「ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」(映画)
監督 中田秀夫
新米教師の等々力小太郎は、赴任した小学校の子どもたちから不思議な駄菓子屋「銭天堂」の噂を聞く。怪しげな店主・紅子が選んでくれる駄菓子を食べれば願いがかなうが、食べ方や使い方を間違えると大変なことになるのだという。やがて、銭天堂の駄菓子を買ったと思われる人たちの様子がおかしくなり、小太郎が密かに思いを寄せる雑誌編集者・相田陽子も暴走してしまう。そんな中、小太郎はもう一軒の駄菓子屋「たたりめ堂」の存在に気づく。その店では店主のよどみが人々の悪意を集めて作った駄菓子を売っていた。小太郎は大切な人たちを守るべく、紅子とともによどみを追うが……。
シアターで映画を観るの、何年ぶり? チビさんたちを引き連れて行ってきました。
公開最初の日曜日なのに、客席は半分くらい埋まっているだけで、余裕で5シート横並びの席が取れました。映画が終わって振り返ってびっくり。客層が高齢者ばかり。それも女性が大半。小学生くらいの子どもは、うち以外は二組だけ。あ、天海祐希さんだからか、と納得。この映画の対象年齢、どの辺りを目指していたんだろう……。とはいえ、映画は大人が見ても面白かったです。
たまにアニメを見ていました。記憶に残っているふしぎ駄菓子も出てきます。アニメと同じく紅子さんは狂言回し的な役回り。子どもよりも、大人、大人と子どもの中間くらいの高校生がメインディッシュ。子どもよりも大人の方が、欲望コントロールが上手くできないのが何とも。
「楽して簡単に願いを叶えるやり方には、必ず報いがある」「幸せになれるかどうかはあなた次第」
簡単に願いが叶うことが、子どもの人生にどう影響するのか、現実ではすぐ見極めることはできません。自分の子育てでは、簡単に願いが叶わなかったことの弊害と恩恵の両方を知ることはできましたが。その反対には財力が要る。
今は、子どもが可愛いから願いを叶えてあげたい。だけど、それがもたらす影響には責任を持たない、そんなサンタさんが身近にいるからなぁ。
大人であれば、編集者の陽子さんのように自分で責任を取ることができるけれど、子どもが誰かを傷つけたり、悪意をあびたり、自分で抱えるのは大変だろう。映画では、そこは先生や友達に助けてもらい、あるいは、ふしぎ駄菓子のせいだから、と水に流してもらったり。駄菓子は自分を変えるきっかけにすぎず、自分をなりたい自分に変えていくのは自分次第の力ということ。
現実での子どもの願いは、なりたい自分になる、ではなくて、衝動的に欲しいものを手に入れたいだったり、ただ単に「当たり」が欲しい、ラッキーな自分で気分をアゲルためだけの消費だったり。そんな願いを叶えることも、受容されている、環境への信頼へ繋がるものもあるのだろうか。
弊害ばかりに目がいってしまうよ、と、うちのチビさんたちの欲望の残骸を大掃除しながら、自分の叶えたい願いは何だろうな、とふと考えてしまいました。子どもらの「欲しい」「欲しい」攻撃から解放されることかなぁ。




