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第四話 兄さまのお守り(三)

 直が買い物から戻ると、兄さまの家に見知らぬ燕尾服を来た裕福そうな中年の男性がいる。

「だ、誰ですか!」

 此方に近づいてきた男に、いざとなったら買い物袋を当てて逃げようと思った直だったが、燕尾服の男は見たことのあるような笑みを直に見せてくれる。

「兄さま、ですか?」

「この姿で会うのは、初めてだったかな?」

 声を聞いて、兄さまであることに直は安心する。

「潜入捜査では顔を覚えられないことが大事だからね。これも私のひとつの顔なんだ」

「……は、はぁ」

 爪先を立てて、兄さまの頬に手を伸ばして、引っ張っても、その皮が剥がれることはないようだ。

「す、直、痛い、痛い」

「あっ、すいません。着ぐるみみたいなものかなって思って、つい」

「変幻だから、痛みも私のものだよ。直が着替えたら、向かおう」

 マリアの店で買った七五三のように着慣れない燕尾服服を着て、兄さまと共に男爵家の夜会に行った直が違和感を感じたのはまず、招待客が男性しかいなかったことだ。直が会場に入るときも躊躇されたが、兄さまが誤魔化して、一緒に入ることが出来た。

 会場客に挨拶をしていたふくよかな男は兄さまを見ると、笑顔で寄ってくる。

「安曇さまじゃないですか! お久しぶりです」

「雪元男爵もお久しぶりです」

 安曇? と不思議な顔をしそうになった直の顔を見せないために、兄さまは直を自分の背に隠す。

「おや、その子は? 安曇さまのお子さまですか?」

「みたいなものです。人見知りですいません。少しでも社交界にも慣れさせようと思って連れてきたんです。挨拶しなさい」

「こ、こんにちは」

「安曇さまに似て、将来が有望そうだ。今日は連れてこれませんでしたが良ければ、私の娘と遊んでやってください。安曇さまならいつでも大歓迎です」

「この子と伺わせて頂きます。そういえば、今日は男性だけなんですね」

 兄さまの言葉に男爵は目を泳がせると、曖昧な言葉で誤魔化しつつ、他の人にも挨拶をしなくてはいけないと、決まりが悪そうに立ち去ってしまう。

「明らかに怪しいですね」

「だね。それに明日から、直も忙しくなりそうだ」

「なんでですか?」

「実業家の安曇は早くに奥さんを亡くして、ひとり息子がいるという設定なんだよ。今までは息子を社交界に連れて来なかったことで、安曇に息子などいないんじゃないかと噂されていたが、今日、直を連れてきたことで真実だということが分かった。まずは直を自分に懐かせてから私の後妻になりたい者。直と結婚して贅沢をしたい者が増えるだろうね」

「あっ、安曇ってなんなんですか? 兄さまの別の顔ですか?」

「そうだよ。私は他にも潜入しやすいよう、いくつかの肩書きや顔を持っている。同じ『私』なのに姿によって、他人の態度が変わるのは、人らしくて好きだね」

 やはり、兄さまは人とは違うと思っていれば、直の横を給仕が美味しそうな牛肉を持ちながら通りすぎていく。ご馳走に目を奪われそうになった直に、分かっているよねという意味合いも込め、兄さまが片目を瞑った。

 鹿鳴館で出される料理と遜色がないと言われている料理や飲み物を食べないように、事前に注意をされていたため、男爵のコレクション会が始まるまで、直はなるべく見ないようにする。

 先程まで話していた男爵が演壇に登ると、さきほどまで賑やかだった会場が、一瞬で静まった。

「皆様、今日は私の愛するコレクション会によく来てくれました。今から、お見せする作品をみて、気分が悪くなった方はお近くの係の者にお伝えください」

 男爵は絵の愛好家のようで、直には分からなかったが、著名な絵を使用人を使うことにより、客に見せやすいように配慮をしつつ、絵の謂れなどをこと細やかに語る。

「直。狐の窓だ。両手で狐の形を作って、重ねた間に映ったものがおかしかったら、私に教えてくれるかい?」

 直の耳に周囲の様子を気にしつつも、兄さまは囁く。

「? はい、分かりました」

 兄さまの言われた方法のやり方で、両手を狐の形にしてから組もうとはするものの、手が長さの関係もあるのか、中々、うまく出来ない。兄さまが苦戦した様子に気づいたようで、直の手を取ると、形を整えてくれる。

 目立たないように、直は兄さまに軽く、お礼の気持ちをこめて頭を下げる。

 男爵が自慢をする絵を何枚も見ていくが、映るのは男爵と変哲もない絵ばかりで様子が変わる様子はない。

「それでは、皆さまもお待ちかねの『伯爵令嬢の絵』です。今では絵の中の彼女も歳を重ねたからか、ご婦人ですね。この絵の謂れは皆様もご存じでしょうが」

「どうだ? 直?」

「なにも変わりません」

 直の言葉に兄さまは指を解くように伝えた。

「……やっぱり、偽物か。おかしいと思ったんだ。もしも、男爵が絵を持っていたら、他に見せる筈はないから」

 此処には用がなくなったと、兄さまは直の手を引くと、そのまま会場を後にする。元の姿に戻った彼の足の長さに合わせて小走りになりながらも、直は尋ねた。

「良かったんですか?」

「この後の会のことは、まだ幼い直の目に触れさせたくはないからね。お前がいずれ大人になったら教えてあげよう」

 ふたりで歩いていると、雷が鳴ったような直のお腹の音に兄さまは笑う。

「し、仕方がないです! あんな美味しそうな料理を目の前にして我慢させられてたんですよ」

「そうだね。今日はお洒落もしていることだし。あっ、あの店に入ろう」

 直のお腹の音を聞いた兄さまは、目についた洋食屋に足を踏み入れる。レースのエプロンを纏った店員が席まで案内すると、兄さまは直にもメニューを見せてくれた。

「なにが食べたい?」

「ぼくはライスカレーがいいです」

 以前までカレーはルーを使えば簡単に食べられていたが、今はカレー粉が中々、手に入らない品物の為に、このような洋食屋に入らなければ食べられなくなってしまった。注文を即決した直に苦笑をしながらも、兄さまは注文をしてくれる。

「分かった。可愛いお嬢さん。コロッケとライスカレーをひとつ」

 店員に注文をすると、兄さまは『伯爵令嬢の絵』について話し出す。

「まず、おかしいと感じたのは、男爵が『伯爵令嬢の絵』を夜会で自慢しようとしたことだ。絵に囚われた者の絵に対する執着心は強い。男爵があの絵に囚われていたら『近頃、男爵の姿が見えないがどうしたのだろう』と社交界に噂が流れるだろう。そして、男爵家の使用人の姿を見ていないと邏卒が様子を見に来て、私たちに絵のことが知らされる、これがよくある形式だ」

「偽物と分かっていたのに、兄さまは夜会に来たのですか?」

「万が一、ということもあるからね。ただ、気になることもある」

「気になること?」

「男爵の奥方は美人でね。大抵は自慢をするように連れてきていたんだが」

「男性に限られた夜会だったからじゃないですか?」

「男爵のコレクション自慢が始まる前まではいてもおかしくはない。あと、最近、男爵は社交界に娘は連れてきても奥様を連れてきてはいないようなんだ」

「お待たせ致しました」

 明るい声と共に店員がふたりの前に料理を運んでくる。

「わぁ、美味しそう」

「ゆっくりお食べ」

 早速、スプーンで食べようとした直だが、料理を置いたまま、店員が立ち去らないのが気になる。兄さまも気づいたのか、店員に問いかけた。

「どうしましたか?」

「大変不躾ですが、お客様たちは雪元男爵さまの夜会からのお帰りなんですか?」

「そうですが」

「あ、あの、奥様は夜会に来てましたか?」

 その言葉に直と兄さまは目を合わせる。

「失礼ですが、お嬢さんは?」

「私は木の下麗子といいます。雪元男爵の奥様、花江は私の女学校時代からの友人なんです」

 奥から店の主人がこちらを見ていることが分かったのか、そのまま頭を下げて行こうとした麗子を兄さまは引き留める。

「麗子さん。仕事はいつ終わりますか?」

「あと、一時間くらいですけど」

「良ければ、話を聞かせて貰いたいんですが」

 時計をみて遅い時間まで、女性を引き留めることを兄さまは躊躇したらしい。そのことに気づいたのだろう、麗子は明るい声で言う。

「じゃあ、明日はどうですか? 私、明日は一日、おやすみなんです」

「じゃあ、この場所で」

 兄さまは待ち合わせの場所を書くと、彼女に手渡す。彼女が去る時に軽く、三の数字にしたのは三時に待ち合わせということだろう。

「少し、冷めてしまったね」

「カレーは冷めても美味しいから大丈夫です。兄さまも猫舌でしょう? どうせ冷まさなくちゃいけなかったし、情報を貰うことができて、一石二鳥です」

「直はいい子だな」

「はいはい。ぼくは先に食べますからね」

 兄さまを照れ隠しでいなしてから、一口食べると懐かしい味がして、直は顔は自然に綻ぶ。

 店の奥で主人に声を掛けられている麗子は怒られているというより心配されているようだ。兄さまの顔をみて質の悪い男にナンパをされているのかと思われたのかもしれない。

「本当、兄さまの顔って罪ですよね」

「? どういうことだ?」

「いいえ、ぼくのひとりごとです」

 数多くある作品の中からお読み頂き、有難うございます。よろしければ、ブクマや評価を頂ければ、嬉しいです。

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