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「落下の解剖学」(映画)

 監督 ジュスティーヌ・トリエ


 人里離れた雪山の山荘で、男が転落死した。はじめは事故と思われたが、次第にベストセラー作家である妻サンドラに殺人容疑が向けられる。現場に居合わせたのは、視覚障がいのある11歳の息子だけ。証人や検事により、夫婦の秘密や嘘が暴露され、登場人物の数だけ<真実>が現れるが―。




 恒例の週末映画劇場。今回はあーこさんのリクエスト。

 法廷もの、面白かった。だけど、予告にあるような「背筋が凍る」サスペンスではなかった。


 ちょっと、黒澤の「羅生門」みたいな感じで、妻の視点と夫の視点とで、現実の認識が異なっていたことが、法廷で明かされていく。それをずっと息子が傍聴しているのがなんとも辛い。

 判事が、息子に「あなたに配慮する余裕はないから、傍聴するな」と言うのがいいな、と思った。息子の返事は「もう傷ついています」で、傍聴を止めなかったけれど、事前に今以上に傷つく可能性を教えてくれるのは優しい配慮だ。


 検察側の証拠が、何か無理があるな、という感じで、状況証拠が説得力に欠ける分、動機を作り出すために妻の私生活を暴いて、裁判官の心象を悪くしようとしているみたいで、裁判って嫌なもんやなってつくづく思う。


 裁判に勝ったところで、何かを得るのではなくて、裁判になった時点で大きなマイナス。自分にも子どもにも大きな傷が残ることになってしまう。妻は作家だから、炎上商法で本は売れるかもしれない。


 録音された喧嘩の内容を聞いていると、この妻、フランシス・ベーコンみたいに思えた。絶対的な支配者で、搾取的。それが当たり前すぎて、相手の苦しみは相手にしない。だけど、それは愛がないとか、寄り添わないからではなくて、夫は現実面での見通しが甘くて自分自身で罠にはまる。妻は選択する時点で決定に対して譲歩しているのに、上手くいかなかったツケを自分も負わされるのは勘弁してくれってことで。能力差だったり、合理性の差だったり、情緒面の割り切り方の差だったりで。

 むしろこの夫婦、11年もよく続いたな、と思った。4歳の時に息子が失明して、息子につくす7年間か。作家の妻と作家になりたい夫。どっちも自分の内的世界を持っている。家事や子育てに奪われる時間を不満に思う気持ちはわかるわ。自分の優位性を手放さず、夫を罵る妻は、夫の子どもへの愛情を信じているから、自殺までは想像できなかった。そこが妻の見通しの甘さか。精神科にかかった時点で、もう少し寄り添う姿勢があれば、あるいは病気だという認識と正確な知識があれば、違っただろうか。

 

 ただ一つ、不満だったこと、中途半端な夫の人物像のためかもしれないけれど、外の景色がすけるほどすき間だらけの屋根裏の壁。雪の積もる地域でありえんやろ。雨漏りだらけになる。いくら断熱材張ってる途中とはいえ、あの壁はないやろ。




 



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