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第三話 兄さまのお守り(二)

 直が読んだ歴史の教科書には凌雲閣、人々の間では十二階で親しまれている建物のエレベーターは安全の為、使われなくなったと書いてあったが、今でもこの世界の浅草十二階のエレベーターは稼働している。エレベーターに乗り地下まで降りると、まだ開いてはいない銘酒屋街を通り、兄さまは古びた扉を開く。ひとりの年老い主人がいるが、彼は客が訪れたにも関わらず此方を振り向きもせず、グラスを拭こうとした状態で立ったまま、瞼を瞬きさえしない。

 主人の持っているグラスを手に取り、兄さまがカウンターの机に置くと、更に地下の階段の扉の開く音がする。部屋へ入る前に兄さまは白狐の面を被り、直には狸の面を渡す。この面の選択にはなにか意図的なものかを聞く前に、兄さまは部屋を開けてしまった。

「あっ、隊長。今日はおちびちゃんも一緒ですか?」

 異界の者は人間と区別がつくように面を被ることが義務づけられていると聞いてはいたが、やはり、面は彼らの本性を示しているものなのだろうか。兎の面を被った男が直をみて嬉しそうに、にこにこと笑いかけてくる。

 思わず、兄さまの後ろに隠れてしまう直に兎面は『いいな〜』と溢した。

「隊長。『人間』には興味ないとか話してたじゃないですか。おちびちゃん、俺に譲る気はありません?」

「お前に譲るなんて恐ろしい真似できるわけないだろ。以前、私がお前の訴えに負けて預けた人間も、三食にんじんだけで部屋から出して貰えないと苦情が来たから他の奴に任せたんだ」

「でもでもっ。兎は寂しいと死んじゃうんですよ〜。おちびちゃん、隊長に飽きたら、いつでも俺のところに来ていいからね〜」

 ひらひらと手を振って、兎面が去っていくことに、直はそっと息を吐く。

「……兎さん。まだ、諦めてなかったんですね」

「あいつはなんだかんだで、『人間』が好きなのやつだからな。行くぞ」

 兄さまが奥の部屋に入ると、そこには険しい犬の面を被った男が積まれた書類に埋もれている。

「やっと来たか。――。おちびも一緒か?」

「ワンコさん、お久しぶりです」

「あ、ああ」

 直は彼らの名前を聞いてもノイズに邪魔をされて聞き取れない為に、彼らがつけている面を見て、勝手に名前を呼んでいる。複雑そうな顔ではあるが直が近づくと太く大きな手で犬の面をつけた彼は、直の頭をがしがしっと撫でてくる。彼は兄さまと兄弟のような関係らしく、直が兄さまと呼ぶことになったとき、付き従っていたのもワンコさんだ。普段は人に紛れ情報を集める為、あまり仕事には出てこない兄さまの代わりに長官の印が必要な仕事を任されている。

「――、絵が見つかったって?」

 彼らの名前を未だ、直は聞き取ることが出来ない。名がラジオが乱れたようなノイズ音になることで、相手が名を呼んだことが分かる。そのことを兄さまに相談したところ、まだこの世界に体が馴染んでいないことが原因だろうと言われた。

「ああ。やはり、軍部から盗まれたあとに好事家の間で競りがあったと噂がある。盗まれたとは言っているが、どれだけ、この絵が恐ろしいのかを知らずに、金子目当てで流したのだろう」

「……物好きな。それで、助けを求めるとは呆れるな」

「ああ。あれはまた人を喰うぞ」

「? 『伯爵令嬢』は色違いのドレスをねだるだけでは?」

 ふたりの話の邪魔をしてはいけないと思ったが、気になって、つい話に割って入ってしまう。

「以前はそうだったが、絵描きを喰って、人の味を覚えてしまった」

「絵描きは食べられたんですか?」

「ダリアの花をくわえていたと、直には話しただろう? この世界の人間は、花になったときに誰かに伝えたい言葉を遺すんだ。ダリアの花言葉は『裏切り』なんだよ」

 絵描きもまさか自分が犠牲となるとは思わなかっただろう。兄さまの言葉に自分の体から温度がなくなっていくのを感じる。自然と口に手を当てたことで、後ろから兄さまが直を暖めるように抱きしめてくる。

「大丈夫だ。あいつの好物は『青年』だけだから。直では、まだ若すぎて食指なんてわかないだろう」

「おちび。大丈夫か?」

 ワンコさんにも心配そうに言われ呼吸を落ち着けると、腹周りに回っている兄さまの手を直は離す。

「兄さま、もう大丈夫です」

「そうか? あまり無理はせずに」

 兄さまは笑うと、直から手を離す。それでも、白狐の面の眉は下がり、心配そうだ。

「なぁ、――。本当におちびも連れて行くのか?」

「私としては大きくなっても、私の面倒を見てくれるだけでいいと言ったんだが、直は頑固だからな。いつまでも私の世話ばかりしているのは嫌だそうだ。だったら、私の仕事についてくることは悪いことではないだろう? 私の相棒だ」

 ワンコさんは兄さまの言葉に唸り、直の額に人差し指と中指をくっつけた二本の指を当てつつ、なにかを小声で囁く。彼が指を離したあと額がほのかに暖かくなったことに、直は額を擦った。

「私だけではなく、――の護りか。贅沢だな」

「――だけでは頼りないからな。俺がお前と組んでいたときは酷い目に遭ってばかりだった。おちびをそんな目に遭わせるわけにはいかんだろ。お前にはこいつと俺の強力な守りがついているから大丈夫だぞ」

 兄さまが同じことを言えば胡散臭さを感じるのに対し、ワンコさんには力強さを感じるのは性格故だろうかと直は思う。直を考えていることくらい、お見通しなのか、兄さまはコツン、と直の頭を叱るように軽く、小突いた。

「それで、――、絵の場所は分かったのか?」

「真偽は分からんが件の絵は男爵家の夜会で披露されるらしい」

「招待状の入手は?」

「此処に。気をつけていけよ?」

 ワンコさんは服の中から招待状を取り出すと、兄さまに手渡す。

「ああ、私に食指がわいてくれると良いんだが。私になにかあればいつものように」

「ああ。では、またな。おちび、――」

 部屋から出ると直は彼を問いつめたい気持ちを抑えて、冷静に兄さまに尋ねる。

「『あれ』はそんなに危険なものなんですか?」

「私が心配なのか?」

 当たり前ですの言葉が素直に伝えられず、直は黙りこんでしまう。兄さまは人ではない為か、人の気持ちには疎いところがある。素直に心配だと口にしたところで、どうして直が心配なのかが分からないだろう。

「直が将来も私と一緒に働きたいと思うなら、教えようかな」

「兄さま‼︎」

 心配をして損をしたとふつふつと不機嫌になっていく直に兄さまは笑いながらも言う。

「私たちが喰われることはないが、私が変質する可能性も十分、あるからな。――は心配性なんだよ。私が欠けてしまえば、この世界の均衡は保てないからな」

「変質、ですか?」

「ああ。闇に囚われてしまうと言えばいいのか」

 その言葉に嫌な予感がして、直は兄さまの手を握る。

「ぼくの家族は今は兄さまだけなんですから、おかしなことを言わないでください」

 きょとんとしたような目をした兄さまは、乾いたような声でなにかを呟く。

「そうだったな。今の私は独り身ではないんだった。直の為にも用心するよ。お詫びも兼ねて、夜会に参加する直の服を見繕いに行こう」

「へっ⁉︎」




 兄さまが人力車に直を乗せて連れてきたのは、ケーキ屋さんのように可愛らしい外見をした洋館風の建物だ。扉を開くと、スキンヘッドの頭に派手なピンク色のヒラヒラとしたロリータ服が目について、直の目はチカチカしてしまう。鋏で布を切っていた人は、兄さまの姿を見るなり、手を留めると抱きついてきた。

「あらぁ、狐ちゃんじゃなぁい〜。会いたかったわ。久しぶりね」

 やんわりとその腕を放すと、兄さまは苦笑しながらも応える。

「お久しぶりです。今日はこの子の服を見てもらいたくて」

 語尾にハートマークがつきそうな筋肉マッチョな喋りをするお姉さん? に直は兄さまだけを店に置いて、回れ右をして帰りたくなってきた。彼? いや、彼女は直の姿をみて距離を詰めて行く。

「なぁに、この子、可愛い〜‼︎ 狐ちゃんの子? お姉さんのお家の子にならなぁい?」

「に、に、兄さま‼︎」

 必死に呼びかけたこともあり、兄さまは呆れたように直を守るように前に立つ。

「なによ! ケチ! 少しくらい可愛がってもいいじゃない」

「駄目です。直が怯えてますから。直、彼女はマリアさんだ。性格はこうだが、仕事の腕は素晴らしいから、安心していい」

「仕事って裁縫ですか?」

「ああ。彼女は服を作ってるんだ」

「褒めてもなにも出ないわよ。欲しいのはどんな服?」

「明日、夜会に行くようの燕尾服が欲しいんだ」

「ええ〜、そうなると既製品になるじゃない! つまらないわ」

 兄さまはマリアの膨れ面のマリアの手を握ると、顔を近くする。

「マリアさんにしか頼めないんです。お願いできませんか?」

 マリアは顔を真っ赤にすると、何度も頷く。こういうことを狙って行っていないのだから、兄さまは恋愛関係での揉めごとが絶えないのだと呆れてしまった。

「そういえば、マリアさん。直も日本から来たらしい」

 マリアは兄さまの言葉に、目を瞬きする。

「直ちゃんに懐かしい空気を感じた理由は、同郷だったからなのね」

 直も驚いて、マリアを見てしまう。兄さまの話では他にも自分と同じように紛れこんでしまっている人間がいるとは聞いていたものの、こうして異界で同じ世界の人間と会うのは、マリアが初めてだ。

「どうやってこの世界に来たの?」

「僕はつまらないお祭りを抜け出したら、です」

「私の場合は旅館にある鏡にいきなり吸い込まれたと思ったら、この世界だったのよ。来たときはびっくりしたけれど、今は狐ちゃんたちのお陰でなんとかやってるわ」

「……因みに彼の見守り役は兎だったんだ」

「う、兎さん⁉︎」

「あのくそ野郎のせいで、薄幸の美少年だった私も逞しくなったのよ。狐ちゃん、あいつはまだ、うさぎ肉になってないのかしら?」

「……残念ながら」

「本当の本当に〜、直ちゃんの保護者は狐ちゃんで幸せよ……っと、これでいいかしら」

 マリアは短い時間で既製品の燕尾服を直のサイズに作り変えてしまうと、直の前で服を当ててみる。

「目算だけどサイズも問題なさそうね。狐ちゃん、お会計、いいかしら?」

「ああ。職場宛にしておくれ」

 兄さまのあとについて行こうとする直の服を引っ張り、マリアは問いかける。

「直ちゃん。あなたは元の世界に帰りたいと思う?」

「……それは」

 マリアは紙に店の住所を書くと、直の服のポケットに入れた。

「狐ちゃんと一緒なら平気だと思うけど、辛くなったら連絡を頂戴。故郷のお話をするのもいいわね」

「あの、マリアさんは」

 彼女は軽く笑うと、直の頭を軽く撫でる。鏡にすいこまれたマリアと妹の代わりに残った直とは状況も違うだろう。ポケットに入れられた紙を捨てることも出来たが、彼女も同じ想いを抱えていると思うと出来なかった。

 数多くある作品の中からお読み頂き、有難うございます。よろしければ、ブクマや評価を頂ければ、嬉しいです。

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