「メメント 」(映画)
監督クリストファー・ノーラン
数分前の記憶を忘れてしまう前向性健忘の男が妻殺しの犯人を追う、クリストファー・ノーラン監督が贈る異色サスペンス。
イェール大学のオンライン心理学講座の「記憶」の項で、順行性健忘症の症例としてお薦めされていた映画。「明示的記憶と暗黙の記憶が中心的プロット」と説明されていた。
「記憶は部屋の広さも車の色も間違える。記憶は思い込みだ。記録じゃない。事実とは違っている」
「俺はいろいろ覚えている。世界の感触。彼女も……」
「時間を知らない俺が癒されるのか」
記憶がないのか、あるのか。事件以前の記憶はある。そこから時間が経過しない。けれど喪った妻の喪失感はある。記憶を薄れさせ癒してくれる時の経過というものも、直近の記憶とともに失ってしまった。
「目を閉じてもそこに世界はあるはずだ」
「本当に世界はあるか?」
「まだそこに?」
「あった。記憶は自分の確認のためなんだ。みんなそうだ」
これはどう展開するか読めなかったな。最後まで観て、記憶がないはずなのに、ないはずの記憶が覚えている過去に脚色を与えていることが判る。まるで無意識のなかから昇って来た重要なメッセージを、夢が象徴に変えて表出するように、彼の受け入れられない事実は、彼が受け入れられる形で妄想的な記憶に刷り込まれる。
記憶も記録も主観の世界。自分の判断で取捨選択をする。物語が過去へと遡るにつけ、客観として観ている観客は、彼の書き留めるメモと客観的事実との違和を少しづつ感じていく。
さすがに開示されていない情報が多すぎて、推理ものとしては消化不良な感じだったけれど、サイコサスペンスとしては面白かった。
記憶障害であってもなのか、障害があるからなのか、起点となった感情に戻ってくる再帰性。問題の本質は記憶ではないのだろう。
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2021/12/26
あーこさんと再視聴。結構忘れてる。本筋と交差されて進むサミーの物語が、本人の投影された人物像だったことなど完全に忘れていた。
二度目となると、細かい点にああそうだったのか、とスムーズに繋がってストーリーがすとんと落ちた感じ。
こうして見ると、主人公は自分が忘れるであろうことを前提に物語を作っている。意識できる今の自分は、無意識に沿ってその起点の物語を現実にするために行動を選択する。
これが今の、自分のテーマだったりするので、タイムリー。