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「トム・アット・ザ・ファーム」(映画)

監督グザヴィエ・ドラン


僕たちは、愛し方を学ぶ前に、嘘のつき方を覚えた。『わたしはロランス』で世界を魅了し、最新作『Mommy(原題)』で、J.L.ゴダールの作品と共に第67回カンヌ国際映画祭コンペティション部門審査員特別賞に選ばれた弱冠25歳の美しき天才、グザヴィエ・ドラン監督・主演。息の詰まるような、愛のサイコサスペンス。(C)2013 - 8290849 Canada INC. (une filiale de MIFILIFIMS Inc.) MK2 FILMS / ARTE France Cinéma




「僕たちは、愛し方を学ぶ前に、嘘のつき方を覚えた」このコピーは秀逸な割りに、中身が伴ってないというか、嘘がテーマという訳でもない。


 ゲイであることを隠している、過去の暴力事件を隠している二人。息子を亡くした母親のために嘘をつく。そのことに罪悪感を持っているとも見えない。


 冒頭の歌の歌詞がとてもいい。こんな話を書いてみたいと思う。



 そして、冒頭のメモ書きのように、主人公は亡くなった恋人の代わりを、暴力的なその兄のなかに見つけるわけだけど。

 仕事仲間の女を呼んで、恋人のフリをさせる理由がわからない。彼女が、主人公の恋人の、性的にだらしない性質で、自分とも関係があったことも話すのだけど、ほんと、彼女なんでこの田舎までやってきたのだろう?

 死んだギョームには思い入れはない。それなら、主人公との関係性は?


 ギョームの死因も、事故というだけでなんだか含みをもたせてるし、もっと謎がありそうな感じだけど、明かされない。

 主人公との過去も明かされない。雰囲気からは、この二人恋人じゃないんだろうな、セフレの一人、って感じで。


 葬式で兄フランシスが追い返した男のことも解らずじまいで。


 兄は母親に支配されているのに、主人公相手に愚痴垂れて、母の死を願っているようなことまで口にする。弟との関係性をいまいちわからない。


 現実って、こんなに曖昧。解釈は多様って考えるとそんなもんか、なんだけど。


 主人公が、フランシスに首絞められて恍惚として、ギョームを重ねて満足しちゃうところとか、めっさ共依存完成って感じで、それから目の前で自分が呼んだサラといちゃいちゃされて、さらに過去の暴力事件を聞いて、ここを去る決心をしていく過程とか、説明はつくけれど、本当にそうなん? なんか見落としてる感じがして。いまいち読みこめてない感じがする。




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