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「午後3時の女たち」(映画)

 監督ジル・ソロウェイ


 タランティーノが選ぶベスト10に選出!サンダンス映画祭で監督賞受賞!セックスするなら、午後3時がいいの。誰にも言えない切実な、夫婦のセックスレス。女たちの日常に潜む欲望を大胆に描いたコメディドラマ。




 平凡でリアルな日常。面白かった!

 セレブな妻レイチェルとセックスワーカーのマッケナの関係性と心情の移り変わり、本音がとても自然で、周囲の友人たちとの会話がともかくリアル。


 精神科にかかるレイチェルの、抑圧さえたものを意識化言語化できない、できないということに気づいてさえいない初版から、マッケナの一見自由奔放、欲望に忠実に見える行動に刺激されて自分を吐露していく。文字通り、吐き出すように。それがために自身の人間関係を壊してしまうところとか、すごく治療の道筋に沿った展開のようで。


 そしてマッケナは、たくましく図々しい女の子、のように見せながら、その実とても繊細で、やはり意識化されない夢や理想を持っている子なのではないだろうか。

 彼女が、レイチェルの友人たちの輪のなかに加えてもらえることなくはじかれる。そこからの本来の彼女らしいとも見て取れる行動は、とても境界性的で痛々しい。彼女は、レイチェルの友人でもなければ、信頼して子どもたちを任されるナニーでもない。彼女がセレブたちと関われるのは、セックスワーカーとしてでしかない。それを自分自身に思い知らせるような、そんな行動。


「いい人に出逢えるように」それがきっと彼女を支えていた夢であり、善意。


 マッケナとの出会いを通じて、レイチェルはトラウマを吐き出し、そこから派生していたのであろうセックスへの恐れや嫌悪、罪悪感から諸々解放されたのだろうけど、マッケナの存在は、彼女ら夫婦に消費されただけのようで。彼らにとって、他者ってそんなものなのか、となんだか物悲しく思えた。マッケナにとって、セックスの相手は「顧客」なのか、と批判的問うたレイチェルが、自分の思う通りのいい子でいない彼女を、退屈しのぎとして消費する。


 けれど友人たちというレイチェルの環境・コミュニティが関わってくるまで、この二人の関係はいい感じだったのに。価値観の違いも、ムカつくような言動も相手を尊重して。


 単なる階級差、互いに理解できない価値観、習慣の物語じゃなくてよかった。根底にあるのは同じ温かさや尊重を求める人間的な想いなんだ、って思えた。




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