「アサイラム 監禁病棟と顔のない患者たち」(映画)
学生エドワードは辺境の精神病院を実習に訪れる。この病院では患者は自由に生活をしていた。その画期的な治療法に驚嘆するが、何故か院内には絶えず怪しい雰囲気が漂っていた。そんな中、エドワードはひとりの美しい患者に目を奪われるが、彼女は「早くこの病院から逃げろ」と忠告する。
再視聴。あーこさんと、上の娘さんと。仕事が忙しすぎる娘さんのゆっくりできる時間が久しぶりにあって、「映画観たい」と、見始めていたところでひょっこり入ってきた。一緒に観るときは、いつもなら肩の凝らないエンタメ映画を選ぶのだけど、ちょうど始まったところだったのでこのチョイスのまま。いやぁ、精神病院が舞台のちょっと小難しい面もある作品なんだけど。結構、飽きずに最後まで観てて、「面白かった」と言ってました。
ラストのどんでん返しがこの映画の肝なんだけど、あーこさんは中盤から、「この映画、まともな人が一人もいない」と核心をつく感想を呟き始めて。ラストシーンは、私と解釈が分かれました。「患者は医者になれない」というあーこさん。
はたして、二人は医者とその妻としてそこにいるのか、患者としているのか……。
タネが早いうちに判ってしまったあーこさんは、あまり楽しめなかったようだけど、私はこの映画二回目でも面白かった。
医者と患者の在り方とか、立ち位置、関係性、距離感、頭を悩ませずにいられない永遠のテーマだから。一回目に観た頃に、ちょうどその問題意識を綴った本を読んでいたのもあって。
患者に自由と尊厳を取り戻すことで、症状が劇的に改善する。けれどその一方で規制されることのない攻撃性は、容易に他者へ向けられ命を奪うまでになってしまう。そして管理者であるはずのラムは、それを追及することも罰することもない。
踏み潰された自我の修復回復過程で噴出される怒りは、往々にして無関係な他者を巻き込んでいくもの。この病院乗っ取りなんかは、まだ真っ当な復讐といえるのかもしれない。
それにしても、こういう医療が正当としてまかり通っていた時代を鑑みると、時代の正義もその時々で変わるものよな、と思った。昨今のLGBT法案とかね。それが正義とされ、権威となるものから被害者が生まれるなら、いつまでもその状態は続かないと思うのだけど。




