「怪物はささやく」(映画)
12歳の少年コナーは、難しい病を抱えた母親と2人で裏窓から教会の墓地がみえる家に住み、毎夜悪夢にうなされていた。ある夜、コナーのもとに怪物がやって来て告げる。「今から、私はお前に3つの【真実の物語】を話す。4つ目の物語は、お前が話せ。」しかも怪物は、コナーが隠している“真実”を語れと迫るのだ。頑なに拒むコナー。しかしコナーの抵抗など意にも介さず、その日を境に夜ごと怪物は現れ物語の幕が上がる―。(C) 2016 APACHES ENTERTAINMENT, SL; TELECINCO CINEMA, SAU; A MONSTER CALLS, AIE; PELICULAS LA TRINI, SLU.All RIGHTS RESERVED.
監督J.A.バヨナ
出演シガニー・ウィーバー, フェリシティ・ジョーンズ, トビー・ケベル
これは最近観た中で好きな映画ベスト10に入る。児童文学って感じそのもの。
子どもらと一緒に吹き替えで観ていたから、セリフがほとんど聞き取れてない。次は字幕で観よう。
でも、子どもらの反応が面白かった。何よりも怖がっていたシーンが、主人公が、夢と現実の間でごっちゃになって、部屋を破壊しまくった後、おばあちゃんが帰ってきた場面。「怒られる! 怖い!」って、5歳児、7歳児揃って悲鳴をあげていた。
3つの物語のアニメの場面をしっかり見入っていたり。お兄ちゃんは、最後のママを失う悪夢の場面に見入っていたし。対象年齢的には、難しいと思うのだけど。
いじめられる、という分かりやすい抑圧ではなく、終わりの見えない不安や恐怖。希望のないのにごまかされる優しさ。分かっていても受け入れられない現実。そんな処理できない抑圧にじわじわ浸蝕される感じや、本当は違うはずなのに、攻撃破壊衝動として表現されてしまう、怒りや悲しさ、くやしさ。それを大人がどう受け止めるか。
イギリスの児童文学が好きなのって、この傍にいる大人にほっとするからかもしれない。そう気づかせてくれた。
2/17 あーこさんと一緒に字幕付きで
ずっとひっかかっていた、どうしていじめっ子は彼にかまうのか? あーこさんの見解になるほどと思った。
「罰せられたいコナーに使われているから、苛立つんじゃないか」
なるほど。吹き替えで聞き逃していた、罰を望むコナーのセリフ。終わりにしたいと望み、その想いに罪悪感を抱き続けていたコナー。
母の最期の言葉も、怒りをおさえこまずに八つ当たりにちゃっていい。でもそのことを気に病むな、で。テーマはアンビバレンスを持て余すコナーの罪悪感が、罰を受けることのできる状況を無意識に望み行動化することに対して、意識化し言語化し、表現することで現実を受け入れることができるように導く怪物=母の思いなのか。




