「パリに見出されたピアニスト」(映画)
監督ルドヴィク・バーナード
出演ランベール・ウィルソン, クリスティン・スコット・トーマス, ジュール・ベンシェトリ
パリ、北駅。「ご自由に演奏を!」と書かれた1台のピアノを弾く青年マチュー(ジュール・ベンシェトリ)。マチューは天性のピアノの才能を持っていたのだが、生まれ育った郊外の団地で生き抜く彼にとって、その才能は誰にも明かせない秘密だった。そんなマチューにピアニストとしての将来性を見出したピエール(ランベール・ウィルソン)は、譜面も読めない彼に、“女伯爵”と呼ばれるピアノ教師エリザベス(クリスティン・スコット・トーマス)のレッスンを受けさせようとするのだった。
すごく期待して見たのに、肩透かしな凡作。
冒頭の駅でピアノを弾いているシーンがいい。でも、公益奉仕で音楽学校に出入りするようになり、レッスンを受けるようになりの彼の心理的変化というか、音楽への向き合い方はなんとも中途半端。
「きみはなぜピアノを弾くのか」の問いに、本人は黙ったまま、代わりにピエールが答えを与える。
音楽との一体感を具現したような演奏をするマチューにほれ込むピエールに対して、当の本人のモチベは女の子だったり、特別扱いされることへの自負だったり。だから、ピエールの奥さんのピエール側の事情なんかで簡単に揺らいでしまう。音楽ができなかったことを母親のせいにして逃げようとする。音楽とともにあった彼の感情、ピアノを教えてくれた老人の喪失の痛みや、ピエールの自分自身への関心が欲しい、認められたい欲求、音楽への純粋な渇望、そんなものと向き合おうとしない。
自分のピアノを好きな弟の事故をきっかけに、母親の一言でコンクールに向かうのは、さすがに作りすぎ感がした。
「セッション」でも会場に遅れそうで走ってたなぁ……。定番?
でも、マチューのクラッシック畑には見えないガタイのいい外見と、繊細なピアノのミスマッチはよかった。
そんな階級問題に切り込んでいくでもなく、別の角度から見れば職権乱用ピエールの独善で選ばれたマシューの特別枠、女の子とラブラブしながら成功し、人生楽勝じゃん。その才能はどうやって培われたものなのか、土壌が知りたい。
「天才とは、子どもの心を持った大人」という引用があったのだけど、訓練的な練習を嫌がるところとか、納得がいけば腱鞘炎になるまで夢中で弾くところとか、動機がとても子供っぽい母子一体型の繋がり感や承認欲求だったりするところが、「子ども」を表現しているのかな。本人の精神とは無関係に宿る天賦の才、魅力を感じられなかった。
駅でピアノを弾いている時の、「ただ好きだから」といった風情には惹かれるのに。磨かれないと宝石にはならない、というのも分かるのだけど、美しいものを加工して誰もが理解できるものにする。野生動物を飼い慣らして見せ物にする。ちょっと違うな。
結局、マチューの情熱とか音楽なしで生きていけないほどの渇望が見えなかったことがひっかかっているのかな。
ピアノを習わせてくれなかった母親への恨みとか。階級の狭間にいる自分の感じている軋轢とか、どれも中途半端な感じで。盗みに入った金持ちの家で、そこにあるピアノを弾く、その没入感は美しいのに。
設定はとても惹かれるのに、この描き方に消化不良を起こしている感じ。このテーマで書きたいな。梟の話に色付けようかな。




