「ヴィオレッタ」(映画)
女流写真家の母アンナ(イザベル・ユペール)は仕事で滅多に家に帰ってこず、母の愛情を求める娘のヴィオレッタ(アナマリア・バルトロメイ)は優しい祖母に育てられながら母の帰りを待つ。ある日、突然帰ってきたアンナは、ヴィオレッタを写真のモデルへと誘う。母親に気に入られたいヴィオレッタはモデルになる事を決心。しかし、アンナの要求は徐々にエスカレートし、大胆なカットを要求される。最初はごく普通のあどけない少女だったが煌びやかな衣装とメイクで次第に大人の女の色香を漂わせ、退廃的な少女に変貌していく・・・(C)Les Productions Bagheera, France 2 Cinema, Love Streams agnes b.
監督エヴァ・イオネスコ
出演イザベル・ユペール, アナマリア・ヴァルトロメイ, ドニ・ラヴァン
なかなかに、身につまされる映画だった。母親の娘への投影理想化と母の自我の投影に圧し潰された自分から、母を引き剥がし、でも自分を取り戻しきることのできない娘の葛藤の物語。
芸術の名目の下で作られるのは、母の承認欲求を満たすための何か。そしてそれは、貧しい一家に収入をももたらし、唯一の娘の味方の曾祖母もそうそう強く反対することもできなくなってしまっている。
母のイメージするところのものも、解る面もあるんだよな。でもそれは、本人の了承あってのものでなければ。
ただの媒体、器だというだけの子どもを使って表現された退廃って、それそのものが鑑賞する側の醜さの投影のメタファーなのかな。
ちょうどサウードの回の、父の夢の投影としての自分を書いているところだから、ここで扱われているポルノという面からだけではなく、人格への侵襲としての理想化、投影として、いろいろ考えてしまったよ。
でも、「NON!」と言えた娘は強い。この自我の在り方はフランス的だと思った。他の方のブログで、ルナールの「にんじん」を引いてきて書かれていたけれど、こういう母親には、「嫌だ」と自らが示さなければならない。そのための物語なのだ、という解説に納得いった。
でも実話に基づくこの映画は、にんじんのようには終わらず、彼女は回復への道のりに至るまで、かなりの苦しみを余儀なくされたよう。
映画の表面だけでは読み取りづらい、不安や恐怖や、嫌悪感、そんなものの抑圧と、信じていたはずの愛や信頼、依存的な想い。踏みにじられた悔しさ、もろもろ。
子どもの心を守るということ、考えてしまうよ。




