6話 お子様になったわたし
コンコン。
ノックが聞こえて、男性の声がした。
「入ってもいいか?」
「あ!はい」
慌ててめくりあげた寝間着を元に戻す。ゆっくりとドアが開き、青年が入ってくる。
「これを使うといい。それと、これを」
彼はタオルと水を入れたボウルをチェストの上に置いた。それとズボンと靴下とひも。
「あ、ありがとうございます」
「ここは俺しか住んでなくて、そのシャツはまだ新しい方なんだ。
街へ行けば着替えを買える。明日にでも買ってくるからそれまでこれを着てくれ。靴は俺のしかないから大きさが合わない。靴下も大きいだろうが、我慢してくれ。あと、その、下着はちょっと…」
青年は少し赤くなって説明してくれる。
「あ…え、わたしの服は…?」
「俺が泉で君を見つけたとき、君は何も着ていなかった」
…!!!
「すみませんでした!!いえ、その、ご迷惑をっ」
「いや、大丈夫だ。それを着たら隣へ来てくれるかな。急がなくていい。」
「は、はい。」
青年は部屋を出ていった。
っていうか。裸で行き倒れ???
犯罪に巻き込まれて1年間連れ去られて、裸で泉市のどこかに放置された?
あの人、紳士だよね…?さっきもわたしが叫んだら慌てて謝って出て行ったし、こうして服を持ってきてくれた。どんな犯罪者かと思ったけど、親切な人なんだ。行き倒れてた裸の人を家へ運んでくれて介抱してくれた?
とにかく顔を洗って、口も気持ち悪いしうがいをさせてもらおう。
洗面台はついていないから、窓の外を確認して吐き出す。
外は夕暮れ時。藍色の空にいくつか星が出ている。小屋の外は畑。ハーブ畑かな?野菜っぽいけど、知ってる野菜じゃないね。何だろう。地元特産野菜?京野菜みたいな?畑の向こうは鬱蒼とした高い木の森。すごい田舎みたい。他に何もない。
そうか、やっぱり犯罪に巻き込まれて山の中に放り出されたところを親切な青年が助けてくれたんだ!
とりあえずズボンはこう。ひもはベルト代わりにっていうことね。パンツなしってすごく変…。気持ち悪い。ブラもしてないし。でもブラが必要な質量もないか。
寝たきりになるってこんなに身体が小さくなるものなの?これじゃあまるで子供だよ。
……子供?
おかしいよ、おかしい。
鏡があれば自分の姿を見られるのに。窓はガラスが入っていなくて鏡がわりにならない。ぐるぐる思考が回るけれど、混乱するばかりだ。
…うん、とにかくあの若者に聞くしかない。
◇◇◇
渡された服を着て、さっと髪を手櫛で整えて後ろへ流し、さすがに靴はもらえなかったので裸足のまま部屋を出る。薄暗い廊下に暖かそうな食べ物のいい匂いが漂っている。
おずおずと灯のある部屋をのぞく。
「あの…」
中はダイニングキッチンだった。古めかしい石でできたかまどみたいなものに鍋がおいてあって、青年がその前に立っていた。木の一枚板に足を付けたシンプルなテーブルにはパンがおいてある。
「ああ。食べられそうなら少し食べるといい」
青年が振り向いて木のボウルにスープ状のものを入れてテーブルへ置いた。そして身振りで椅子をすすめてくれた。
…いい匂い!匂いをかいだとたんにお腹が空いてきた。
「わあ、美味しそう!いただきます」
ありがたく椅子に座り、テーブルに置かれた食事に手を付ける。全粒粉パンっぽいパンにビーフシチューっぽいものだ。
ん、おいしい。パンは少し固いけど、嚙むごとに味が出てくる。しっかりしたパンだ。わたしは昔からふにゃふにゃのパンよりこういう重いパンが好きだから、これも美味しくいただける。
すごくお腹空いてたんだ、わたし。手が止まらない。
シチューもお肉がトロトロ。わー、おいしい…。ボルシチ?シンプルだけど滋味豊かっていう感じ。赤いのはビーツ?ちょっと違うな。
…夢中でぱくぱく食べていたら、あきれてるのか、じっと見られていた。青年はみているだけで食べ物には口を付けていなかった。
…わたしったら、知らない人のお宅で一人でばくばく食べてた。
「あ、あの、すみません。あの、美味しくて」
「それはよかった」
優しげに目を細めた顔はまさにモデルさん。きゃーっ…。顔が赤くなっているのがわかる。
「あ、あの。助けていただいたようで、ありがとうございました」
「いや、たまたま見つけただけだ」
たまたま、見つけてくれた…?
「あの、ここは泉市のどこかということですか?
わたしは何かの犯罪に巻き込まれて森に放置されていたんでしょうか」
「泉シ?はわからないな。ここは、シルオーネ国の北にある『暗黒の森』だ。君が倒れていたのは、ここから1時間ほど歩いたところにある泉のほとりだった。誘拐されて放置されたという可能性はあると思う。ほかに人の気配はなかった。君は一人だった」
泉って、泉市じゃなく本当の泉?
「『暗黒の森』って、ドイツの黒い森?えっと、シュバルツバルト?」
「シュバルツ…?いや、『暗黒の森』だ。『暗黒の森』を知らないならこの国の人じゃないな。綺麗な共通語を話しているからこの大陸のどこかの国から来たんだろう。どこの国の生まれだ?」
「え、いえ、わたしは大陸ではなくて、日本という島国から来ました。日本語を話してますけど」
「にほん?聞いたことがないな。島国?では南方だろうか」
「いえ、東…」
…おかしい。話が噛み合わない。からかわれてる?
あっ、そうだ!
「すみません、鏡、ありますか?」
「ああ…ここは俺一人だし鏡といってもよく映らない小さいのしかないが」
といって洗面所らしきところから小さな鏡を持ってきてくれた。
10センチ四方位の小さなものの上に曇っていてあまりよく見えない。顔を近づけてのぞき込む。
じわりと背中に汗が出てくる。
…これ、わたしじゃない。
鏡に映っているのは、目はくりんと大きくて緑色、それもキラキラ光を反射していて長い金色のまつげに縁どられている。髪は白くて、肌の色も真っ白。まさに白人。
それもそれだけど!第一!
子供やん!!
これ、小学生?え、え~~~!
若者が読むラノベの転生とかってトラックに轢かれて事故で死ぬんでしょう?わたし事故になんてあってない!この女の子としての記憶だって全くない!神様にも会ってないよ!転生しますか?なんて聞かれてないよ!だから胸がぺたんこ!?
…あっそうか。夢、夢よね。これは夢だ。
鏡を手に固まるわたしに青年が心配そうに声をかけてくる。
「どうした…?大丈夫か?」
「え、あ…、あの、わたし、すみません、夢を見ているみたいです。あの、寝てもいいですか?」
「ああ、ベッドまで連れていこう」
青年は立ち上がりぐるっとテーブルを回ると、ひょいっと逞しい腕でわたしを抱き上げてすたすたとベッドまで連れていってくれた。
…ああ、やっぱり夢だ。お姫様だっこなんて。そんなの、してもらったことないよ。
青年は優しくベッドへおろしてくれて、毛布までかけてくれた。
「ゆっくり休むといい」
「はい、おやすみなさい」
起きたら目が覚めてるよね…。
お読みいただきありがとうございました。