リロ&スティッチ(実写・吹き替え版)
監督 ディーン・フライシャー・キャンプ
ディズニーの『リロ&スティッチ』を実写映画化。
両親を亡くした少女リロと姉のナニ。
ひとりでリロを育てようと奮闘するナニだったが、若すぎる彼女は失敗ばかり。
離れ離れになってしまいそうな姉妹の前に現れたのは、家族の愛を知らない暴れん坊のエイリアン、スティッチ。
予測不可能な彼の行動は、平和な島に大混乱を巻き起こすが、その奇跡の出会いはやがて、希望を失いかけた姉妹を変えていく…。
ハワイのカウアイ島を舞台に、 “オハナ<家族>”の大切な絆を描く感動のハートフル・ファンタジー。
キャラクターとしてのスティッチは知っているけれど、元のストーリーも何も知らなくて。まっさらな状態で観てきました。
子どもたちは、アロハ~と踊りながら楽しみ、号泣して観ていたようなので、行ってよかったのでしょうが、自分としては終始もやもや。こういう感じ方は自分だけ? と思ったけれど、レビューを読んでみるとそうでもないようで。
主人公のリロは6歳で、悪気はないにしろ思うままに行動することで、崖っぷちの姉と自分の生活を更に追い込んでいく。ここで、子どもってそんなものよね、と思うのか、6歳ってここまで分別つかないの? と考えるのかで解釈が変わるというか。
自分は大人で、リロの後始末をする姉の側の人間だから、ずっとこの二つの視点の間をふらふらしてる。
姉は言い聞かせはするけれど、リロは言葉として記憶(というか脳内に記録という感じか)しても自分の起こす行動と結果には結び付かず、理解には至らないまま。経済的にも崖っぷちの姉は、仕事は失うし、バイトは決まらないしで、どんどん追い込まれていく。
姉のリロと一緒に暮らしたい。自分がリロを守り育てたいという思いは、両親を失った彼女の縋りつけるたった一つの命綱のようなもので、その責任を担うことで喪失の悲しみや苦しさを殺している。だから決してリロのための自己犠牲というだけじゃない共依存的なものに見える。
姉の夢を叶えて欲しいと願っているリロよりも、リロを手放せない姉の心の状態が問題だと周りの大人には見えてないのか、あるいは分かっているからこそ、引き離そうとしているのか。
こんな問題が、エイリアンであるスティッチが絡むことで、より浮き彫りになって、かつ解決に結びつことにも繋がる。
リロがスティッチを躾ける場面はあって、賢いスティッチは行動と結果の因果関係を理解し、行動を改めることを学習したけれど、リロはどうなんだろ? いろいろ、繋がらないままなんじゃないか。リロはこの事件の間に成長したのかな? ともやもやは解消されないままでした。
ネタバレになるけど、ラスト近くの海中シーンのお姉ちゃんが衝撃で、この映画で一番の超人はこのお姉ちゃんだ! と確信した忘れられないシーンでした。
映画を通して繰り返される「リロ(あるいはスティッチ)は悪い子じゃない。ただ時々、悪いことをするだけ」というセリフが子どもの心に響くのかな、と思ったりも。
「悪いことをするだけ」の後に続く言葉が知りたいのにな。だから、どうすればいいのか。
でもそれは、一つ一つの事例に対して、どこから教えなければいけないのか。と、それぞれに答えは違うのだろう。どう教えれば繰り返さずにすむのか。育児ってほんま、手間と暇掛けなきゃ身を結ばない。
あと、小さい子が観るには結構、バイオレンスで怖いみたいです。




