続く悪だくみ
黎明は自頭はよく呑み込みも早いが、自分のことを阿呆(馬鹿と言われると怒る)だと思っている。
雅亮が阿保阿呆と言い続け、勉強を教える時もわざと基礎だけ教えて、それをもとにした発展問題どころではない難易度の問題を出し続けた結果こうなった。
「こんにちは、細充媛」
にっこりとこちらが微笑むと、目の前にいる吊り目の美女……美女?は、一応顔を笑みの形に歪めてみせた。
「こんにちは、頓宝林」
多分、こちらが妃嬪の階級名で呼んだからだろう。
普通は『尚服』という役職名で呼ぶのだが、向こうも私を『宝林』という妃嬪の階級名で呼んできた。
(いや、どちらかというと……)
もしやと思って顔色を伺えば、お相手は案の定、勝ち誇るような喜色にあふれた表情になっている。
なるほど、ただ単に階級マウント取りたかっただけと見た。
細充媛が持つ階級、『充媛』。
皇后、四夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻
……と降っていく後宮カーストのなかで、充媛は九嬪に属している。
ただその九嬪の中でも、一番下になんとか引っかかっている程度のなかなか崖っぷちなポジションで、評価される事はまずない。
対して私は『宝林』、八十一御妻の中では一応トップだが、妃嬪というよりか女官である。
あれだ、自分より下を見て安心したかったんだろう。
(……私、本気で妃嬪になろうと思えば余裕で貴妃にはなれるんだけど)
少なくとも確実に四夫人にはなれる教養と血筋とその他もろもろ条件は揃ってるんだけど。
まあ言わないでおこう。だって本当に言ったら面倒くさい事になりそうだし。
「何をしにこられたのです?この忙しい中。ああなるほど、大家(帝の後宮限定のあだ名みたいなもの)に見初めてもらうなどはなから諦めておいででしたか!それは失礼を」
一人謎に納得し、楽しそうに話す細充媛の言葉を否定も肯定もせずにただ微笑む。
下手に何か言って言質を取られたら、絶対に後々大変なことになる。
曖昧に微笑んでおけば、この人は勝手に自分の都合の良いように解釈するのだ。放っておこう。
あと、今上陛下に見初められるとか絶対嫌だ。
万が一そんなことがあったとしても、こっちからお断りさせてもらう。
だって皇后って国母でしょ?国民全員私の子供とか絶対無理、面倒くさい事この上ないわ。
「細充媛に舞を習いにきました」
細充媛の時間が停止、なんかデジャヴ。
時間停止してしまったなら仕方がない、素直に待つ。
暫くして、ようやく細充媛が現実に帰ってきた。
賢妃様に比べるとずいぶん時間がかかったな、なるほど頭の出来か。
「今、何とおっしゃいました?」
おっと耳が遠くなったか、この至近距離で聴こえないとは驚いた。
でもそんなに耳が悪いと、妃嬪として色々致命的ではなかろうか。
だって貴方の売り、舞だし。音楽聞こえないとか終わってるでしょう。
だが一応もう一度繰り返す。ああ面倒くさい、一発で聞いてくれ若いんだから。
「舞を習いにきました」
再度停止、なんか今日皆よく停止するね?
だが今度はすぐに復活した。なるほど耐性がついたらしい。
「何故私がそんなことをしなくてはならないのです?」
「以前、細充媛が教えてくださると」
「本気にしたの?」
はっ、と人を馬鹿にして笑う細充媛。
まあ普通に考えたら自分の十八番を他人に手取り足取り教えるとかありえない。
だって自殺行為だもの、特に彼女はそれで後宮に入ってるわけだし。
だが言質は取ってある。
そして妃嬪よ、後宮に身を置くのであれば忘れるな。
名家の血筋であればあるほど、狡猾に足元を掬うのが得意になるものだ。
「……まさか、嘘だったのですか?」
「当たり前でしょう?教えるわけが……」
あえて傷ついたような顔をして見せれば、調子に乗って追い討ちをしようとしてくる。
しかし私は、細充媛が自信満々に発想とした言葉をぶった切って、禁句を投下する。
「そんな!細充媛、あなたはなんて誠のない方なのですか……!」
『誠がない』、その言葉に細充媛は固まった。
本来『誠がない』とは遊郭で使われる言葉だ。
誠意がない、とかと同じような意味で、色んな妓女を取っ替え引っ替えする男に使われることが多い。
だが、後宮ではその言葉は別の意味を持つ。
『嘘つきな人・約束を守らない人』から始まって、『信用ならない人』……更には『妃嬪には値しない人』にまで意味が派生する。
この言葉の怖いところが、上記した全ての意味で通ってしまうという点だ。
具体的には、私が『約束を守らない人』として発した『誠がない』が、女官や妃嬪の間で語られるうちに尾びれ背びれが付き、どんどん意味が深刻化し、『妃嬪には値しない人』という意味で使われるようになる。
それが真実であれ嘘であれ、火のないところに煙は立たぬ。
そうなれば、今上陛下の御渡りの可能性はゼロになる。
妃嬪としては致命傷どころの騒ぎではない。
「な!?」
ほら、顔色が変わった。
簡単なものだ。私はともかく細充媛は妃嬪としてしかこの先を生きる術を持たない。
家で養われるにしても、他の殿方に見染められるにしても、妃嬪としての評判と信頼、そして価値を保っていたことが前提の話だ。
「あの言葉は嘘だったのですね……なんて誠のない……」
多少どころでなく演技が入っているので、いつもの私の口調ではない。
だから親しい人、特にはーちゃんや麗孝にはすぐにバレてしまう。
だが細充媛は常の私をよく知らない。口調さえ除いて仕舞えば、私の演技は完璧に限りなく近いと自負している。
そして口先の技術は一般人の枠に収まらない。これは確信に近い。
何たって私の口論の相手は基本、はーちゃんや雅亮だ。
あの人達相手に口論しようと思ったら、あの高性能な頭に追いつくどころか同格まで上り詰めなくてはいけない。
頭の出来を補うために、私は演技や口先の技術がやたら磨かれた。
というか、昔したあの人達相手の口論、今思うと6歳がするような内容じゃなかった。
なんで6歳の、しかも団子争奪戦の口論に孫子の兵方とか始皇帝の思想とか出てくるんだよ。
「う、それは……」
相当怯んでる、もう一押しと見た。
「舞を教えていただけますね?」
疑問系の形は取りつつも、確定事項として話す。
こうする事で、相手の思考を暗に操作する。舞を教えればいいのだという方向に。
これの何が怖いかって、この手法を使われた相手は、自分が決断したと思い込んでしまうことだ。
この手法、雅亮が結構仕事で使っている。
「分かり……ました」
案の定、細充媛は頷いた。
意外と折れるのが早かった。もう少し骨があるかと思ったんだけど、やっぱり深窓の令嬢は口論に弱い。
まあまず口論するような相手がいないんだから、当たり前と言えばそうなんだけど。
「後宮でよくあるのは口論じゃなくて嫌味の雪合戦だしねぇ」
お互いぶん投げて終わりである。投げ返す以前に受けとめもしない。
相手に当たれば御の字、当たらないのが大前提だ。
ここで投げ返すついでに遠心力を利用して、威力マシマシで返してくるような人間と渡り合ってきた私からすると、ちょっと物足りない。
「では頓宝林、こちらへ」
細充媛の後ろをトコトコついて行く。こちらは舞の教えを乞う立場、まあそこらの庭石の上で舞わされるものと思っていたのだが、どうやら違うらしい。
ならばどこへ行くのだろう。
妃嬪にはそれぞれ自分の宮が割り振られる。
多分細充媛は自分の宮で私に舞を教えるつもりかーーーーーー
「ほぇ?」
目に映る、竹を模した飾りで彩られた、鳥の鳴き声が心地よく耳に響く宮。
……唐突だが、四夫人にはほかの妃嬪にはない特権がある。
その特権というのがなかなか可愛らしいもので、四つの縁起の良いもの、優れたもの美いものを指す二つの言葉のうち一文字を、それぞれ独占して使っていいというものだ。
その二つの言葉は、四君子と花鳥風月。
いつしかこの可愛らしい特権は、四夫人の誇りであり、権威の象徴となった。
そして四夫人はそれぞれ、自分の宮に自分が与えられた二文字を閉じこんだ。
四君子の 蘭・竹・菊・梅 そのうちの竹。
花鳥風月の 花・鳥・風・月 そのうちの鳥。
目の前の宮の名を『竹鳥の宮』、四夫人の二番手、淑妃に与えられた宮である。
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