「マジック・イン・ムーンライト」(映画)
監督ウディ・アレン
頭が固くて皮肉屋のイギリス人男性スタンリー(コリン・ファース)は、中国人に扮装し、華麗なイリュージョンで喝采を浴びる天才マジシャン。そんなスタンリーが友人の依頼を受け、ある大富豪が入れあげているアメリカ人占い師ソフィ(エマ・ストーン)の真偽のほどを見抜くために、コート・ダジュールの豪邸へ乗り込んでいく。 ところが実際に対面したソフィは若く美しい女性で、スタンリーに"東洋のイメージが浮かぶ"などとあっと驚く透視能力を発揮。この世に魔法や超能力なんか実在しないという人生観を根底からひっくり返されたスタンリーは、笑顔も抜群にチャーミングなソフィに魅了されてしまう。しかし素直に想いを打ち明けられない2人の行く手には、大波乱が待っていた。はたして悲観主義者のマジシャンと楽天主義者の占い師のもつれにもつれた恋を解きほぐす“魔法とトリック”は存在するのだろうか……!?
ウディ・アレンが好きなわけじゃないのに! なぜか、面白そうな設定はこの人の作品! でも、見終えたあとの感想はいつもまぁまぁで、思考を巡らせることができたから、まぁ良しという感じ。
今作は違う感想を得られるだろうか?
精神分析医のスタンリー分析。
「彼は典型的な神経症の人格障害だ。優秀だが中の悪い両親。母親よりもおばと親密。死に執着。何も信じず、人生を無意味と感じ、すべてを芸術に消化させるうつ病患者。しかもなかなかの芸術家だ。手始めは脱出マジック。面白い選択だ。まさに現実からの逃避。でも、フロイトと同じで幼稚な思考が許せなかった。その安らぎがね。何という不幸な男だ」
鬱病男が人生の意味を見つけるのがウディ・アレンのモチーフなのか?
あれだけ否定していたのに、ころりと翻った。アルの方がまだしぶといぞ。(自作「夏の扉を開けるとき」の主人公です)
「人生は悲劇だと思っていた。むなしいだけだと。だがほかにもあった」
「なにが?」
「もっとすばらしい謎」
「人間の尊厳を信じても合理的には説明できまい」
でも、突発的な伯母の事故で論理矛盾に気づいたスタンリー。
彼女がなぜ、この男に恋したのかいまいちわからない。いまいちどころかまるで判らない。途中まではまだしも、最後の求婚の惨さは100年の恋だって冷めるぞ。それまでは、世界に対して辛辣であっても、自慢や自己肯定する発言はなかったのに、ここにきて自分は天才で、そんな僕に選ばれたきみは幸せ、と傲慢さ全開。
知ってるパターンと見事に合致する。なんなんだろうこの展開の仕方は。幼稚な世界が許せなかった彼は、幼稚な自我を持つ自分が許せなくて、世界はむなしいものだったけれど、一転、幼稚な世界の象徴である彼女を愛している自分を肯定することで、幼稚な自分をも肯定して素直な傲慢極まりない自我を表現することを厭うこともなくなったのか?
それにペテンがばれた時の彼女の言い分。「誰も傷つけていない。生きていくのに幸せな嘘は必要」というのも、やはり幼稚な言い分で。
もうこの世にいない故人が浮気をしていたか、とか、誰を愛していたか、とか、それは信じたいように信じればいいのかもしれないけれど、その嘘に根拠を与え、嘘が嘘だと解った時、その嘘をつかれた相手は傷つくだろうに。「その嘘で幸せを得たのだからいいでしょ」という彼女にとっては、その得たはずの幸せがそもそも嘘だった、と気づいた時の虚しさなんて、知ったことかってことなのだろうか。
でも、嘘がもたらす信念の転換は確かにあると思う。覆される信念なんて、それが嘘の根拠であっても、信念というほどのものではないということ。
要は幸せも不幸も気分の問題だ。
論理思考とマジックの闘いというテーマは「夏の」と同じで、興味深かった。はっきり詐欺の降霊スタイルは理論もなにもないけれど。
ラストシーンは、鬱病男、とうとう妄想に堕ちたかと思った。そうではないのだろうか? まさかのハッピーエンド?