黎明のお仕事
月餅を「美味しいから!」とお腹いっぱいたべて見事にお腹を壊す系女子、それが黎明ちゃんです
私、頓黎明の仕事である尚服は、役職名に含まれる文字の通り、服に関連する仕事である。
だから嫌がらせの結果服が裂かれたりしたら、勿論私の仕事が増える事になる。
まあそれ(嫌がらせ)自体は後宮の因果というか、日常茶飯事というか、もうそれあってなんぼの後宮だよねと思うのでまあ良いのだが。
困るのが、その悪戯の対象として選ばれるものの大半が服、という事実で。
「ご飯が選ばれそうではあるんだけどねぇ」
でも意外とご飯は悪戯の対象に選ばれない。
理由はざっくり分けて2つある。
まず、帝の奥さんという立場である妃嬪には、大抵の場合毒見役が用意されている。
なので食事に異物混入したとしても、毒見役を通してから妃嬪に渡されるので、お目当ての妃嬪の口に入る前に発見されてしまうこと。
次、これが絶対的な理由。
食事に異物混入した場合、最悪『毒を盛った』として厳罰に処される可能性が大きいから。
なんと後者の理由、前例があったりする。
先々帝の賢妃は、咲く場所を用意されなくてもしぶとく野に咲く鬼灯が好きだった。
色々素朴、かつ純真無垢な人で、それが先々帝の庇護欲か何かに盛大に刺さったのかもしれない。
まさかの、四夫人の中で上位3人をすっ飛ばして1番最初に懐妊したのが賢妃だった。
貴妃、淑妃は懐妊の順番こそ負けたものの、ほぼ毎日先々帝のお渡りを受けていた。
ただ、徳妃はほとんどそれがなかった。
それ故に、精神的余裕がなかったのだと思う。徳妃は、賢妃にせっせと嫌がらせをするようになった。
嫌がらせを考える中、徳妃はあることを思いついた。
『そんなに鬼灯が好きなら、賢妃に鬼灯を食べさせてやろう』
野草である鬼灯の葉を切って混入し、知らずに食べてしまった後は、「卑しいものはこれだから」と罵ってやろう…そう考えて、実行した。
徳妃は知らなかった。
徳妃の周りの人間も知らなかった。
鬼灯の葉には、流産を引き起こしてしまう毒があるということを。
最悪な事に、その時賢妃は妊娠していた。
お腹の子供は流れてしまい、しかも皇子だった。
さらに、賢妃は妊娠できない体になってしまった。
こうなってしまっては、もう「知らなかった」では済まされない。
激怒した先々帝は、徳妃に9族皆殺しという判決を下した。
その前例があるからだろう。食事に手が出されることは少ない。
「…まあ、その方がいいと思うから、それ自体は別にいいんだけどねぇ」
下手に後宮内の植物を使われたらそれこそ最悪だ。
美しいからと言うのは分かるが、躑躅も鈴蘭もあるし石楠花もある。
なんと敷地の隅っこには鳥兜まで生えているのだから、先々帝の徳妃の二の舞が起きかねない。
「……でも、だからって服に悪戯するのは本当にやめてほしいんだけどねぇ」
しかも悪戯という関係上、めちゃくちゃ直しにくくなるように小細工されている。
本当にやめてほしい。切実に。
兎にも角にも。
「直しますかぁ」
一度伸びをして気合を入れて、服に向かい合う。そして裁縫道具を手に取ろうとした時、嫌な湿っぽさが指先にまとわりついた。
「…うわぁ」
確認しなくてもわかった。裁縫道具全てがびっちゃりと濡れている。
「しかも甘茶って…」
ただのお茶ならまだしも、砂糖や蜂蜜がたっぷりと含まれている甘茶をぶっかけられている。
慌ててお茶溜まりから針を掬い上げたが、既に使い物にならなくなっていた。
最近奮発して買ったばかりの針にこの仕打ち、少し泣きそうになる。
糸も端切れも全滅だ。もし洗えば再利用できる可能性があったとしても、四夫人の一角である賢妃が着る服にそんなもの使えない。
「…はてさてどうしよう」
必要なもの、取り敢えず針と糸。
ただ問題は、貸し借りができないということだ。
特に針。妃嬪たちの身を包み、飾り彩る服というのは当たり前だがとても高級。後宮だけに。
必然的にそれらを縫うもの…特に針もお高いものになる。それに比例してお値段も上がる。
「折られたらたまったものじゃないもんねぇ…」
でもこのままは困る。この服は賢妃様お気に入りなので、結構な頻度で賢妃様に選ばれる。
実際、明日着る予定になっている。
悠々と書類で針の発注をして、届くのを待っている時間はない。
特に私が求めている針は特注品に近いものだから、下手すれば半年以上待たされる可能性もある。
私の頭の中から、『素直に待つ』という選択肢が静かに、かつとても自然に抹消された。
「…ちょっと裏技使わせてもらおう」
思い立ったが吉日、人目を気にしつつこっそりと移動する。
特に同じく賢妃様に仕える他の女官。彼女たちは、私のことを色々知ってたり知らなかったりするので、見つかると色々面倒くさい。
自室の物置の片隅から縦長の箱を取り出し、そのまま屋根に登る。
幼い頃、四家の一角躳家の長男様に「木登りは淑女の嗜み」という大嘘を教えられたために、何故か『こういうの』が今でも得意だったりする。
それだけ素直に信じて大真面目に頑張った私が居るという意味でもあり。
「素直に頑張ったんだなぁ私…」
今では躳家長男坊…躳雅亮の言う事など九割以上が嘘だと分かっているので聞き流すだけなのだが、昔の私は違ったらしい。
まあその嘘のおかげで、今現在色々と便利な身体能力と特技が備わったから別にいいかなとも思いつつある。
屋根の上で仁王立ちした後、箱の中から自分でも驚くほど厳重かつ丁寧に布で巻かれた物体を取り出す。
その布を至極丁寧に外せば、見事に朱塗され、性能に支障が出ないよう計算し尽くされた配置を金で彩られた弓が姿を表した。
一口に弓と言えど、これは弓の中でも最大の大きさと最長の射程を誇る長弓と称される種類の弓。
しかもその長弓の中でも、この子は規格外れに大きい。
私の身長よりも遥かに大きいこの子は、私の手持ちの弓の中でも並外れた威力と射程を誇る。
「さてさて」
人差し指を口に含み、唾液で軽く湿らせてから頭よりも高い位置にしばらく留める。
左側が少し冷たくなる。
左から吹き付ける、つまり右向きの風。
そこまで強くはないが狙う場所との距離次第では大きくずれる。
狙う場所を決めるために、頭の中で知り合いの名前と、今どこにいてどういう状況かの列挙を開始する。
喰家、喰伯璃……色んなとこを行ったり来たりすることがある、場所不明。
頓家、私以外いない。
躳家、三男坊……出仕していない、場所不明。
次男坊……護衛等で遠征やお出かけ多し。場所不明。
長男坊……ゴリゴリのデスクワーク、毎日同じ机に座りっぱなしで仕事終了。場所把握。
「キミに決めた」
懐から紙を取り出し、膝の上で器用に手紙を書いていく。
かなり書きづらい状況ではあるが、慣れというのは恐ろしいもので、通常の机の上で書く時となんら遜色ない字が綴れてしまう。
賢妃様が見たら多分間違いなく怒るだろう。賢妃様は怒ると今現在人類が持つ言葉ではでは表せないほど怖いので、この事実は墓場まで持っていこうと思う。
『長男坊へ。賢妃様の服が裂かれてたんだけど、針と糸も使い物にならなくなってたから同じの頂戴。かしこ』
手紙の内容はまあこれで良かろう。顔見知りだし、公的文書でもないし。
前の針がどんなのとか一切言及してないけど、あのやたらめったら有能な頭の持ち主なら分かるでしょう。
その手紙を矢にくくりつけ、弓につがえる。
弓を引き絞り、着弾地点を確認。
風の影響を考えて微調整し、放った。
「えいっ」
月曜日夕方5時更新を目指して頑張っていこうと思います