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「シャッター アイランド」(映画)

 精神を病んだ犯罪者だけを収容し、四方八方を海に囲まれた「閉ざされたシャッター アイランド」から一人の女が姿を消した。島全体に漂う不穏な空気、何かを隠した怪し気な職員たち、解けば解くほど深まる謎……。事件の捜査に訪れた連邦保安官テディがたどり着く驚愕の事実とは!?



 割りに早い段階で、違和に気づいた。これは主観が見ている世界なんじゃないかなって。どこか「メメント」と被る印象がある。

 妄想なのか、過去の記憶なのか、幻影なのか、そういった現実ではない映像を挿入させながら物語が進んでいくから、これは現実なのかと疑いながら見るようになって。主人公(テディ)の受け入れ難い現実がどんなふうに投影されるだろうかと考えながら観るようになって。


 最後のセリフ「怪物として生きることと、善良な人間として死ぬのとどちらが酷いか」は、いろんな解釈があるんだな。


 自分としては、ロボトミーによって、暴力性のない善良な人間として自我の死に甘んじること=死。暴力性を抱えたまま狂気のなかで生きること=生と解釈したけれど。


 精神科医は対話によって、自身(テディ)のなかの暴力性=怪物を飼い慣らすことを望んだのだと思うのに。

 全編通して彼の理性は暴力を否定するのに、精神的な圧力がかかるたびに暴力的に反応しては、それを正当化するための物語を創り出さずにはいられない。暴力を嫌えば嫌うほど、自身のなかの暴力性は都合のいい誰かに投影され、それに立ち向かうための正義として自身に力を与える源になってしまう。


 自分の内のやりどころのない怒りや悲しみを、攻撃性という形の発露ではなく昇華するには、どれほどの時間がかかるだろう。精神科の治療に2年で結論を出すのは短すぎるよな、と思ったりも。ロボトミーが行われていたような時代だからなぁ。






 

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