「ラブ・クレイジー」(映画)
「ラブ・クレイジー セックスだけの関係」監督ジョエル・ヴィアテル
裕福な女性2人が失業中の男性2人を自宅のプールハウスに滞在させる代わりに、彼女たちへの性の奉仕を提案。奔放で野性味あふれるセックスを楽しむカップルと、経験少ない彼女に優しく性の手ほどきをするカップルがそれぞれ行き着いた愛のカタチとは?2組の恋の行方を描くラブストーリー!
この邦題、変で損してる。レヴューが良いので期待してみたら、凄く面白くて納得の内容。もう一回丁寧に観たい。R18指定だけど過激なシーンはない。
スタニーとダナ、ジョーとアナの二組のカップルの物語。そして、スタニーとジョー、ダナとアナの友人関係の物語でもある。
この二組、セクシャリティはヘテロで、互いを性的に意識しているわけではないけれど、精神的に同性愛的な関係にみえる。とても共依存的。
感情的で感覚的なスタニー&ダナカップルと、理性的で賢いジョー&アナのカップルの対比が面白い。
このなかで一番賢く冷静なのがジョーなのだけど、彼は理性的すぎて自分の感情が自分で掴めていないような感じ。ラストは、その彼の感情をスタニーが教える形で、ジョーは自分が本当に望んでいることを掴む。この直情型のスタニーとジョーがどうして友だちでいられるか、って、結局こういうこと。自分の欠けを補ってくれる相手だったんだな。
他者との関係において、相手に与えることで利益を得る。そこに自尊心だとか意地やこだわりがジョーにはない。彼は誰とでも上手くやっていけるだろうな。相手に与えて得るものは、現実的な利益に精神的な満足。だけどそこには自分自身が望んでいることは入っていなくて、彼はクリアな理性をもっているのにその場限りの時をサバイバルしているだけ。アナとの関係に満足しているけれど、彼女を愛しているかどうか、言われるまで判らなかった。そして、それはアナの方も同じ。けれど彼女の方が、自分の欲望や感情を捉えるのが上手い。
ジョーとの共依存関係では、縋る側にいるスタニー。彼は直情的で正直、でも幼い。同じ幼い子どもを抱えるダナを愛しても、彼女の幼さや傷を抱えてあげることはできない。スタニーはダナから書くことを教えられ、ジョーへの依存を断ち切って、彼のニードを尊重し、アナの許へと戻るようにすすめる。
この4人の関係からスタニーが抜けて、ダナ、アナ、ジョーの三者関係が始まったら、ダナとアナの関係はどう変わるのだろう?
このなかで触れられているセラピーに通っているというダナの傷。おそらく「太っている」が彼女の地雷。ジョーは初めは偶然それに触れてしまっただけ。でも、別れるきっかけになった時は、解っていてそれを踏み抜く。相手が一番傷つくポイントだと解っているのに。彼にしてみれば、自分の感情を尊重してくれないダナが許せない。「対等な関係」「支配関係」という言葉が、彼の方の口から出る。
この支配関係、男尊女卑で捉えられがちだけど、ここでは階級差。お金。そしてそんなものが関係しない、互いの心理的な力関係。支配されている、と感じるスタニーは、おそらく抑圧にとても敏感で神経質。
4人が4人とも、この関係性のなかで成長していく。この短い時間枠のなかで。2か月というドラマのなかの枠、そして、映画の2時間という枠。とても自然でお見事。
しかし、まれに見るしっかりした人物造形、ストーリー展開だった。今年観た中で、一番に面白かった。




