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第十話 うしろの正面、狐の面(三)

 放課後。芳子が学内を案内してくれるという誘いをやんわりと断ると、直は芳子とお昼を食べた図書室へと向かう。何人かの生徒が静かに読書をしているなかで、何冊かの本を手に取ってはみるが、栞が挟まった本を見つける為にはどれくらいの時間がかかるのか分からない。

 今も薬を欲して、本に栞を入れた女学生がいるのかすら、分からないのだ。

 一度、兄さまと情報を合わせた方がいいかもしれないと手に取った本を戻すと、直は校門前へと向かう。まだ、久子は学内にいるのか、朝とは変わらず、校門のすぐ傍には三郎の姿があった。校門の方を女学生がちらちらと気にしているのは、彼が人形のように整った顔をしているからだろう。真白い肌に黒曜石のような瞳には感情が見えない。兎さんとは違った意味で、読みにくい人だと思う。

「こんにちは」

「……今朝の」

「朝からずっと待っていたんですか?」

「お嬢さまになにかあるといけませんから。お嬢さまに掴まれた場所は大丈夫ですか?」

「あっ、はい。平気です」

「また、なにかあれば、ご遠慮なく仰ってください」

 三郎からもなにか情報が聞けないだろうかと、直は彼の前で『キヨ』の名前を出す。

「学内でも皆がキヨさんとぼくが似ているという話だったんですが」

 三郎は興味がないように、直の顔をみると、淡々と話しだす。

「お嬢様の『最愛』ですね。私からしてみれば、どうしてあんな女が好きなのかが分かりませんでしたが」

「あんな女?」

「失礼、口がすぎました。あの方が素直に婚家に行ってくれて良かったと白鳥家では思われています。これ以上、お嬢様に近づくようなら、色々と考えなければいけませんでしたから」

「それは」

「直さま。世の中には知らないことが、良いことが多いということです。これくらいでよろしいでしょうか?」

 これ以上のことを聞けば容赦はしないという副音声が聞こえるようだ。三郎は名家に仕えていることもあってか、丁寧な態度で直に接してくれてはいるものの、しつこく聞くことでお嬢さまのことを嗅ぎ回っている者がいると白鳥家に報告されてもおかしくない。

「ありがとうございました。皆からキヨさんとそっくりだと言われて、どれだけ似ていたのだろうと気になったものですから」

 その言葉を聞いて、三郎は瞬きをすると、口元を緩める。

「そうですね。直さまとあの方は違う人間ですし、いい迷惑でしたね」

 三郎からみても、キヨは自分に似ていたのか。違うということを判断した三郎からは、直が感じた敵意のような感情はなくなっていた。

「ええ、それでは」

「はい。お気をつけて」

 まだ、心臓がどくどくと早鐘打っている気がする。三郎から距離を取ったところで、ようやく、直は息が出来た。

 今日一日で『キヨ』の情報を色々と得たが、彼女がどんな少女かが検討がつかない。ひとまず、十二階へと直は足を向けた。

「おかえり、直」

 自分よりも早く職場にいた兄さまに直は向かっていくと、彼の両肩を揺する。

「どうして、兄さまがぼくより早く戻ってるんですか!」

「いやぁ。後輩たちだけではなく、同級生たちにまで『お姉さま』になってほしいと迫られて、怖くなってね。もう妹はいるからと逃げてきてしまった」

 よっぽど疲れたのか。珍しく、脱力をしているような兄さまに仕方がなく、手を話した直に自分の方はどうだったのかを彼は尋ねてくる。

「皆が皆、怪しく思えるんですけど」

「例えば?」

「まずは、『キヨ』を可愛がっていたという久子さま。そして、親友『だった』という芳子さん。あとは久子さま付きの三郎さん」

「皆、彼女に関わっていた人だね」

「それに『キヨ』がどんな人が分からなくなりました。ぼくに似ている。久子さまの『最愛』で、白鳥家からはよくは思われていなかった」

「『人』は皆、万華鏡のようなものだからね。その人がみたい角度によって、印象というものが決まってしまう」

「そうですね。兄さまはキヨさんについて調べたんですか」

「ああ」

 兄さまは卓の上にある書類を直に手渡す。そこには『浅野キヨ』と書かれた彼女の身上が書かれている。

「キヨさんは、養子だったんですね」

「残念ながら養子以前の経歴は終えなかった。浅野家がキヨさんを引き取ったのは困窮していた家を結婚によって建て直す為だけだったそうだ。彼女が久子さんに近づいたのも、彼女が陸軍少尉のご令嬢だったということも関係がありそうだね」

 だから、三郎はあんなに憎らしそうにキヨのことを話したのだろうかと、書類を見つつも直は考える。

「兄さま。やっぱり、キヨさんは行方不明なんですか?」

「表向きは結婚を早めた為の退学となっているが、その後、彼女に会った者はひとりとしていない」

 兄さまの口調を聞けば、もうキヨは既にこの世にはいないのだろう。ため息を吐いた直から、兄さまは書類を奪ってしまうと立ち上がる。

「直。美味しいものを作ってくれないか?」

「えっ。今日こそは自分の家に帰りたいんですけど」

「直のご飯が食べたいなぁ」

 上目遣いで兄さまに乞われた直は、その顔に負けてしょうがないなと頷いた。




「あらぁ、直ちゃんに狐ちゃん。ふたり仲良く、お買い物かしら?」

「マリアさんもですか?」

 市場でマリアと会うことは珍しい。声を掛けられた直は彼女の買い物袋をみて尋ねる。

「そうなの。ようやく、仕事が落ち着いたのよぅ。良ければ、一緒に食べない?」

 直が兄さまを見ると彼が頷いてくれたことで、マリアに返事をする。

「はい、喜んで」

「じゃあ、今日は張り切って作らないとね」

 マリアの後に続いて彼女の家に入ると、適当に寛いでいてと直たちに伝える。

「そういえば、直ちゃんの袴はどうだった? サイズは大丈夫だったかしら」

「はい、大丈夫でした。十二階にマリアさんが来なかったのは珍しいなって思ってたんですが、お仕事が忙しかったんですか?」

 依頼相手の採寸となると今までマリアはメジャーを持って十二階まで訪れていた。しかし、今回は来なかったことでよほど、忙しかったのかなと直は思っていたところだ。

「ええ。白鳥家から花嫁衣装の依頼を受けていたのだけど、文句ばっかりだから、もぉ大変で! いくらお銭が良くても引き受けるんじゃなかったわ」

「白鳥家」

 マリアと会ったのは偶然じゃなかったのかと、兄さまを睨みつけるが、彼は意味深に笑うだけだ。自分のご飯が食べたいからと連れ出されたが、マリアに会うことを予想していたのかもしれない。

 同じことをマリアも思ったのか、意味深に笑う。

「狐ちゃんってば、直ちゃんになら、私がお客様の情報でもペラペラ喋ると思って一緒に来たんでしょう? 嫌になっちゃうわ」

 塩鮭やがんもどきの煮付け、具沢山の味噌汁などを、直たちの前に出すと、マリアも目の前に座る。

「それで、狐ちゃんたちが聞きたいことはなぁに?」

「浅野家のことを知ってるか?」

「急に依頼の取り消しがあったお家ね。高い口止め料を貰ったから、うちとしては損はなかったけど。なにか問題があったのかしら」

「依頼の取り消しの際、なにか言っていたか、思い出せる範囲で聞かせてほしい」

 マリアは思い出すように唸ると、『そうね』と口を開く。

「実は浅野家じゃなくて、白鳥家から言われたのよ。必要がなくなったって。その損失も兼ねてってことで、白鳥家のご令嬢の花嫁衣装を依頼されたの」

 白鳥家もキヨはいないと知っていたのか、兄さまと直は顔を見合わせる。

「マリアさんはおふたりと会ったことはあるんですか?」

「ええ。何度か採寸に来て貰っていたから。勿論、あるわよ」

「そのとき、気になったことはあるか?」

「そうね。白鳥家のお嬢さまは浅野家のお嬢ちゃんが大好きなのねってことと、白鳥家のお手伝いとして来ていた子が浅野家のご令嬢を知っているのかしら、ってことくらいかしら?」

 兄さまがなにかを考えているなか、マリアに直は気になったことを尋ねてみる。

「マリアさんはどうして、知り合いだと思ったんですか?」

「目ね」

「目?」

「私も客商売だから色々な人と会うんだけど、どんなに自分で表情を制御することは出来ても、案外、目には感情って出てしまうものなのよ。三郎だったかしら? あの子、浅野家のお嬢ちゃんをみた顔は真顔でいたけど、目がどろどろだったの。こんなところで参考になったかしら?」

「ああ、ありがとう。マリア」

「……狐ちゃんが私にお礼を言うなんて、明日は雨でも降るのかしら。まぁ、いいわ。温かい内に食べちゃいましょう」

『いただきます』と皆で手を合わせるとマリアの料理を堪能して、日が落ちる前に直は兄さまと家を後にする。

「直は自分の家に帰るのかい?」

 兄さまに聞かれて、直はどうしようかと思う。久しぶりにひとりではなく、皆で食卓を囲んだことで人恋しい気持ちだ。

「兄さまが寂しそうなので、今日は兄さまの家に泊まってあげます」

「そうか」

 兄さまの家に足を踏み入れると、足の踏み場もないことに直は唖然としてしまう。直が暮らしていたときは、床に本や洗濯物が積み重ねられていたことはなかったし、台所には洗っていない食器をためたことだって、一度もない。

 後ろで佇む兄さまを、直は睨みつける。

「な、なんですか! この汚部屋は‼︎」

「いやぁ。だれも掃除をする者がいなくて」

 直がひとり暮らしを始めてから、通いの奉公人すら雇っていなかったらしい。ワンコさんが職場に泊まって家に帰っていないのなら、兄さまのところに戻ればいいと話していたのも、この部屋の惨状を知っていたからだろう。

「……帰り」

 帰ると口にしようとしたものの、部屋の酷さが気になって、夢にまでみてしまいそうだ。直は見知った棚から掃除道具を取り出して、割烹着を羽織り布巾を頭にすると、兄さまにもごみ袋を押しつける。

「さっさと片付けて、寝ますよ‼︎」

 部屋の塵を片付けていく直に兄さまがポツリと呟く。

「私は直がいなくては、すっかり駄目になってしまったなぁ」

「いつまでもぼくが兄さまの面倒を見られるとは限らないんですから、しっかりしてくださいよ」

 直が含んだ言葉の意味など、兄さまはお見通しだろう。兄さまから預けられた真名を破壊すれば、元いた世界には帰れるかもしれないが、この世界を自分が壊すことになってしまう。

 直は自分がどちらの世界にいたいのかが分からない。

 元の世界は家族や友人がいたが、もう顔すらぼやけてしまった。異世界だった此方の世界の方が、大切な人たちが増えてきたくらいだ。

 妹を神子にしたいと叔母たちに言っていたらしい母は、彼女をこの世界に送るため、父や親戚たち抜きで祭に行ったのではないだろうかと、あの日の母の様子を思えば考えることもあったが、今となっては分からない。

 そのこともあり、直が元の世界で気になると言えば、妹のことだけだった。元の世界に帰りたいと思えば、彼の異質とは関係なしに、真名を壊してしまうかもしれないのに、自分に真名を預けている兄さまの気持ちが、直には分からない。

「そうだね。今日は疲れたなぁ。途中だけど、私は先に休むよ、おやすみ」

 自分の傍を通るときに、直の思うままにするといいと囁かれ、持っていた箒の持ち手の部分を両手で握った。

 数多くある作品の中からお読み頂き、有難うございます。よろしければ、ブクマや評価を頂ければ、嬉しいです。

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