「僕と世界の方程式」(映画)
監督モーガン・マシューズ
父を亡くし心を閉ざしてしまった少年ネイサンは、飛び抜けた数学の才能を持っていた。母親は、数学教師に個人指導を依頼し、ネイサンは国際数学オリンピックのイギリス代表チームの一員に選ばれるまでになる。(c)Origin Pictures (X&Y Prod) Limited/The British Film Institute / British Broadcasting Corporation 2014
冒頭シーンが好きだ。
障害の有無を診察にきたらしいネイサンは机の下にいて、担当者の男性も当たり前に机の下で恐竜のおもちゃを使って彼に質問をする。その言葉の掛け方が好きだ。
自閉症スペクトラムと診断されたネイサンに父はこんな言葉を。
「自分は周りと違うと感じるときがあるかもしれない。お前は特別な力がある。魔法使いみたいに。パパたちマグルには理解できない。外国語と同じだ。もしお互いに分かり合えなくても、愛し合うのをやめちゃだめだ」
「怖がらないでいいんだ」と、そんな話をしているときに、交通事故でパパは死亡。
高校生になったネイサン。発達障害特有のこだわりがいろいろ。テイクアウェイの料理が袋のなかで混ざっていたことで、「ちゃんとしてよ」。
うわぁ、ってなって。僕は王様5歳児だ。彼のこういった傲慢さを育てたのは、他者を「頭が悪い」といいお前は「賢い」そのままでいいと言って肯定した父親。彼は好きなことに没入していくことを許されていた。
「誰かがあなたを愛しているとき、その人はあなたのなかに何かを見ている。その人にとって価値のある何かよ。あなたの価値ね。でも辛いこともある。あなたが好きになった相手が気持ちを伝えてくれなかったら、不公平に感じる。それから愛する相手が人生から引き算されることも、自分の価値が前より減ったように感じる」
お互いに好意をもっていた中国人の女の子が出場を蹴って去り、その喪失感が事故のトラウマを引き起こし、ネイサンはオリンピックを蹴って試験会場から中座してしまう。
父親を喪った事故の影響が信号機で表されているようでいて、痛みとして認識されていなくて、引っ掛かっていたのが、このラストに集約されて涙となって溢れ出る。
自閉症スペクトラムの描き方もとても頷けて、とくにルーク。見ていて胸が痛い。ギフテッドの子どもをもつ親のやりきれない孤独なんかも。
父親とは打ち解けられているのに、なぜ母親はダメだったのか、とか。本人も判らないんじゃないかって微妙なことなんじゃないかな。
ここでは、「パパはよく僕を笑わせてくれていた」と言っていたが。
これはかなり好きな映画。