「恋におちたシェイクスピア」(映画)
【「ロミオとジュリエット」誕生の陰に若きシェイクスピアの恋があった・・・・。】 1593年、ロンドン。テムズ川をはさんで、カーテン座とローズ座という二つの芝居小屋があった。芝居好きのエリザベス女王のために演目を競い合い、ローズ座ではシェイクスピア(ジョセフ・ファインズ)が新作コメディ'ロミオと海賊の娘エセル'を執筆していた。なかなか筆が進まないシェイクスピアだったが、カーテン座で豪族令嬢ヴァイオラ(グウィネス・パルトロウ)と出逢い、一目で恋に落ちる。その一方、オーディションでトマス・ケントと名乗る俳優を見出したシェイクスピアは、人が変わったように台本を仕上げていくが・・・。
二回目。あーこさんと一緒に観たかったので買ってみました。当然、字幕なし。で、あーこさんは途中で脱落。ビルさんと最後まで観ることに。この映画を私が好きだと言うのが意外だと言われてしまった。理由はラブストーリーだから。ラブストーリーだから好きなんじゃなくて、シェイクスピアが好きなんだけど。シェイクスピアの恋が「ロミオとジュリエット」を作り上げていく過程や想いの昇華の仕方を、逆に「ロミオとジュリエット」から作り上げてる訳だから興味深いし、脚本ほんま上手いなって思う。
まぁ、それは置いておいて。
やっぱり言葉が判らないと楽しめない部類の映画ではあるかも。劇中のセリフがリアルの中で交差しているところとか、耳で聞くだけでは分かりにくい。一度見て物語が頭に入っているから楽しめるのはあると思う。
あーこさんたちがグローブ座に観に行った「マクベス」は現代版で、ネクタイ締めてたり、スパイダーマンの着ぐるみ着ていたりしたそうなので(蜘蛛巣城のオマージュ? ブリティッシュジョークか)、この映画のロミオとジュリエットの舞台での、この韻律にはやっぱりこの衣装よな、と思いながら観ていた。
デカプリオの「ロミオとジュリエット」もすごい違和感で好きじゃない。時代が今なら、今の言葉を喋っていないと今生きている空気感が作れないんじゃないかと思う。まぁ、ヒットした映画だから気にならない人は気にならないのかもしれない。
映画はラブストーリーなのだけど、シェイクスピアは結婚していて妻子持ちだし、ヴァイオラにしても何もかも投げ打って恋に生きたいというほどの覚悟でもない。火遊びというにはあまりにも互いに惹かれているけれど、枠を逸脱する気はないんだよなぁ、二人とも。恋に恋するヴァイオラと、互いの情念を全て作中に昇華するシェイクスピア。互いの才能に恋して、舞台という結びつきの中で恋し合う間はいいけれど。
ラストは新天地での彼女を夢想してシェイクスピアが「十二夜」の執筆に取り掛かる場面で期待に溢れて終わる。
けれど、変わらず劇中世界で生きられる彼と違って現実のヴァイオラはむしろ、夫となった婚約者に何もかもバレて、これからことあるごとに苛め抜かれるんじゃないか、と心配になった。もともと没落貴族である彼とは、資産家の娘ヴァイオラの金めあての政略結婚なわけだし。あれだけ赤っ恥をかかされて平穏な結婚生活に進むとは考えにくい。
彼女は、燃えるような恋をした思い出を胸に生きていくのだろうか。それとも、のしかかる現実に挑み続けて自分の世界を拓いていくのだろうか。




