかもね」
「へっ?」
「隊長、探してるんでしょ? 僕も一緒に探してあげる」
兎さんは直にとって、得体が知れないところがある為、苦手な部類だが、ひとり、闇市を歩くよりは安全かもしれないと、兎の後ろに直は続く。
「兎さんはどうして?」
「ここには面白いものが売ってるからね。たまに遊びにくるんだ」
直が手に持っている灯籠を見て、兎は驚いたような顔をする。
「あのど吝な店主がよく交換してくれたね」
「初めは左手のこれをと言われたんですが、これは兄さまからの預かったものなので」
「隊長の真名だろう? 君に預けるなんて、よっぽど信用してるんだなって皆の間でも噂になっていた」
伯爵令嬢の絵の事件が終わったあと、自分の真名を直に預けたとワンコさんに兄さまが報告したところ、彼は信じられないと絶句した。
それくらい、彼らにとって、真名は大事なものだと知り、兄さまに返しますとワンコさんに直は告げたのだが、一度、渡してしまうと、返せないものらしい。
この件で受け取るのではなかったと、兄さまとは軽く小競り合いになったが、彼は直が怒っても笑って取りあわなかった。
「僕たちよりも、隊長ときみがあだ名をつけたワンコさんの真名はより特別なものなんだ。隊長は真名を壊せば、彼の命を失うようなことを言っていたかもしれないが、彼らに関してはそれだけじゃない。君は元の世界に帰りたいと思う?」
以前なら帰りたいとすぐに答えられたが、今、答えられないのは帰ることを諦めているからなのかもしれない。
「帰れるよ」
「えっ?」
「きみが帰りたいと願うなら、この世界を犠牲にして」
「この世界を?」
楽しそうな顔で兎さんは頷く。
「僕たち隊員の真名なら影響はないけど、隊長の真名を壊せば、この世界に亀裂が生じる。その亀裂の中に入れば、めでたし、めでたし。晴れて君は元の世界の住人だ」
「この世界はどうなるんですか?」
「さぁ、帰ったきみの知ったところではないだろう」
そのまま、立ち止まり、聞くまでは直が動かないことを悟ったのか、兎は話を続ける。ワンコさんだけの力ではこの世界の均衡を保つことは出来ない。兄さまがいなくなり災害が立て続けに起こった世界を見た上司はやり直しをする。
「やり直しがあっても、真名さえ無事なら、僕たちは関係ない話だからね。隊長やワンコさんがこの世界を気にかけてるのは偉いなって思うよ」
自分が変質したら、真名を破壊すればいいと兄さまは簡単に伝えた。この世界がやり直される前に、直が元の世界に戻ればいいと思っているのかもしれない。
「そんなの」
「あっ、あんた! 直ちゃんになにしてるのよ‼︎」
「マリアさん?」
「やぁ。久しぶり、マリア。きみをみてると、時の流れの残酷さを知るよ」
マリアは直の手を引っ張ると自分の元に寄せる。
「直ちゃん、泣きそうな顔してるじゃない。どうせ、あんたがまた変なことを吹きこんだんでしょう?」
「マリアからすれば、いつまでも僕が悪者だね。正義の味方が来たところで、悪者の僕は退散するとしよう」
じゃあね、とふらふら手を振って、兎さんは人混みの中へと消えてしまう。
「大丈夫だった? 直ちゃん」
「あっ、はい」
「あいつの話が言ったことは信じちゃダメよ! 私も何度も騙されたんだから。狐ちゃんはどうしたの?」
マリアは兎の話すことは嘘だというが、直にはそうは思えなかった。もしも、自分が元の世界に帰りたいと思うとき、兄さまが異質をして戻れないと知れば、自分は彼を置いていく覚悟はあるのだろうか?
左手に閉じ込められているものを更に重たく感じてしまう。
「兄さまとは離れてしまいまして」
「仕方ない狐ちゃんね。だから、あんなのに絡まれるのよ。一緒に探してあげるわ」
直が持っている灯籠をみると、マリアは目を和らげる。
「直ちゃんにも手紙を出したい相手がいるのね」
「マリアさんも灯籠を買いに来たんですか?」
「そうなの。私も何回か来ているんだけど、なかなか、灯籠師とは会えないのよねぇ。まぁ、今更、手紙を出したところでって感じなんだけど、私が鏡に吸いこまれて、この世界に来たってはなし、覚えているかしら?」
マリアの両親はどちらも教員の家庭であり、実母は幼い頃に亡くなってしまったが、父はマリアが物心がつく前に若い女性と再婚をした。自尊心が高く、自分の功績ばかりを若い教員を招いては自慢のをする父に馴染めず、新しい母にも彼女が悪いわけでもないのに、母のことを思えば懐くことが出来なかった。
新婚旅行を兼ねたのか。普段は部活動の指導をしている為、休日に休みがとれない父と義母の三人で旅行に行くことになった。
見るたびに湖の色が変わるという観光地へと訪れたマリアたちは、まずは宿の部屋に荷物を置く。義母がマリアに『ご飯前に近くを散歩しよう?』と声をかけてくれたが、マリアは何も返事はせず、本に夢中になっているふりをした。
見かねた父の『ほっとけ』の一言で置いて行かれて、暇になったマリアは旅館の探索に出る。旅館の旧館は立ち入り禁止となっていたが、興味を惹かれて入ってしまったマリアは古びた部屋にある鏡面台に惹かれるように近づいた。
自分の心臓が高鳴る音を聞きながらも鏡面台を開くと、鏡の中から出て来た無数の手に引っ張られて、この世界に来てしまった。両親に自分から歩みよる努力をすればよかったと、この歳になって後悔をし始めたそうだ。
「きっと、あんなクソ親父でも私をひとり置いていったことは後悔していると思うのよ。だから、『私は幸せよ』っていつか送れたらって思っているの」
直は自分の髪の代わりに貰った灯籠を見て、マリアのような志で妹に手紙を送りたいと思っていないことを直は知る。直はマリアに灯籠を持つ手を伸ばした。
「これは、マリアさんにお譲りします」
「や、やだぁ。直ちゃんが私に同情をして譲ってくれないかしら、なんてゲスな考えで過去の話なんてしたわけじゃないのよ?」
少しはそんな気持ちがマリアにあったとしても些細なことだ。直が妹に手紙を送っても、なんと書いていいのかがわからず、宝の持ち腐れになってしまう気がする。
自分よりも相応しい持ち主がいれば、その人に渡した方が道具も幸せだろう。
「いいんです。お父さんに送ってあげてください」
直が押しつけるように灯籠を渡すと、マリアはようやく、受けとってくれる。
「ありがとう、直ちゃん。私、直ちゃんのお願いなら何でも聞いちゃうわ。なにか、私にやって欲しいことがあれば、遠慮せずに言って頂戴」
「そ、そんなの気にしないでください! あっ、ひとつだけ聞いてていいですか」
同郷のマリアだから聞けることがある。兄さまもいない今だからこそ、聞きやすい。
「マリアさんは自分の世界に帰る方法って知っていますか?」
「そうね。あることにはあるわ」
「それは、どんな」
「自分を喰った相手から、自分を奪いかえせばいい」
「それって」
「まぁ、自分を保護してくれた相手。私なら兎。直ちゃんなら狐ちゃんね」
「マリアさんも」
「兎に保護されて、この世界に馴染むためって、名前を喰われたわ。あいつとの暮らしは、思い出したくないくらい最悪だったけど、あいつを消してまで、元の世界に戻りたいか? って言われるとね」
あんな奴でも一応、恩人ではあるしとマリアは苦笑をする。
「私はこの世界で生きていく決意をした。でも、直ちゃんは直ちゃんで好きに考えていいのよ? あらぁ、ようやくお迎えが来たみたい」
此方に手を振って、ゆっくり歩いてくる兄さまをみて、直は彼の元に走っていく。
この世界に残るか、世界を犠牲にして自分だけが彼方に戻るかの決断は重すぎて、未だ、することが出来ない。
「兄さま! いい歳してなに迷子になってるんですか‼︎」
「すまない。つい気になったものがあって。直、その髪は?」
直の髪が短くなっていることに、兄さまは気づいたようだ。もしも、灯籠と交換をする為に髪を奪われたと、兄さまに知られたら怒られるかもしれない。
「長くなってきたから切ったんです」
「そうか」
兄さまは遠くに見えるマリアが抱えている灯籠をみても、直に聞いてくる様子はない。
「いい買い物ができたようだね」
「はい」
「じゃあ、帰ろう」
兄さまに手を繋がれて、マリアに直は手を振る。
彼と繋いだ手をみて、この手を自分から離すころにはどうするかを決められたらいいと直は思った。
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