「マイ・マザー」(映画)
監督グザヴィエ・ドラン (カナダ映画)
カナダのケベック州の何の変哲もない小さな町で暮らす17歳のユベール。かわりばえのしない毎日をやり過ごす彼は、毎日のように何かと口を挟んでは自分をコントロールしようとする母親に苛立つ。やがて母親に対するイライラは激しい憎悪へと変化していく。(C)2009 MIFILIFILMS INC
これは、監督で観てみたい。この人の一群の作品観たくて、プライムお試し会員に。
19歳のときの作品だそうで、ラストも一つの結果が示されるのではなく、その過程のままいったん〆た感じ。
主演と監督が同じ人。
母親は内在化された残酷な神か。
ドラッグやって、意識化されたのはやはり母親。寄宿学校に入ったところで、心は母に支配されたまま。
高校生、当たり前にドラッグしてるんだ。
それにしても、この母親にしろ、息子にしろ、言いたい放題。ホンマに幼児か、って思う。そこで怒り心頭は判る、判るよ、でもその行動は幼稚としか言いようがない。
彼らのうまくいかなさって、結局どちらも幼児だからって思ってしまう。
母は衣食住を満たすことが母の役割と信じ、頑張ってきたのに、肝心のものを与えてあげられていなかったんだろうな。
息子はその足りなかったなにかを、うまく言語化できなくて、いつまでも母に頂戴、頂戴をやめられない。
内面化されて自分を支配する母を切り離したいのに、どうしてもできない。恋人もいるのに、二人の世界に切り分けられない。
この恋人と母親の関係が面白い。ラスト近くで学校から逃げてきたユージーンに、「きみの言いなりで言う通りにするけれど、俺を巻き込むな、大人になれ」っていうのがいい。
彼の家も母子家庭なのかな。でも、ユージーンのようなベッタリ感もなければ、一定の距離もあって、こっちの母子はいい関係に見える。たぶん、主人公にはそう見えてる。
はたから見れば、はた迷惑な親子。
彼の失踪を、父親の代わりが必要だと言った校長に母親がキレる場面で、共感を示すコメントがたくさんあったんだけど、まぁ、私も同じように家庭の問題とされたことで呆れたことがあるから、判らなくはないけれど、やはりここには、父の厳しさや規則がいる、と思った。母子分離には第三者=父の介入が、おそらく一番スムーズなんだろう。
失踪の直接の原因ではあるのかもしれない、いじめ(暴力沙汰)、と延々と続いている彼の内面での母への葛藤。でも、この映画では、彼の恋人や、恋人の母や、父への想い、先生への想い、どこまでのスペースを占めているのか解らない。水面下は、母一色な感じで。
でも、参考になった気はする。承認欲求のはき違えとか、自我形成の大変さとか。
自分は違う、と誰もが思っていることとか。




