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古書店「噺堂」

古書店「噺堂」 赤い傘

作者: 田島いづる

「カサ・・・ワタシのカサ・・・どこにいったのか、知らない?」

自分に問いかける声に、俺は顔を顰めて首を横に振る。

「どこに行ったの・・・とても、大事なカサなのに・・・」

悲し気に呟く声に、俺は堪え切れずにため息をはいてガシガシと乱暴に頭を掻きむしりながら立ち上がった。

「俺はその問いに答えてはやれん。

だが、お前の問に答えられるかもしらん奴の所に連れてってやる・・・」

自分で言ったそばから、俺は自分の言葉に後悔した。

正直言って、今から会いに行く人物には極力自分からは関わりたくはない。

けれどもなんの因果か、アイツと縁が出来てから、何かとアイツを頼らざるを得ない事柄に遭遇することが増えてしまった。

今回もそうだ。

草履を履いて、どんよりと厚い雲のかかる空を見上げる。

この空模様と同じくらい、足取りも重い。

目的地への、歩き慣れてしまった道を歩いている最中も、問いかける声が止まないことも、俺の足取りを更に重くした。

「カサ、ワタシの、大切なカサ・・・」

悲しみに満ちたこの声は、きっとアイツの範疇の存在だ。

住職として、様々なモノの無念や未練を払う事もしてきた俺だが、それでも手に負えないものというのはある。

そういうものを引き受けるのが、俺の今向かっている古書店「噺堂」で、そこの店主ならば、きっとこの声に応えることは出来るだろう。

問題は、これが俺からの依頼という扱いになることだ。

依頼には報酬が付き物。

今回は何を要求されるかと考えるだけで胃がキリキリと痛み出す。

やはり今からでも引き返して、自力でなんとかするか、別を当たるかなどと考えてる間にも、民家の様な佇まいの店の正面が見えて来て、腹を括るしかないと一度大きく深呼吸をしてから古びた木の引き戸を開いた。


「おや、いらっしゃい。

今日は来る予定じゃあなかったと思うが?」

「俺だって来るつもりはなかったんだがな」


大量の本が所狭しと並び床にまで積まれた店の奥。

アンティークの机の向こうの椅子に腰かけながら本を読んでいたらしい店主は、扉を開いた俺に目をやり真っ赤な唇をにんまりと歪ませて笑いながら立ち上がり、コツリコツリとブーツの踵を鳴らして俺の目の前までくると、声の主をジっと見やり顎に指を掛けて小さくうなずいた。


「フム・・・また興味深いモノを持ち込まれたらしい・・・。

お前は本当に、面白い巡り合わせを持っているようだ。」


「(その巡り合わせとやらは、お前と出会ってからなんだがな)」


俺はその言葉を飲み込み、こちらをにんまりと笑って見つめる店主から目を逸らした。


「(やはり、俺はこいつが苦手だ)」


何を考えているか分からない表情と言動も、こいつが纏う雰囲気も何もかもが苦手でしかたない。

しかも、こいつは俺が己を苦手としていることを分かっていて更にはそれを面白がっているところが余計に俺の苦手意識に拍車をかける。

きっとこの先もそれが払拭されることはないだろう。

それでも、こいつの持つ不思議な力にこの先も頼らなければならないのだろうという確信めいた予感があって、こいつとの関りを絶つことは出来ないでいる。

それが癪に触っていることも、こいつにはお見通しなのが理解できるのが腹立たしい。


「それで?コレは一体どうしたんだ?」


少しの間現実逃避している間に、店主は俺の持ってきたソレをまじまじと観察していたらしく、しゃがんでソレに触れながら俺を見上げた。


「あー・・・昨日の夜、俺のところに持ち込まれたものだ。

今まで色々なところを転々としていたらしいが、ずっとこの調子らしい。

俺も一晩色々試してみたがどうにもならん。

だからお前の所に連れて来た。

頼む。」

「そうだなぁ・・・まぁ、良いだろう。

報酬は華水樹の水羊羹と、お前がこれまでで一番怖かった話で手を打ってやろう。

勿論、話の方はお前の実体験以外は認めない」

「はぁ?!水羊羹は構わんにしても何で俺の話なんだよ!」

「そりゃあ、アタシはお前に興味があって、お前の事を知りたいからさ」


ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべる店主を、思わず睨みつける。

元々報酬に関しては良い予感はしていなかったが、よりにもよって俺の実体験ときた。

そんなものを話せば、俺はこの先そのネタでこいつにからかわれ続けることは必至。

そんなことはご免被りたい。

しかし、そう拒否すれば、じゃあ依頼はなかったって事でなんて言われてしまい、俺は渋々その条件を呑むしかなかった。


「取引成立だ」


満足そうに頷いた店主に深くため息をつき、一先ずは目の前でいまだに囁き続けているそれをどうにかしてもらうため、俺はソレを店主に託して近くにあった椅子に腰かけた。

店主は少しの間目を瞑り、そしてゆっくりと、金色の双眸を開いた。


「なるほどなるほど・・・在り来たりではあるが、まぁ物語にはなるだろうさ。

さて、じゃあ、話してやるとしようか」

「カサ・・・ワタシの、カサ・・・」

「そうコレはキミの物語りだ」


店主が、奥の革張りの椅子へと腰掛け、テーブルの上の本を一冊手に取った。

赤い傘と、それを差す女の子の描かれた表紙をめくる。

紙が擦れる音と、少し湿った、雨の匂いがした。











どこにでもある田舎町に、どこにでもいる普通の女の子がいた。

彼女はいつも明るく、活発で、両親からとても愛され、近所の人からも友達からも愛される、いたって普通の女の子。

六歳の誕生日、彼女は両親から一本の赤い傘をプレゼントされた。


「アナタも来年から小学生のお姉さんになるんだから、これからは雨の日は自分で傘を差して歩くのよ」


周りよりも少し小柄だった彼女は、傘を持つとフラついてしまうのを心配されて、雨の日はいつも雨合羽を着て両親と手を繋いで歩いていたのだ。

でも、少女はそれがとても不満だった。

年頃らしく、おませな彼女は自分の傘を差して雨の中を歩いてみたかったのだ。

それを知っていた両親は、女の子の六歳の誕生日に、傘をプレゼントした。

彼女の大好きな赤い色の傘は、その瞬間から、彼女の一番の宝ものになった。


「お父さん、お母さんありがとう!

わたし、大切に使うからね!」


その日から彼女は雨の日が大好きになった。

自分だけの傘。

子供用の、小さい真っ赤な傘。

持ち手も赤色で、名前シールには彼女でも読めるようにひらがなでフルネームと、かわいい女の子が描かれている。

そのシールも、彼女の大好きなお父さんが描いてくれたものだったから、尚更その傘は一等の宝物だった。


「あめ、あめ、ふれ、ふれ、母さんがー」


雨が降るたびに、彼女はご機嫌に歌いながらお気に入りの傘を差して雨の中を散歩していた。

そんな彼女も小学生になった。

ある梅雨の頃。

その日も朝から雨が降っていた。

いつもの様にご機嫌な調子でランドセルを背負い、ニコニコと笑顔を浮かべながら「行ってきます!」と母親に向かって元気に手を振って家を出た。

鼻歌を歌いながら、いつもの通学路を歩く。

田んぼの広がる田舎の畦道。

雨音に交じって、蛙の合唱を聞きながら、女の子は傘をくるくると回して歩く。

時々道に出来た水溜まりの水を長靴で蹴ってみたり、スキップをして、学校に向かう長い道のりを行く少女の後ろから低いエンジン音が近づいてきた。

見通しの良い一本道。

女の子は車にぶつからないように道の端に避けながら、小さく鼻歌を歌っている。


ドンッ


鈍い衝撃音が響く。

女の子を通り過ぎるはずの車は、スピードを落とす事無く小さな体を撥ね飛ばし、そのまま田んぼへと突っ込んでいった。

ビーーーーッッッッ

けたたましいクラクションの音が畦道に鳴り響くも、民家のないその場所で起こった事に気づくものは居らず、女の子も自分に何が起こったのか理解していなかった。

ただ、体が痛い。

燃える様に熱くて、そして段々と寒くなっていく。


「お、か・・・さ・・・おと、さ、ん・・・」


痛みと寒さと恐怖に震えながら、女の子のか細い声が両親を呼ぶも、その声は届かない。

体も動かなくて、徐々に視界もぼやけていく。

そんな中、女の子は何かに縋る様に小さな手を動かして宝物を探した。

両親のくれた、自分の大切な宝物である赤い傘を。

けれども、女の子の手が傘に届くことはなかった。

撥ねられた衝撃で、傘は女の子の手を離れ飛ばされてしまっていたのだ。

次第に女の子の意識は暗くなり、ついには誰にも助けられる事なく息を引き立った。


『カサ、わたしの・・・カサ・・・』


最後の最後で、女の子が縋った傘だけが、女の子の囁きを聞いていた。

女の子の傘だけは、一部始終を見ていたのだ。

女の子に大切にされていた傘は、ほんの僅かに意識を持ち女の子の未練を受けて自分を女の子だと思い込んだのである。

それから、傘はずっと女の子の傘を探し続けている。

両親の愛が詰まった、大切な宝物を。

それが己であり、己が女の子ではない事に気づかずに。

今も尚、探し続けている。









「カサ・・・・わたしが、カサ・・・?」

「そう、お前は傘だ。

女の子の死を目の当たりにし、彼女の未練を受け取って自分が彼女だと錯覚していたのさ」


驚愕に声を震わせたソレに、店主は淡々と応える。

俺はそれを眺めながら、哀れだと思った。

己を女の子だと思いつづけ、彼女の宝物である傘を探し続けて魔物と化したソレを。

誰にも看取られる事無く事故で命を落としてしまった少女を。

そして、傘の囁きに耐え切れずにそれを寺へと持ち込んだ、少女の両親を。


「大切にされていた物にはよくある話さ。

持ち主が大切にすればするほど、物にも魂は宿る。

付喪神が最たるものだが、お前の持ち主であった少女の純真無垢な強い思いがお前に小さな意識と魂を与えた。

だからお前は、少女の思いを受け取り、自分を少女だと思い込み彼女の大切にしていた宝物を探して回っていたんだろうさ。」

『アァ・・・・ソウ・・・ワタシは、アノコジャナイ』

「さぁ、お前の大切なモノは見つかっただろう?

もう、少女の宝物を探す必要もない。ゆっくり休むといい」


店主は本を閉じ、机の上に置いていたボロボロになった傘を軽く撫でた。

キラキラと、優しい光が傘を包み込み空中に解ける様にして消えていく。

最後の光が消える間際。

聞こえたのは俺の気のせいだったのかもしれない。

俺が、そうであって欲しいと思う願望からの幻聴だったのかもしれない。

だが、聞こえたのだ。

嬉しそうな少女の声が。


『私の宝物!みーつけた!』














「助かった。

これで、あの子の両親も安心するだろう」

「あぁ、なるほど。

この傘を持ち込んだのは少女の両親だったわけか」


そう。

昨夜この傘をうちの寺に持ち込んだのは、この傘の持ち主であった少女の両親だった。

少女が不慮の事故で亡くなり、形見となったこの傘を両親も大切にしていた。

けれども葬儀が終わってしばらくしてから、傘から声が聞こえるようになったという。

初めは何の声で、何を言っているのか分からなかったそうだが、声は次第に大きくはっきりと聞こえる様になり、この傘がまるで少女のような話し方で傘を探し続けていることに気づいた。

両親は少女がまだ自分が亡くなった事に気づいておらず、死の間際に持っていたはずの傘が見つからずに探しているのかと思い傘に少女はもう死んでしまっている事、傘は自分たちが大切にするから心配しなくてよい事を伝え続けていたらしいが、声は止むことはなく母親がノイローゼになった事を切欠に自分たちでは手に負えないとお祓いをしてもらうことに決めたのだと話してくれた。

結局、俺では祓う事は出来ずこの店主に頼る羽目になってしまったが、もうこの傘が囁くことはなくなったのだ。

少女の両親に安心して返すことが出来ると安堵した。


「さて、それじゃあ、報酬の件、忘れるなよ?」


にんまりと笑う店主に、思わず口元が引きつるが、仕方ないと小さく頷いてから少女の傘を手に店主へと背を向ける。

俺の背中に、愉快そうな店主の声が投げられた。


「今後も、古書店『噺堂』を、御贔屓に」






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