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「蠅の王」(映画)

 監督:ピーター・ブルック 原作 ウィリアム・ゴールディング


 時代は核戦争が起こる近未来。陸軍幼年学校の生徒たちを乗せた飛行機が墜落した。とりあえず一命を取り留めた24人の少年たちは、近くの無人島へ漂着する。しかし彼らは、世間から隔絶されたこの島で、己の内に秘めた野性に目覚め、やがて理性と秩序を失ってゆく・・・。




 かなり前から見たいと思っていて、見られなかった(だって、配信がないから)映画。ようやく見れました。1963年版と1990年版がある。評判がいいのは1963年版だけど、見たのは1990年版。見比べしようかなと思っている。


 だいたいのあらすじは知っているのだけど、映像で見ると各々の心理が判らないところがある。特に無口なサイモン。槍に刺されて飾られている野豚の首の意味とか、その前に佇むサイモンの重要な場面がさらりと流されてしまった。


 初めの方の場面では、ラルフとジャック、どっちの子が理性派でどっちが野生派か判らないくらい、どちらも傲慢で乱暴に見えた。

 もう終始、男の子、乱暴で怖いな、の世界。

 単純にラルフ達が善でジャック達が悪とは見えなくて。規律を重んじることで集団をまとめようとするラルフと、上下関係や力の差を規律に置き換え集団をまとめるジャックの立ち位置は、条件次第で入れ替わりそう。


 ラルフが理性的というよりも、家に帰りたいラルフと、そう期待して打ち砕かれるのを恐れるジャックの目的の対立なのかな。ジャックのラルフへの憎しみにも似た闘争心って、ひたすら認めたくない現実への恐怖からの逃避のようで、今さらリーダーの座を脅かされるとか、そんな理由からのものじゃない。躁的防衛っていうのかな。攻撃性でもって、自分のか弱い心を守っている。

 家に帰れる可能性にすがることが、現実を受け入れ上手くやっているつもりの自分たちの否定であり、抑圧した本当の願いをさらけ出す、絶望を思い出させるものになる。

 ジャックのなかの怪物は、叶うことのない希望で、その現実をつきつけてくるラルフたちは、排除しなければならないその象徴のようなものなんじゃないか。


 そして、武器だとか集団の暴力の前で、偉そうに命令する側だったラルフはただただ逃げ惑うしかない。話し合うとか、説得するとか、こうも無力なものなのか。映画のなかのラルフって、情で相手を動かせるような魅力に乏しかったから、この成り行きが違和感なく感じられて。ラルフにはリーダーとしての資質の何が足りないんだろうね。


 これは原作を読まないとな、と切実に思いました。

 




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