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君を妻にするつもりはないと言った言葉を今すぐにでも撤回したい件

作者: 古城家康

「私には私の一生を捧げると心に決めた相手がいる。よって君を婚約者、ましてや妻にするつもりはない」


 不愉快だ。


 実に不愉快極まりない。


 つい先日、戦争を起こし敗戦したとある帝国から賠償金と共に送られてきたのは薄茶色の髪を胸元まで垂らし深々と頭を垂れている女性。

 淡いオフホワイトのマーメイドラインのドレスを優美に着こなすその女性は帝国では悪女と名高く、自己中心的で傲岸不遜、数々の令嬢を虐めつい先日には帝国の王太子殿下に婚約破棄を言い渡されたという公爵令嬢。


 栄華繁栄を極めたあの帝国が衰退の一途を辿って久しい。


 だが過去の栄華に縋り付き、今や経済成長著しい我が国を下位だと信じ込んでこうして厄介者を送りつけてくるその曇った眼と愚かしさに、高貴なる身分の人質として王太子殿下の婚約者にどうぞと大変迷惑にも貢がれた相手であるリシャルド・フォン・アステルは一つに結んだ黄金色の髪を掻き乱し碧眼の瞳を細めると反吐がでそうだと首元まで締めていたシャツを緩める。


「帝国の厚顔無恥には呆れるな」

「それは同感でございます王太子殿下。ですが私にも立場というかこのまま返されても行き場がないというか……婚約とか結婚とか正直どうでもいいので帝国に返さないという選択肢の元、私の処遇をこの国で決めていただけると有難いのですが……身分剥奪して奴隷にとかにしてもらっても構いません」

「公爵令嬢が奴隷とは笑えるな、残念ながら我が国では奴隷を禁止している。人の売買など愚かしい。いいから顔を上げて、椅子に座れ」

「感謝いたします王太子殿下……あれ?」


 苛々して紺色のズボンが先程からずっと揺れている、リシャルドの貧乏揺すりが止まらない。


 帝国の厄介者が人質として送られてきたのだとしても公爵令嬢という身分があるのだから無下には出来ず(無下にして帝国にいちゃもんをつけられても困るので)、陛下に事情を説明する前にまず自分が話を聞こうと思って客間へと案内させたが……殿下に嫁いでこいと言われましたと淡々と語った女性は立ったままリシャルドが入ってきてからずっと頭を下げている。


 その平身低頭した態度にも裏がある気がして腹立たしいので楽にすることを許せば下げていた頭を上げる気配がする。


 この時点でリシャルドは彼女の顔を一度も見ていない。


「何故私が君の処遇を決めなければならないんだ、この国に人質として来たことには同情するが私の知ったことではない。全く、こんな荒唐無稽なことを言い出すならばまず陛下に相談をすれば……」

「おチビちゃん!」

「誰がっ!?」

「ほらやっぱりおチビちゃんだわ!覚えていない?私よ!私!ノッポちゃん!」


 良かったと続く言葉を遮り突如として出された大声。

 ここで漸く女性の顔をまともに見たリシャルドは驚いて見開かれたそのキラキラと輝く溌剌とした漆黒の瞳を見て、フラッシュバックするように幼い頃のことを思い出す。


 それはとある事情で帝国に行儀見習いという名の人質として連れて行かれていた数年間のことだった。

 他国の王子が帝国の不興を買い人質になったという話は周知の事実であり、行儀見習いという名目があったためか体罰に近い教育を受けていたリシャルドはよく授業を抜け出して預けられていた王宮の庭に逃げ隠れていた。

 その逃げ出した先でも王子や、使用人達に見付かれば馬鹿にされ虐められ……どうしてこんな目に遭わなければならないのかと理不尽さに耐えて耐えて限界を向かえそうだったときに助けてくれたのは一人の幼い少女だった。


 人懐っこく、天真爛漫で悪いことは悪いと言いリシャルドを庇う彼女は彼にとって唯一の救いだった。

 そして彼女と共に過ごすうちに家族に罵声を浴びせられる彼女もそう良い環境で育ってはいないということはすぐに気が付いた。

 だけれどもそんなことは意にも介さず、隠れるリシャルドを見付けてはこっそりと持ってきたお菓子を一緒に食べたり遊んだりして……授業の時には一緒に参加をして、理不尽な体罰を止めてくれた。


 帝国でリシャルドに尊厳を持って接してくれたのはこの漆黒の少女だけで、帝国から国に突如として帰ることとなり別れも出来なかったリシャルドにとっての唯一の心残りであった。


 それはリシャルドの初恋であり、先程一生を捧げると心に決めていた相手でもある。


「びっくりだわ!あなたこの国の王太子殿下だったのね!そうだわ帝国に居た頃、私よくあなたのこと助けてあげたでしょう?だったらその借りを今返してよ!」

「君は!本当に……!」

「本当に嫌になっちゃうわ!あんな木偶の坊との婚約なんて心底嫌だったから王子に気がありそうなご令嬢を何人かけしかけて婚約破棄を狙ったの!そしたらまんまとその内の一人と仲良くなったから流石私って思ってたら急にやってもない罪を着せられて婚約破棄だって!それでこの国に丁度賠償を支払わないといけないからお前が人質として一緒に嫁ぎなさいって!じゃないと罪人として裁判を受けさせるって!ほんと馬鹿で呆れちゃうよね!敗戦国が勝戦国に敵国の女を送るとかスパイかと思うし!ただただ食い扶持が減るだけで私でもいらないわって話よ!でも私もあんなくそみたいな家を出たかったからこれ幸いだと思ってこの国に来たの!私の処遇は直談判しようと思って!」


 ちょっと待って欲しい。


 脳が追いつかない。


 一生を捧げると心に決めていた初恋の相手にリシャルドはなんと言ったのだろうか。


 ここに来た事情をマシンガントークで話す彼女にゆっくりと自分が彼女に浴びせた言葉を反芻して飲み込んだリシャルドは焦る、大いに焦る。


「ちが!ちょっと待っ!」

「おチビちゃん!どうか私を帝国に送り返すことはしないで欲しいの!このまま帰ったら私きっと役立たずとして処刑よ!いや、それは言い過ぎかも知れないけど未来の王妃を貶めようとしたとかで幽閉あたりはされると思う!私を婚約者にって送り込むくらいだからおチビちゃんがその好きなお相手と婚約出来ていないっていうのは想像が付くからなんらかの問題があるってことだよね?だったら私が恋のキューピッドしちゃう!こう見えて私、自分を悪役にして何人ものご令嬢と殿方をくっつけてきたんだから!もしそれが嫌なら何処かのエロくて脂ぎってて愛人も沢山いるような金持ちのクソゲスジジイに下賜されても文句は言わないわ!そいつに高カロリー高塩分の物を食べさせて早くくたばらせるから!いずれその邸を乗っ取って囲われてた愛人達と仲良く暮らしてやるのよ!」


 その恋のキューピッド役のおかげで帝国では傲岸不遜のレッテルを貼られているのではないのだろうか。


 出る所は出て引っ込んでる所は引っ込んでるから籠絡は容易いはずと頭に左手を腰に右手を当てて本人はセクシーポーズのつもりなのだろうが護衛達は笑っているのでセクシーには到底見えていないのだろう(リシャルドの目には可愛く見える)ポーズをして意気込んでいるがその良く回る口を開けば彼女の言うクソゲスジジイの籠絡は難しいだろう。

 大体にしてそういった男性が望むのは大人しくて従順で加虐心をくすぐる女性だ。


 リシャルドを虐めていた王子達に食ってかかるくらい昔から逞しかった性格に更に磨きが掛かっている気がする彼女に、違うとそうじゃないと恋のキューピッドだとか誰かに下賜だとかそうじゃなくて君が私のその一生を捧げると心に決めていた相手なのだと伝えようとして開こうとした口は言葉を吐き出せずに閉じる……明るく語るこれからの未来予想図がゲスすぎて悲しくなったのだ。


「君は……それでいいのか?」

「それでとは?」

「納得出来ない者に下賜されてもいいのかと聞いている」

「あなたが人質として帝国に来ていたときのようにこの国に送られると決まった時点で腹は括ってきたわ、理不尽だと思う気持ちは全て帝国に置いてきたもの。私ね、帝国から出たらやりたいことが沢山あったの!だからこれから先のことがどうなろうともそのやりたいことのために私の意志で生きていけるのだと思えばどうとでもなるわ!」


 幼い身で人質として帝国に送られたリシャルドと同じだと言わんばかりだが、リシャルドと違い彼女は自分の人生を悲観なんてしていないのだろう。

 自分を縛り付けていた帝国かぞくという存在から逃げ出すことが出来た今、どんな未来でも明るいのだといわんばかりに笑顔を浮かべる彼女の姿はリシャルドを助けてくれた幼い頃に見たあの姿と全く変わっていない。


「だからね変な同情心はいらない、あなたにも立場があるのだから敵国の女というお荷物を抱える必要は無いもの。ただ少し寛大であってくれると助かるかな。下賜先がお金持ちだとかだと尚良し!そのお金使い切ってやるわ!」


 本当にエロくてゲスくてクズの金持ち相手に下賜される覚悟があるのだろう。


 彼女をそんな相手に下賜してしまうような人物であると思われている自分が卑怯で卑劣で冷酷なクズ男になった気がして頭を押さえたリシャルドはそんなこと出来るはずがないと高笑いしそうな彼女の反骨精神っぷりを手を上げ制する。


「君は……私の婚約者だ、誰にも下賜なんてしない!」

「えぇっ!?だ、駄目だよ!おチビちゃん好きな人がいるんでしょ?私を婚約者にしちゃ誤解されちゃうわ!」

「構わない!私は君に寛大なんだ!」


 その好きな人が君だとは今はまだ口が裂けても言うことは出来ない。


 もしここで君が好きだと言えば人質だと思っている彼女はリシャルドの気持ちを疑うだろうし、自分がどう思われているのか大体分かった今の現状では初恋を拗らせている自分とは違い、自分に好意のこの字もない彼女はもしかすると帝国で王子との婚約破棄を仕組んだようにリシャルドにも同じ手を使って逃げるかもしれない。

 他の女性にうつつを抜かさない自信はあるものの彼女が色々な手を使って逃げるかもしれないこの状況では自分の気持ちを伝えることは悪手だ。

 彼女がどう出るか予測が出来ないのだから今は現状を見守るしかない。


 急いては事をし損じるとは帝国で学んだ良き教訓だ。


「なんて……なんて良い人なのおチビちゃん!敵国の女に過大すぎる恩を与えてくれるなんて!あなたこそ真の王族よ!分かったわ!この恩に報いるため私、あなたのために仮初の婚約者となってあなたとあなたの好きな人そしてその子供が未来永劫苦労しないようにこの国を発展させてみせるわ!その方と結ばれたらすぐに婚約は破棄しましょう!」


 それが婚約者としての立場としての覚悟ならば十分に嬉しいことなのだが今は一体どの立場でその覚悟をしているのか。


 きっと帝国での王族は公務などせずずっと怠惰で堕落しきった生活をしているのだろう。

 彼女の中で最底辺の王族という職種に属しているリシャルドの代わりを精一杯、国の繁栄のために務めると奮い立つ彼女に、この国の王族は勤めをきちんと果たすし公務も忙しいので帝国の王族と比べないで欲しいと切に言いたいと、婚約破棄を念頭に入れてリシャルドと知らない相手との子供まで産まれる想像をして意気込む彼女に複雑な気持ちが湧き上がる。


「私の我が儘を聞いてくれてありがとう!おチビちゃん!」

「その呼び方は止めてくれ……!」


 幼い頃は栄養も足りなかったので彼女よりも身長が低く、弱く見えただろうが今はもう随分と身長は伸び体格も良くなった。

 彼女のつむじだってはっきり見えるのだから幼い頃の呼び方はすっかり反転しているのでその呼び方は不相応だ、恥ずかしすぎる。


「私はリシャルド・フォン・アステルだ。リシャルドで構わない」

「あっ!そうね、私達自己紹介もまだだったわね!私はエステリア・ユース・ファブルよ。エステリアって呼ぶ人はあまり居ないから皆、エスとかリアとか呼ぶわ」

「そうか……末永くよろしく頼む、エステリア」

「まぁ!えぇ!よろしくねリシャルド!」


 ならばその愛称も帝国に置いてきてもらおう。


 略さず呼ばれた名前が嬉しかったのか照れくさそうに笑う彼女に胸の鼓動が早まりときめきが止まらない。


 とはいえすっかり他に想う相手が居ると思われてしまったのでこれからどう挽回するべきか、どう彼女に恋心を抱いて貰えばいいのか……。


 これから先、頭を悩ませるであろうリシャルドはまぁそれでもこうして難なく彼女を手に入れることが出来たのだからそれは良しとしようと微笑む。


 帝国が我が国を通って他国との貿易を行うための街道を封鎖して通りたければ料金の値上げをしろと通達したのが一年前、そして思惑通りこちらの仕組んだ火種に乗り戦争を仕掛けてきた愚かな帝国を打ち負かし幼い頃、不当に扱われた時代の復讐を遂げたのがつい先日。

 我が国に負けた帝国の国力が今や昔の半分も無いことは他国にも周知されたことだろう。

 こうなれば他国も我が国に追随して今まで自分達を虐げ不当に扱ってきた帝国へと正当な要求を始めるはずだ。


 今、帝国にそれを拒否する国力はない。


 唯一の心残りだった思い出があの帝国にはもう居ないことを喜び、彼女を探しがてらもう少し時間をかけてゆっくりと帝国を崩壊へと導こうと思っていたのだがその必要もなく……この際、近隣諸国と手を組んで一気に滅ぼすのも一興だと。

 腐った王権を瓦解させるのはわけないことだとニヤリとエステリアに気付かれないように口角を上げたリシャルドは、まず片思いの相手を振り向かせる方法としてと自分を悪役にしたプランを提示し相手はどんな子なのか聞き出そうとするエステリアの直向きな姿にとりあえず相手は内緒だということでこの場を凌ぎ、これからエステリアがやりたいと思っていたことを全て聞き出してその願いを叶えてやり、そしてエステリアの中でリシャルドという存在を価値あるものとして高め心に刻んでもらおうと、そのための戦略的撤退としてまずはお互いを良く知るためという名目のティータイムを提案するのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白かったです。私も続きが読みたいです。気が向かれたら、宜しくお願いします。
[良い点] 知り合いだと気付いてからの、勢いあり過ぎな流れが面白かったです! [気になる点] うーん 食い扶持が減る、だと、帝国側になってしまいますが、話の流れだとちょっと違いますよね… でも確…
[一言] ちょっとこれ続きとかないですか! めちゃ面白かったんですけど!
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