「教授のおかしな妄想殺人」(映画)
監督ウディ・アレン
並外れた変人と評判の哲学科教授エイブ(ホアキン・フェニックス)が、アメリカ東部の大学に赴任してくる。若い頃は政治活動やボランティアに熱中し、世界中を飛び回ったエイブだが、今では学問にも恋愛にも身が入らず、慢性的に孤独な無気力人間になっていた。そんなある日、たまたま立ち寄ったダイナーで迷惑な悪徳判事の噂を耳にした瞬間、エイブの脳裏に突拍子もない考えがひらめく。それは誰にも疑われることなく、自らの手で判事を殺害するという完全犯罪への挑戦。すると、あら不思議、奇妙な“生きる意味” を発見したエイブはたちまち身も心も絶好調となり、ひたすら憂鬱だった暗黒の日常が鮮やかに色めき出す。一方、エイブに好意を抱く教え子ジル(エマ・ストーン)は、まさか彼の頭の中におかしな妄想殺人が渦巻いているとはつゆ知らず、ますます恋心を燃え上がらせていくのだが…。
またウディ・アレンだ。監督で選んだわけじゃないんだけど。まぁ、いいか。
「我々は物事を決めるとき、絶対的な選択の自由がある。限りない自由だ。だが無限だからこそ――、不安というめまいが起こる。不安は自由のめまいだ」
「たいていのレポートは他人の文章の言い換えだが、きみのは思考が新鮮だ」
「人生が虚しいから人はゴシップを作り出す」
「だが急に冷めた。オーガズムという鎮痛剤が効力を失った」
息苦しさへの対処には、
「呼吸する意志がいる。ひらめきが」
「彼は文章が巧みよ。とてもシャープだわ。でも文体の勝利ね。中身が吟味されていない。理想論は語るけど不備が目立つわ」
「でも心配よ。ロマンチストは自殺をロマンと思うから」
「実際私が彼に惹かれたのは、彼が魂の喪失者だから。その苦悩や繊細さが夢見がちな私の心に響いた」
「明確な生きる理由」「私は救いたい」
「僕は一緒に居過ぎたようだ。きみの時間を独占した」
「人生を支配する」
「ぶつくさ言ってないで行動することにしたんだ」
「要は物事を深く考えず、本能に従うことだ。そして行動を起こすこと。型通りの反応で流さずにね」
「大気に酔いしれる」エミリ―・ディキンソンの詩。
「実在主義は物事の意味を問うた。“わたしにとって何か”と」
「私はエイブ・ルーカス、人を殺した。戦闘や正当防衛ではなく信じたことを実行した結果だ。人間らしいと思う」
「人生の意味は選択にある。サルトルの名言いわく“地獄とは他者のことだ”」
「官能的な喜びに目覚めたんだ。視覚や音、料理やワインの味」
「勝利と敗北の交差するスリル」
「人に罪を着せる悪への道徳観は、生存本能の前に影をひそめた」
「マッチ・ポイント」でもドストエフスキーの「罪と罰」に触れていたけれど、これはもっとラスコーリニコフ的なテーマ。そしてサルトルの実在主義について。
哲学的なセリフは面白かった。けれど、鬱病の哲学教授にしては人物像に魅力がなかったな。
ラスコーリニコフの葛藤などこの教授にはなくて、「マッチ・ポイント」と同じように、「運」に自分の存在を賭けている感じ。だから、ゲームの景品の懐中電灯が、ラストに彼の運の尽きをもたらすアイテムとして使われる。
この映画での鬱病からの脱出は、自分のなかの正義を行動化することで自分の人生の支配できるという万能感を取り戻すこと、でいいのかな。
親友を戦争で、妻を不倫という形でまた別の友人に理不尽に奪われ、鬱病に陥った彼が、理不尽に他者の命を奪うことで、加害者になることで、無力な被害者でなくなる。
とてもイージーな方法。理不尽の肯定は、自らの生の上に理不尽を呼び込む。そんなことを思った。