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第一話 うしろの正面、だぁれ

「ぼくはどうなっても構いません。ただ、妹は、妹だけはどうか助けてください」

 自分の必死の願いをどう思ったのか。

 白狐のお面は彼よりも背丈が低い兄妹を見下ろすと、同じ背の高さまで腰を下ろす。白狐の面は妹、そして直樹(なおき)のふたりを見て問いかけた。

「お前たちは、どこから来た?」

 祖母の家にも祭の時期になると、鬼やひょっとこなどの数多くの面たちが玄関ホールの壁に並べ飾られているが、面の顔が動いたことなど、直樹は一度もみたことはない。

 白狐の面が面白そうに唇をあげたことに、幼い妹と繋いだ手に直樹はぎゅと力を込めた。

「ぼ、ぼくたちは――町の」

 今までは覚えていたはずの祖母がいた住んでいた町の名前が思い出せない。それどころか、祖母の顔まで墨汁をかけられたように真っ黒に染まっている顔しか思い出せないことに直樹は恐ろしくなってゆく。手を繋いでいる幼い顔をみて、妹の愛らしさが分かることに直樹は安堵した。まだ、自分は妹の姿だけは目に映せる。

「お前は食べてしまったからなぁ」

 どこから取り出したのか。白狐の面は直樹が口にした、うさぎ細工の飴を取り出す。今まで一度も口にはしたことのない、この世の食べものとは思えないほど、甘露な味がした〈それ〉が喉を通るとき、焼けるほどの熱さを持っていた。どれほどの甘露でも、あの熱さを思い出せば、直樹は二度、口にはしたくはない。

 妹が物欲しそうにみていることに気づいた白狐の面が飴を握りしめて、消し去ってしまったことによかったと感じる。

「この場に訪れる人間は誘われるように鳥居を潜って、この界に来てしまう。お前たちもそうじゃないか?」

 白狐の面の問いかけに直樹は首を縦に振った。





「直ちゃんたち。よう来たなぁ」

「おばあちゃん。こんにちは」

「こんにちは」

「はい、こんにちは。依ちゃんも大きゅうなって。何歳になったんか?」

「よりはね、ななさいだよ。なおくんはじゅうにさい!」

「そぉか〜」

 小さな手が示す数字と口に出す年が違うことに、祖母の口元は皺が緩むくらいに綻ぶ。夏休み。恒例の家族旅行で祖母に会う為に、直樹たちは――町に訪れた。――町は新幹線と在来線を使って、五時間以上かかる町で長期休みではないと、なかなか、直たちは祖母に会いには来られない。昔話にも出てくるような古民家に直樹たち家族を招きいれると、祖母が畑で作った西瓜に塩をかけて、妹と並んで縁側で食べ、蚊帳の中で昼寝をしたあとは、近くのお山に蝉を捕まえる為に登った。夜にもなれば親戚たちも集まり、従兄弟の家族と一緒に釣りに行ったり、海で泳いで楽しい日々を過ごしていた。

 真っ暗な闇の中。ヒグラシの鳴く声しか聞こえない部屋でふと目が覚めてしまった直樹は、トイレに行く為に部屋から離れる。どこからか光が漏れる部屋に歩けば、伯母たちが母の名前を声を落としながらも話していた。

 大人の話を聞くことはいけないことだと分かりつつも、つい襖に聞き耳を立ててしまう。

「あっちゃんは依ちゃんを神子にしたいんやろ?」

「みたいやな。依ちゃんには、その才能があるちゅうて、ご近所さんにもようけ自慢しとったわ。ほら、あっちゃんは神子になれんかったから」

「うちは自分の娘を神子なんかしとうないけどなぁ。なんで依ちゃんを神子にしたいと思っちょるのか。あまり、いい話でもないんに」

 伯母たちに気づかれる前に、直樹は部屋から離れる。

 母の家系は耳に聞き慣れない名の姫神子を祖とする。直樹も母から子守唄を歌われるより、何度も寝物語として聞かされてきた為、その神子の話を覚えてしまった。

 平安時代。直樹の先祖となる家には生まれつき、視力を失った姫がいた。光が見えない代わりなのか、他人には見えないものがよく見えていた彼女は、自分の領地で暮らす民たちが困っていることがあるたび、侍女から姫の母へと伝えて貰うことで様々な助言を与えていたそうだ。

 邸の奥まった部屋に匿うよう、大切にしていた姫の腹が膨れていることを乳母から聞いて、驚いた姫の母は宮仕えで都に出仕していた姫の父に文を出す。姫の父から返ってきた文によれば、姫のことを仕事仲間だという陰陽師に相談をしてくれたらしい。 

 間もなく、都から陰陽師が邸に訪れたことに恐縮をした姫の母だったが実際に姫に会い、様子を確認したいと告げられたことで、両親と侍女以外の目に触れさせなかった姫の部屋まで陰陽師を通した。

 陰陽師は姫に断りを入れると、彼女の姿を隠している御簾を開けて貰う。姫の姿を見て、彼は扇子で顔を覆うと目を伏せた。

 母たちには見えない、姫の左手の小指に幾重にも巻かれている糸を目にした陰陽師は静かに首を振る。

 姫自身は気づくことなく、近くにある川の神と情を交わしたのだと彼は姫の母へと告げた。ふたりの縁を自分が切ることもできるが、姫と神の縁を断ち切ることは、この家だけではなく、同じ血を引く全ての者に災いが訪れる。どうするかと問われた姫の母は返事はせず、ただ姫を見守ることしか出来なかった。

『夫は身分が低い生まれの自分を置いて、正妻のいる都で生活をしている。預言の出来る姫がいなければ、おまえには用はなくなったと見棄てられるだけです』

『……そうか。私がいいように取り計らうから、心配しなくて良い』

 陰陽師は都に戻ると、姫の父に彼女たちの暮らしが守られるよう、上手く伝えてくれたらしい。

 姫は玉のように愛らしい女の子を産んだあとで、行方不明となってしまう。川の近くに脱ぎ捨てられていた衣をみて、姫の母は川の主の元に娘は嫁に行ったのだと思い、川の近くに社を建てる。

 以後、川の神と姫を祀る為、一族の中から特別な子を選ぶと二人の御霊を慰める神子とした。

 そのような話が残されている直樹の家では、何百年かに特別な子供が産まれてくるという言い伝えがある。年を経て、伝承になっていた話を母は信じていた。母は妹を産んだときに、この子が特別な子だと分かったらしく、直樹はよく母から『妹を守ってあげてね』と言い聞かされていた。

 妹には自分に見えないものが見えるようで、なにもない空間で誰かがいるように手を振ったり、繋いでいる手を放して何かについていこうとしたりと、母に言われずとも直樹はいつか妹が自分の目の届かない場所に消えてしまいそうな気がして、妹の面倒を嫌がらずに見ていた。友達と遊ぶときにも妹を連れて行ったことで迷惑そうな顔をされたことは度々、あったが、そんなときはその友達とは遊ばず、妹とふたりで遊んだ。

 妹を連れて行っても気兼ねしないのは、家が隣の幼馴染くらいだ。『本当にお前は妹のことが大好きだな。彼氏が出来たらどうなるんだ』と呆れられてはいたものの、自分に懐いてくる妹のことを可愛いと思っても迷惑に思ったことなど、一度もなかった。

「なおくん。今日はお祭りに行くから」

「お祭り? お父さんたちは行かないの?」

「うん、お父さんは疲れて寝ちゃってるし、伯母さんたちも行かないって。だから、直くんとよりちゃん。お母さんと三人だけで行こう」

 何故だか、嬉しそうな母に連れられて夏祭りに来た直樹だったが、屋台も出てない櫓の周りを踊るだけの祭りに早々に飽きてしまった。屋台は一軒も出てはいないのに、美味しそうな匂いが鼻をくすぐったことに、妹とふたり、母の目を盗んで鳥居を潜ると夏祭りの空気が変わったことを肌で感じる。

 お面を被ってる者しか、この場所には存在しないことで、自分の世界ではない場所に訪れてしまったことに、直樹は気づいていたが、どうすれば、元いた自分の世界に戻れるのかが分からなかった。そんな直樹の心情など知らず、妹は無邪気に直樹の手を引っ張り、普段、見ることはない物珍しい物ばかりを売っている屋台に夢中になっている。売っているものは直樹が知っている屋台の食べ物とは変わらない。ただ、『人生が変わる』『頭がよくなる』などの売り文句が書かれていることに、直樹は興味を持つよりも薄気味悪さを覚える。自分で努力もせず、簡単に手に入れたものに対する代償は大きいのではないだろうか? クラスで取り合うように読んでいた本の内容でも、努力もせずに手にした才能で酷い目に遭ってしまう話を、直は読んだことがあるからこそ、そう思ってしまう。

 少しだけ、目を離した隙に、妹が飴細工の店の飴たちの可愛らしさに目が釘づけになっている。

「あげるよ。可愛らしいお嬢さん」

「ありがとう。お猿さん」

 飴売りの猿のお面を被った男から受け取ったうさぎの飴細工に惹かれたように、早速、口づけようとした妹から飴を直樹は奪う。

「なおくん?」

 飴を噛み砕いて飲み干してしまうと、飲みこんだ喉が焼ける感触に直樹は喉を手で抑える。

「食べたね」

「食べちゃったね」

 いつの間にか自分たちの周りを取り囲んでいたのか。 

 かごめ、かごめをするようにして、様々な動物を模した面たちが自分たちの周りを取り囲んでいる。くすくすと囁くような笑い声がするなかで、白狐の面を被ったひとりの青年がその中を割って入ってきた。

「楽しそうなことをしているな。私も混ぜてくれないか?」

「――さま」

「――だ」

 ざわざわっとした声が重なる。彼らは青年の名前を呼ぶが、言葉がぶれて彼を何と呼んでいるのかが分からない。白狐の面の青年は、彼のあとに続いた犬の面に耳打ちをされると、手を叩いた。

「この場は――が預かろう。お前たちは引き続き、楽しんでおくれ」

「残念だね」

「うん、『人間』って、貴重だし。とっても美味しいのにね」

 彼らが自分たちの周りから解散するときのささやかな声が聞こえて、直樹は妹を彼らの目から見せないよう背で庇う。この祭りは彼が支配をしているらしく、白狐の面が手を叩けば、何ごともなかったように彼らは祭りを楽しんでいる。

「さて、小さき者たち。お前たちは、この世界の者ではないな? 珍しく本坪鈴が鳴ったから、何ごとかと思えば、困ったこと」

 困っていそうにはない口ぶりで、白狐の面は言う。

「なにも口にしなければ、妹と一緒に帰してやれたんだが、残念ながら、お前の半分はこの世界の人間となってしまった。小僧、急に口が聞けなくなったのか?」

 先程までは威勢が良かったのにと顔を覗きこまれて、直樹はゆっくりと口を開く。

「……妹は帰れるんですか?」

「あぁ。今後、お前が私のものとなるのなら、無傷で帰してあげよう」

「じゃあ、ぼくはあなたのものになります! ぼくはあなたのものになるから‼︎ 妹は元の世界に戻してあげてください」

「あいわかった。この子は要らぬ」

 狐面がそっと妹の頭を撫でると、繋いでいた手の温かさが消える。空を掴んでいた手の力を直樹は抜いた。

「さてさて、小僧。お前の名は?」

「……直樹」

 彼は手を狐の形にすると、直樹の心臓の部分に指を当てる。触れたところが熱く感じて後ずさった直樹に白狐の面は唇を上向けた。

「お前をよりこの異界に馴染ませる為、私がお前の一部を喰った。此処では今後、(すなお)と名乗るが良い」

「あ、あの。あなた様の名前は? ぼくはなんて呼べばいいですか?」

 聞いていいのか分からなかったが、直は白狐の面に名前を尋ねてみる。今後、彼を『白狐さん』と呼ぶのは馴染みが持てなかった。

「う、うーむ」

 普段、あまりされなかった質問なのか、今までの威厳をどこかに置き忘れてきたような、目の前の男は腕を組むと悩み出す。

「……とりあえず、直は私を『兄さま』と呼べ」

「はい。兄さま」

 よろしいとばかりに、兄さまは頷く。

 こうして直は妹の身代わりとなって、この異界で暮らすことになった。

 数多くある作品の中からお読み頂き、有難うございます。よろしければ、ブクマや評価を頂ければ、嬉しいです。

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