鬼は番を離さない。
大きな岩の上に、胡座をかいて頬杖をつく一人の鬼がいた。
鬼の目の前には、たくさんの妖が殺気を放ちジリジリと迫って来ていた。緊迫した雰囲気に慌てることもなく、前髪から覗く切れ長の瞳は退屈そうに細められている。
ふいに、鬼が二本の指をゆっくり突き出し下から上にスッと振る仕草をする。
キンッという音と共に、周りの妖の首が一瞬で吹き飛んだ。吹き飛んだ部位から血飛沫を上げ、バタバタと倒れ込む骸の周りに血の海が出来上がっていた。
「……つまらんな」
はぁと息を吐き出し、鬼はげんなりと口を歪めた。
この鬼は最近まで各地を転々としていたが、ある理由からこの辺りの山の麓に居を構え、この周辺の妖だけを徹底的に消していた。
その噂が噂を呼び、今のように大勢の妖が鬼の所に攻めこんで来る事も多くなったのだが、
――如何せん、弱い。
(さすがに、骨のあるやつが一匹くらいはいないと、飽きてしまうな……)
目にかかる前髪をかきあげ本日何度目かのため息を吐く。
すると、死骸の中に唯一生き残った妖がまだいたので殺そうと手を振り上げた時、遠くの方から何かを引き摺る音が聞こえてそちらに顔を向ける。
金属の引きずる音と共に、何かがゆっくり近づいてくる気配。
また別の妖か。
次に来た奴はもっと強いのがいいなと考えていると、一瞬嗅ぎなれた芳香と血の匂いがして思考が停止する。
よくよく暗い空間を見つめていると現れたのは、銀髪の女だった。
(何故ここに……?)
女は、近くの山に引きこもっているはずの俺の番だった。
訝しく思いながらも歩いてくる番をじっと見つめる。番はまだあどけない面差しを血で染め、着ていた着物も血塗れで悲惨な状態だった。右手には刀、左手には異形の大きな頭を軽々と掴み下をむきながらゆっくり歩いてくる。
……珍しい。
いつもなら数百メートル先にいる俺にすぐ気づいて逃げ出すくせに……。
だが、これは僥倖。とこっそり微笑む。
あちらもようやく気付いたのか、嫌そうに顔を歪めて後退りしてキョロキョロと逃げ道を探している。狐に変化して逃げられたら、さすがの鬼も追い付けない。
この好機を逃がすまいと番が走り出す前に目の前に降り立ち、即座に腕を掴んだ。
驚いて騒ぎだす番を尻目に顔と体に怪我をしていないか確認する。返り血だとは思うが、こいつはすこし鈍い所があるので丹念に確認していると、離れようと必死で抵抗している番を見てフッと笑ってしまった。
そんな可愛らしい力で、俺から逃れられる訳ないのに……。
番の細腕を握りながら、そもそもどうしてここにいるのか聞いてみる。
俺の番は臆病だから、新しい棲み家のあの社で大人しくしていると思っていた。その間に、この辺りを掃除して綺麗になってからまた会いに行こうと思っていたのだが……。
俺の疑問に急に番の目が吊り上がり、耳と尾を逆立てながら威嚇される。
興奮した番を見て、別の意味で不味いなと思った瞬間、辺りに甘い匂いが立ち込め眉間にシワを寄せる。
(遅かったか……)
舌打ちをしながら、後ろにいる先ほど殺し損ねた蛇の妖を見る。蛇は朧気な表情で俺の番に向かってふらふらと近づこうしているので、殺気を強めて正気に戻してやった。
「あまり興奮するな。要らぬ輩を呼ぶぞ……」
スッと細めた目で番を見つめ、落ち着かせようと宥めるが一向に怒りは収まらないようだ。
「それは!あなたが私の周りで殺し回るからじゃないの!」
眉間にシワを寄せ、俺を睨み付ける番を見て、あれから何度も言っている求婚の言葉を口にする。
「何度も言っているだろう……。俺の元へ来ればそんな面倒臭いことはしなくて済むと。」
さっさと、俺の元へ来れば妖が襲って来ることもないのに。
「あなたが元凶なのに、一緒に住めばもっと襲われるわ!嫌よ!」
「……俺の近くにいなければ、もっと増えるぞ?」
そもそも、番に寄ってきているのは俺のせいではなく、別の理由で寄ってくると言う事をいつになったら気づくのやら……。
やれやれと肩を竦める。
――――俺の番は、自分自身の妖力が特殊な事を知らない。
自分が、むせ返るような甘い芳香を放ち周りを惑わして自ら引き寄せていることに気づいていないのだ。
感情の起伏が激しい時ほど、制御できず強く誘う香り放つので、今は狐が住んでいる山の近くに居を構え、番の妖気に充てられる前に妖を一掃しようと殺した妖の血を撒き散らして、わざと誘き寄せていた。
さっさと側へ置きたかったが、妖に襲われるのは俺のせいだと思っている節があるのと、前に番を騙した事を、未だに根に持っているみたいなので、中々承諾してくれない。
「……まだ怒っているのか。」
やれやれと思いながら威嚇し睨む番に近づいていく。歩いてくる俺に、少し怯えているのか、後退りしながら刀を構え直す番をジッと見つめる。
「お前が、俺から離れようとするからだろう。お前は俺のものなのに、何故神にやらねばならぬ」
神にならなくとも、俺がお前を守ってやるのに。
神の山に居てくれた時は鬼のような妖力を持っていない限り、山の中に入れないので安心していた。あの山は陰の気を持つ妖は入れない。無理に入ろうとすれば体に激痛が伴う。
そんな所にわざわざ入りたいと思う物好きは鬼くらいなものなので、山の中は安心できる場所だったが、番はたまに好奇心に負けて一人でフラりと山の外へ出かける事があり、これでは油断したら一瞬で他の奴に喰われるんじゃないかと気が気でなかった。
出会って、触れる事を赦された日からは襲ってきた相手の殺し方と、少しでも周りを惹き付ける力を外に出さないようにする練習をさせていたお陰か、番もメキメキと強くなり、襲われる心配も少なくなった。
後は俺の妖力を番の体内に注げば、少しは周りを惹き付ける力が薄まるのだが……。
ある日、神になると嬉しそうに告げられ、更に少しの間俺から離れると言われ、カッとなり何の説明せず強引に妖力を注いでしまったせいで、これまで築いてきた関係がまた無に還ってしまった。
陰の気が強い俺の妖力を与えれば神の山には当然入れなくなる。それをわかっていたのに、早く自分の屋敷に連れて行きたくて、準備をする為にあの時離れたのもいけなかった――――。
一歩で番に近づき、持っていた刀を折って投げ捨てる。
番はビクリと震え更に逃げようとするのでそれよりも早く腕の中に引き寄せて拘束する。
「は、はなして!」
潤んだ瞳で怯えている番の匂いを噛みしめ強く抱き締める。
(やっと、捕まえた。)
逃げられても、番の居場所など自分の妖力の痕跡を辿れば見つける事は容易いし、鬼の力なら番の抵抗など赤子の手を捻るほど造作もないが――。
何百年も神の山にわざわざこの俺が出向いて逢瀬を重ね、自分に会えば嬉しそうに金色の瞳をキラキラさせる番を見ていれば、どうせなら、心の底から自分を好いて一緒になってほしいと願うようになった。
「なかなかお前も頑固だな……。」
何をされるかとビクビク怯えているので、優しく背中を撫でてやればすぐに安心して力を抜いて体を預けてくるので苦笑する。
これで、俺を嫌いだなどとよく言える……。
「早く機嫌を直せ……俺は、お前と二人で過ごすのは存外気に入っているんだ」
耳元で囁いて軽く口付けをしてやると、面白いほど白い肌が赤に染まり、番の妖気も甘く濃く香ってくる。
「……こんな事で恥じらうのか?俺とそれ以上の事もしているだろう?」
近づけば甘い香りで誘惑するくせに、俺を拒否するとは本当にいい度胸をしている。
「言っておくが、ここまで俺が譲歩してやるのはお前だけなんだからな? 俺の優しさに感謝してほしいものだ」
頭を撫でてやると、気持ち良さそうな顔をしてもっと撫でろと、頭を手に押し付けてくるので笑ってしまった。そのまま俺の胸に顔を埋め、スンスンと匂いを嗅ぎ落ち着いたのか、ボソボソと番が話し始めたので耳を傾ける。
「私は、貴方と対等になりたかったの」
「……うん?」
続きを知りたくて、背中を優しくポンポン叩きながら促す。
「もう百年待ってくれていたら……私の妖力が、貴方の強さに少しだけ、近づくはずだったのに。」
口を尖らせ俺を見上げぶつぶつ言う番が、そんな事を思っているとは思わず、自然に口の端が上がる。だが、やっと見つけた番と離れるなんて、あの時も今も考えられない。
「俺は、お前を見つけるのに1000年もかかったのだぞ。やっと見つけて手の届く所にいるのに、更に百年も待てる訳がない。」
幼子をあやすように手で頬を撫でてやれば、番がキョトンとした顔でこちら見てきた。
「……ねぇ、そういえばそれ何なの? 番って」
昔から言っていたけど、どういう意味だと問うてくる番に愕然とする。
「あぁ?」
思わず殺気を出してしまうほど取り乱してしまった。ここまで俺が尽くしていたのは何の為か、わからなかったのか。
「お前、わからぬのか」
顎を掴み上に向けさせると、荒い呼吸と上気した顔でくったりとしている番を見下ろす。俺の妖気を一心に受けているので苦しいのだろう。
「っ……わからぬって……なんの、こと?」
他の妖には感じぬものが俺に感じるはずだと伝えてもピンと来ていないようだった。そういえば、俺と会うまではずっと独りだったと言っていたなと考え込む。
初めてあった時から、何百年も生きている癖に何も知らないのかこいつ。と思っていたが、まさかここまでとは……。
番を見下ろしながら、そういえばここに一匹、妖がいたなと思いだし、近くに呼びよせ番に確認させてみる事にした。
「これがそこらへんの妖だ。俺との違いがわかるか」
うーんと眉を寄せ、頭から出ている狐耳をピクピクさせながらしばし考えていた番が、困った顔をして俺を見つめてくる。どうやらわからなかったらしい。
この際、わからなくても良いかと考え直した。これからも俺しか触れられぬようにしておけばいいのだから。
番が住む山の周辺を一通り掃除してから、また前のように会いに行って徐々に籠絡していけばいいか。と思い直した直後、番の爆弾発言で前言撤回することにした。
「……もういいでしょう?一緒にいたいと思うのは貴方だけだから、私はわからなくてもいいわ」
あれだけ、一緒に住まないと俺を邪険にしておきながら、触れたいのは俺だけだと思ってくれているらしい。
……もういいか。
「その言葉、二言はないな?」
顔を近づけゆっくり問うと、何やら俺の態度がおかしいと気付いたのか焦りだした。
「言質はとった……もう逃がさん」
肩の上で暴れる番を無視して、自分の屋敷の方向に歩き出す。
番の気持ちが固まるまで待ってやるつもりだったが、閨で甘やかせば堕ちる気がしてきた……。
殺していない妖が残っていたがもういい。それよりも、早くこの番を本当の意味で俺のものにしたい。
この前の騙し討ちではなく、愛を乞い、ちゃんと夫婦の契りを結びたい。
屋敷に帰ろうと地面を蹴り、鼻唄を歌いながら屋敷に急ぐ。




