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「愉楽への手ほどき」(映画)

監督ジャン=クロード・ブリソー


美しい40歳の女性カミーユは、携帯電話を拾い、持ち主に返却しようと会う約束を取りつける。ふと携帯電話の操作を誤って、保存されていた動画データを開いてしまうと、そこには若い女性の美しい身体が。自分で自分の身体を弄ぶ様子を録画したものだった。カミーユは電話の持ち主であるスージーと出会うと、すぐに身体を重ねる。カミーユは「性」をテーマに創作活動をする芸術家で、スージーの動画を見て以来、彼女の性の奔放さに魅了されていた。そして、カミーユの恋人であるクララも加わり3人で愛を交わすことに。思いがけない快楽の味を知ったスージーだったが、瞑想を愛する老人トントンとの出会いにより、心も身体も愉楽の世界へと、引き込まれていく―。(C)LA SORCIÈRE ROUGE - LA TRAVERSE - 2016


 この粗筋、内容解釈間違ってるよね。


 原題が、Que le diable nous emporte なので、誰が悪魔なのかと見ていたら…。


 性依存の話かとおもいきや、どうも違う。これはポルノかと思えば、性虐待からの立ち直りと、精神分析を用いた再生物語だった。


 クララのケアと、芸術による昇華、自らのトラウマの告白で立ち直っていくカミーユ。

 トントンの導く東洋思想やヨガを使ったアプローチで、素直な心を取り戻すスージー。トントンのスージー解釈と指導が良かった。

 そして同じくクララの世話で、鬱と依存状態から再生するスージーのストーカーだったオリヴィエ(だっけ?)


「精神科医は、社会復帰(だっけ?)には積極的に取り組まない」というセリフが印象的。なんだか道徳を説かない精神分析を揶揄されているよう。


 ラストはああ、やはりこうなるか、って感じ。

 となると、悪魔はクララ、そしてトントンか――。


 誰でも受容するクララの在りかたや、精神分析的な考え方が悪魔的なのだろうか? それとも、そう考えるのは題に意味を置き過ぎてる?


 カミーユの親が精神科医で、70年代の性意識を皮肉ったセリフがあるのだけど、信憑性あるのかな?


 カミーユやスージーにはまだ人間らしさがあるけれど、なんでもホイホイのクララは、ラスト取り残され、自らの孤独を笑っているように見えるんだが…。



 うーん、なんとも言えない…。感情転移や談話療法の専門用語や、原因を探る考え方がそれっぽくて、期待して見てしまったというのか。


 やはりクララが一番病んでるんじゃないのか――。



 



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