第四話 ヤクザと少女と
――どうして俺はここにいるんだろうなァ……。
勇次は点鉱寺の本堂に登って屋根に腰掛け、少し強めの風に吹かれ赤い開襟シャツの襟をはためかせながら、そこから眼下に広がる雄大な景色――九州圏の連なった山脈――を見下ろしながら柄にもなく思慮を深めていた。
珍念が住職を務める点鉱寺は九州圏のほぼ中央にあり、周囲は険しくそびえ立つ山々に囲まれていて、最短の村まで常人の足だと一週間は登山をしなければ辿り着けない秘境の地にあった。
勇次がこの世界に居ることは真・閻魔を討伐するため以外の理由などないが、それは勇次自身充分に理解した上での疑問だった。ただのヤクザで、世間から常識から弾き出され、アウトローとして生きてきた一介の男。
そんなつまらない人間の俺が世界を救うために尽力をしている――これは勇次にとって面映い部分もあったが、それよりも未だに訳が判らないままで居る部分の方が圧倒的だった。
――俺はもしかしてあの時に死んで、ずっと夢でも見てるじゃねェのか……
「でも、あの時本当にヤラれちまっておっ死んでたら、俺は地獄行ってるはずなんだけどなァ……」そう独り言ちで頭の後ろで腕を組み、屋根の上に寝転がる。
今、自分が居る世界が現実か虚構の世界なのか、それを判別する手立ては何もない。その事を明確にする気も特には無かったが、気がつくと理解出来ない別の常識に囚われて生きていることに違和感を感じて、不安になることもある。ただこの世界で出会った人たちは、皆個性的で自分の事を積極的に受け入れてくれていて、彼らが居なければ未だに安曇野村の辺りで右往左往して居たかも知れねェな、と思ったりもしていた。
そう考えると勇次にとってかすみの存在は大きかった。彼女はまだ十二歳とはいえ、いわゆる『しっかりもの』だったし、勇次を献身的に支え好意を寄せている。かすみとの出会いは観音菩薩に因って仕組まれたものだったとしても、結果的に勇次をこの世界に馴染ませることに成功していたし、悪手ではなかっただろう。
――よいしょ、よいしょ……。
本堂の屋根まで登ってきているらしいかすみの声が足元から聞こえる。
「勇ちゃん、こんなところで何をしてるのですか? ――わぁ、ここは景色が凄いですね!」
買い物から帰ってきたかすみは勇次を探していたらしく、やっと見つけて隣に腰掛け、周囲の山々を一望できる絶景を目の当たりにして歓喜の声を出した。
「勇ちゃん、ここ見晴らしいいですね! 知ってたのですか?」
「いいや、ただ何となくここに来てみただけだ」
「そうなのですか? 良いところ見つけましたね!」
口をキュッと結んで口角上げて手をおでこに当てて庇のようにして周囲を見渡すかすみ。
「まァそうだな」
「そうそう、勇ちゃん。かすみ、海道和尚様の所に忘れ物をしたみたいなのです」
「忘れ物?」
勇次が訊ねると、かすみは少し恥ずかしそうにモジモジとした。
「はい……。その……。下着を置いてきたみたいで……。だから今日桃色幻想郷に行ってたくさん買ってきたのです」
「あァ……ねェ……」
「その……だから、無駄遣いしちゃったかもなので……ごめんなさいです」
そう言いながら頭を下げるかすみ。
――ったく、あのエロ坊主のせいでなァ……。可哀想に――。
「気にすんじゃねェよ、そんな事。気に入ったのがあったのなら良かったじゃねェか。あったんだろ? おめぇの好きそうなの」
「はい! たくさんありました! 珍念和尚様はすごくて、お店の中の、びっぷるーむ? とかいう特別なお部屋に通されて、そこで好きなだけ試着もさせてくれて、値段もとても安くしてくれたのです!」
「そうかい。それは良かったな」
「はい! それでかすみも特別会員にしてくれたのです、勇ちゃん! ゴールド会員です!」
かすみは桃色幻想郷で作ったキラキラと金色に輝く会員証を取り出して自慢気に勇次に見せる。
「へぇ、それ持ってると何か良いことでもあんのかい?」
「そうなのです。何と全国どこの桃色幻想郷でお買い物しても一割五分引きになるのです! これはラッキーとしか言い様がないのです!」
かすみは心からそれが嬉しい様子で、金色に輝く会員証を大切なものを見るかのように、何度も裏返したり陽の光に透かしたりしている。
「そんなに大切なものなら、無くさないようにしとけよ」
「はい!」かすみは元気に返事をしながら、会員証を胸元に仕舞い込んで、ポンポンと胸を叩いた。
「……勇ちゃん時々元気がなさそうに見えますけど、どこか具合でも悪いのですか?」
かすみが寝転んでいる勇次の顔を心配そうに見る。
「いや、そんなことはねェよ。そう見えんのかい?」
「はい……時々ですけど……。勇ちゃんは別の知らないところから突然かすみたちのところに来たので多分、ほーむしっく? ってのになってるんじゃないかって道玄和尚様が言っていました」
「ホームシックねェ……。確かにそうかも知れねェな。俺は自分がそんなにナイーブだと思ったことはねェけどな」
勇次は少しはにかんだように口角を上げる。
「……やっぱり自分が元居た世界に戻りたいのですか……?」
心配そうな、不安げな顔をして勇次を見つめるかすみ。
「元の世界……? あァ、そうだなァ……。確かに懐かしい気はするが……、戻りてェとは思わねぇな」
「じゃ、ずっとかすみと一緒に居てくれますか……?」
「他に行く宛があるわけでもねェし、しばらくは一緒に居ることになるだろうぜ」
「しばらく!? イヤですっ! ずっとずっと一緒に居て下さい! お願いします!」かすみは少し涙目で訴えるように言う。
「お願いって……。まァ、かすみがそういうのならそうするが……」
「本当ですか!? かすみは嬉しいのです!」少し曇っていたかすみの可愛い顔がパアッと明るくなる。
「でもよ、俺みたいなハンパもんより、もっとかすみに合った年相応のカッコいいアンちゃんと出会ったらどうすんだい?」
「年相応ですか……? 私はガキには興味ないのです! それにかすみは年の差婚に憧れていたのです!」
――ガキがガキって……。
「はァ……そうですかい……。年の差婚ねェ……」
「そうなのです――」
そう言いながらかすみは、甘えるように勇次が頭の後ろで組んでいる腕へ頭を乗せてくる。
「おい、かすみ――」
「えへへへ……。ちょっと勇ちゃんの腕をお借りするのです」
肩口に乗ったかすみの頭の重みが優しい――その髪が風で揺れて勇次の顔を撫でながら、新緑に萌える樹々のような爽やかな香りを四散する。勇次はその髪を押さえるように組んでいた腕を解いてかすみの頭をぽんぽんと叩く。
――まだまだ子供だが、このままいいオンナになってくれたらなァ……。まァ俺がそれまで生きてんのかどうか判んねェけどな。
勇次はかすみを腕に抱きながら、自分がこの先この世界でどうなるのかという一抹の不安も抱く。
――無事に真・閻魔とやらを倒したら、その後はどうなんだろ? 俺は役目を終えたって事で消されるんじゃねェのか? ちぇ、アレコレと考えても仕方ねェか。そういうの俺の性分でもねェしな。とりあえずは、この娘守りながら、真・閻魔とやらを往生させてから考えればいいかァ。
見上げている五月の空は何処までも青く、雲一つ無い。高地にあるせいか優しく髪を揺らす風はほんの少し冷気を含んでいたが、それは心地よく勇次たちを包んでいた。聞こえるのは樹々の葉々が風で擦れ合う音と、時折遠くで聞こえる――名前が判らないが――よくこの時期に耳にする鳥の鳴き声。穏やかな季節に穏やかな時間。殺伐とした現代に生きていた勇次には、この平穏は退屈に感じないわけでもなかったが、悪くねェなと、最近はそう感じることが多くなっていた――。
「――おい、勇次。お主はそこに居るのか?」
ふと気がつくと本堂の下から道玄が呼びかけているようだ。
「あァ居るぜ。何か用かい?」
「うむ。珍念が町で白虎のことについて情報を仕入れてきたみたいじゃ。降りてこい。今後のことを相談するぞ」
「判った。今、降りてく――」そう言って起き上がろうとした勇次だったが、気がつくと腕枕をしていたかすみは寝息を立てている。
「勇ちゃん……大好きなのです……むにゃむにゃ……道玄様、かすみのパンツ返して下さいね……むにゃむにゃ」
――何だよ、おめぇ、エロ坊主に盗まれたの判ってんのか……。こりャ思ったよりいい女になるかも知れねぇな。
勇次はもう一度かすみの頭をポンポンと軽く叩いて、澄み渡る青い空を見ていた。
「やっぱ、もう少しここに居るわ――」
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