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第二話 お願いしないで

 

「――パパーママー、ただいま!」


 かすみは草履を脱ぎ散らかし奥に駆け込んでいった。


 勇次は十兵衛に案内されるまま玄関の敷居を跨ぎ、土間でピカピカに光る白いエナメルの靴を脱ぎ、「邪魔をする」と小さく声にしながら武者小路家に上がった。


 武者小路邸は外見通り家の中も造りは立派で、渡り廊下から見える大きな中庭には一面玉砂利が敷き詰められていて、その中程にある大きな池で優雅に泳ぐ錦鯉が見える。池には欄干まで見事な細工が施された立派な石橋が渡されていた。



 ――カコーン


 鹿威しが庭の方から聞こえる。

 勇次は案内された客間の椅子に腰掛け、十兵衛が持ってきた茶を啜りながら『ここはどういうとこなんだ――』とひたすら頭を捻っていた。


「――失礼します」


 この家の主と思しき人物が客間のドアを開けて入ってきた。その男の見た目は四十歳ほどで、濃紺の着物に濃紺の羽織を重ね着しており、髪は短く切り揃え一見神経質そうに見える細めの目が印象的だった。


「いや、俺の方こそ突然邪魔をして、迷惑を――」


 勇次が立ち上がって挨拶をしようとしたら、その主が「いえいえいえいえいえー」と言いながら土下座でもするかのように腰を屈め、勇次の元に駆け寄ってきた。


 ――え?


 勇次は主人の突然の奇行に驚いて挨拶が途中で終わってしまう。


「私は、武者小路甚右衛門むしゃのこうじじんえもんと申します。何やら娘のピンチを救ってくれたそうで、誠にありがとうございました」


「俺は木崎勇次だ。娘さんの事はたまたま通りかかっただけだ。気にしねぇでくれ」


「そういうわけにはいきません! かすみの命の恩人なのですから。しかも本日は恥ずかしながら私の誕生日でありまして、是非木崎殿にも出席していただきたく――」


「いや、俺はそういうのは――、悪いが……」


「いやいやいやいや、だめです、だめです! 是非出席して下さい。()()()()()()


 ――『お願いします』

 これは勇次にとっては正に呪文であった。『お願いします』と言われると、断わることが出来ないのだ。それは勇次にのみ効果が発動する呪われた言葉であった。



 勇次がかつて、一介のサラリーマンとして暮らしていた頃、道端で酔い潰れて寝ていた松永組長の傍をたまたま通りかかった時に、

「――うちはもう組員が三人しか居なく、このままでは敵対する勢力に潰されてしまう。『お願いします』からうちの組に入って助けてくれ」といきなり頼まれた。

 勇次はそれを断ることが出来ず、その頼みがきっかけで極道の世界に入ってしまったほどの殺し文句だった。

 もっとも、勇次は極道になってからメキメキと頭角を現し、あっという間に松永組を立て直してしまったため、その筋の才能があったのだろう。


 お願いされてしまった以上、勇次はその願いを聞届けるために全力を尽くす。そうしてこれまで約四十年の人生を送ってきた。

 最期は極道となり殺されてしまったが、何故こんな風になってしまったのかは勇次自身も判らなかった。

 ただ、人の願いを断ると、どういう理由か一ヶ月の間、全く眠れなくなってしまうのだ。更にその上、飯は食えなくなるし、下痢はするし、妙な高熱が出てうなされるし、お金は落とすし、犬の糞は踏んづけるで、それはもう生き地獄だった。

 

 そんな思いを数度経験した以降、決して人のお願いを断ることだけはするまいと勇次は心に固く誓っていた。


 ただし、どんな願いをも聞届ける勇次でも、物理的に不可能なことは断っても問題はなかった。

 例えば、夜空を見上げて「あの星を取ってきて」とお願いされても、それは断る。無理なものは無理。もっともそういった状況では、お願いをする方も本気ではなく、それを断ったからといって眠れなくなったりはしなかった。


 勇次の見た目はかなりの男前で『渋い』雰囲気を存分に漂わせたヤクザだった。

 見た目が良く、人の面倒見も良かったため男女問わず人気があったが、常に近寄り難いオーラを発した専業ヤクザのため、そうそう気安くお願いをされることはなく、これまで聞届けることが出来なかった願いは殆どなかった。

 しかし、この世界ではそんな勇次の雰囲気に誰も臆することなく、何でもホイホイと気軽にお願いしてくる。

 そういった意味では、この世界は勇次にとって『地獄』より厳しい場所だったのかもしれない。



「――仕方ない。野郎だが壁の花で良いならば……」


「おぉ、良かった! じぃや! 木崎殿も今夜の宴に参加してくれるそうだ。ご案内を頼むぞ!」



 ――――――――――



 その夜、武者小路家に安曇野村近隣の名だたる名士たちが集まり、盛大な誕生パーティが催された。

 会場として用意されたのが、屋敷の敷地内にある別棟にある大広間で、優に百人は人が集まって立食形式のパーティが行われた。


「ここの雰囲気だと、せめて『誕生会』だろう。どうして『誕生パーティ』なんだ……。ワケがわからんな――」と勇次はぶつぶつと独り言を呟きながら壁の花になっていた。


 純白のスーツに真っ赤な開襟シャツ。そしてゴールドのチェーンネックレスというド派手な出立ちは、明らかに『壁に飾られた花』には見えなかった。いつもながら遠目にチラチラと勇次の姿を見る者たちの視線が纏わり付くのにうんざりとして、早く部屋に戻りたかった。


「――勇次にーちゃん、勇次にーちゃん」


 そこにかすみがたくさんの料理をお盆に載せて勇次の元に運んできた。


「お、かすみ、どうした?」


「勇次にーちゃん、なにも食べてないみたいだったから、かすみがお食事持ってきたのです」


「あぁ、そうか。スマンな」


「それで一つお願いがあるのですが――」


「――お願い……?」


 緊張が走る――。


「はい。勇次にーちゃんは呼びにくいので、勇ちゃんて呼んでいいですか?」


「あァ、それは好きにしたらいい――」


 一瞬ドキッとしたが、大したことではなくて良かったと安堵する。


「あと、勇ちゃんは今日うちに泊まって下さいです!」


「いや、そんな迷惑は掛けられない」


「だめですー泊まるのですー。お風呂も一緒に入るのですー」


「いやいや、それはだめだ」


「おねが――」


 かすみがそう言いかけた時、勇次は慌ててかすみの口を手で塞いた。


「わかった。今日はここに泊まらせてもらおう。でも風呂はだめだ。それで勘弁してくれ」


「えー。あっ! かすみがレディだから勇ちゃん一緒にお風呂に入るの恥ずかしいんですね」


「そ、そうなんだ。スマン」


「わかったのです。でも寝る時は一緒ですよ?」


 ――え? ちょっと待て。


 と言いかけた時、かすみは既に勇次の前から居なくなっていた。


 ――だから子供は嫌いなんだ。うっとうしい……。


 子供は口癖のように直ぐ『お願い』と言うため、勇次は子供が大嫌いだった。


 ――なんでもホイホイお願いっていうんじゃねぇよ。お願いされる方の身になれ、ガキどもが……。



 その夜、勇次はさすがに疲れ果てていて、用意された部屋のベッドで横になった途端に眠ってしまった。

 単独で飛鳥組にカチコミをかけ、およそ二十人程をぶっ殺し、組長のタマを取った日の夜である――疲れていないわけがなかった。

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