第十三話 邪鬼
「うぉぉぉぉりゃぁぁぁ!」
勇次が天神組の入り口となっている。三間一戸の楼門に拳を叩きつけると、松の木で頑丈に組み上げられていた大きな扉は木っ端微塵に粉砕され、無残に開けられた大きな穴の向こうに屋敷へ繋がっている表庭と通路らしき飛び石が垣間見える。
「さて、行くぞ」
勇次が大きく開いた楼門の穴から屋敷に侵入し、見事に整えられた植樹に囲まれた表庭を玄関に向かって進んでいると、その両脇に何人かチンピラが倒れている。
――寝てるみてぇだなァ。こりゃいいや。
門から十メートル程庭を進んだ所で漸く天神組の玄関が見えてくる。
「おぉ、悪い事して稼いだ金で立派な屋敷を建てたもんだなァ」
建物は平屋だが、正面玄関を一望出来る位置に立つと屋敷の大きさがよく判る。広い土間を持つ玄関を入った少し奥から両翼に張り出すように縁側が延びていて、その長さは凡そ二十メートル。それが左右にあるため、五十メートル近い横幅がある。正面からは見えないが、延びている縁側はそのまま奥の方に直角に曲がって更に続いているらしく、どうやら屋敷は正方形で、その縁を縁側がぐるっと取り囲んでいるような造りのようだった。
「ほぅ、ここまで立派な屋敷もそうそう見られるもんじゃないのぅ」
道玄も呆れたり感心したりといった様子だ。
「縁側や、お庭に男の人がいっぱい寝ていますね。海道和尚様の呪術は凄いです!」
かすみが驚いたように言うと、「滅相も御座らん、かすみ殿。拙僧はまだまだ修行の身。少しでもお役に立てて居ればとは存じますが……」と大男の海道は頬を赤らめて照れている。
「じゃ、組長探してきっちりと落とし前つけさせてもらおうかい――」
勇次が敷き詰められた玉砂利の上をザクザクと言わせながら歩いて玄関に向かった時だった。
周囲の湿度が急激に上がり、気持ちの悪い感触が肌にべっとりと纏わり付くような感覚を、その場にいた全員が覚える。
――なんだ……?
足を止めた勇次が辺りを見回す。
「勇ちゃん、あれ……」かすみが屋敷の左の方を指差す。
一同がその声に沿って、天神組の脇に林立する雑木林の方を見ると、月明かりしかない薄暗い樹々の上空に赤黒い靄の様なものがゆっくりと渦を巻いていて、時折赤い部分が発光するように煌めき、小さくスパークしているのが見える。その靄は段々と一つの大きな塊となり、遂には体長十メートル程の巨大な赤黒い鬼と化した。
「――あやつが、この町を襲い続けて居る大鬼か!」道玄が吠える。
「デカいな……。あんなの倒せるのかい……」勇次も流石に今回の大鬼を見て、いつもの強気が影を潜めている。
巨大な赤黒い鬼は、雑木林の樹々を次々と薙ぎ倒しながら、天神組の屋敷の方――勇次たちを狙ってドシンドシンと歩いてくる。
勇次はそれをまんじりともせず、鬼を睨みつけるように見上げている。
「日が落ちてから、わしらが騒いだもんじゃから、鬼が出たか。何れにせよアレも始末せねばならぬ敵。一石二鳥と行こうではないか、勇次!」
「で、どうすんだよ、じじぃ! あんなデカブツ……見たこともねぇ……」
巨大な赤鬼は雑木林を抜け、天神組の敷地内に乗り込んで来て、屋敷を破壊しながら勇次たちに向かってくる。
「グウォォォォォォォォォォ……」
手当たり次第に物を壊しながらも、海道の呪術で眠らせれていたヤクザどもを見つけると、片っ端から片手で摘み上げ口に放り込んで喰っていく。
「あいつ……人を喰ってやがる――。ハッ! かすみ――」
勇次が心配してかすみの方を見る。
だが、予想に反してかすみは怒りに満ちた鋭い視線を大鬼に向け、その小さな身体全体から発した緑色のオーラがメラメラと燃え盛る炎の様に揺らめいている。
「かすみ……おめぇ……」
「これは……どうやら、かすみの内側に眠る陰陽師の御霊が怒りで無意識に溢れ出てきてるようじゃのぅ。しかし、これ程とは……」
道玄がかすみの異変を見て驚愕する。
大鬼が天神組の屋敷の中程に達して、その裂けているような大口に投げ込んだ組長の橋爪権造を見た時、勇次は「これで一つは片付いたな」と呟く。
「やるか、勇次!」
「おうよ!」
「お主、手足は無敵なのを忘れるでないぞ!」
大鬼は完全に屋敷を破壊して、その姿を勇次たちの正面に現す。勇次は足元の玉砂利を蹴散らしながら猛然と突っ込んでいく。
「よっしゃぁぁぁぁ! ぶっ殺してやらァ!」
勇次は巨大な鬼をまず倒してしまおうと、左足の膝を狙いをつけ飛び蹴りを食らわせる。すると、なんと身体ごと大鬼を突き抜けた。膝を完全に破壊された左足は捥げ落ちてしまい、バランスを失った大鬼は、その巨大な体躯を瓦礫と化した天神組の屋敷に派手な音を立てて打倒し砂埃を巻き上げた。
「グウォォォォォォォ!」
「やったかい?」勇次は初撃で明らかな手応えを感じ、余裕が出てきたようだった。
断末魔の様な咆哮を上げ、しばらく倒れたままだったが、ムクリと恐ろしくのんびりとした動きで身体を起こした大鬼は、
「ウハハハハハハハハァァァァ!」と、突然笑い出し、「そんなものがこの邪鬼に効くと思ったかぁ、糞虫がァァァ!」と地鳴りの様な低い声で叫ぶと、千切れて無くなっていた左足が、見る見るうちに再生していった。
「道玄和尚! アレは……不死の呪!」
海道が驚いて道玄を見ると、道玄は焦燥した表情でゆっくりと頷く。
「まさしく、あれは不死の呪……。あの様な呪を式神に掛けるとは、恐ろしき陰陽師が居るのぅ……」
完全に足が再生した邪鬼は、ゆっくりと立ち上がり、勇次をハエでも叩き潰すかのように掌を打ち付ける。だが勇次はその攻撃を躱すことなく、その巨大な掌に向けて、拳を突き上げた。
「グウォォォォ……」
果たして勇次の拳は邪鬼の手を貫通し、そこに大きな風穴を開ける。
「お前ぇぇぇぇ……討伐者かぁぁぁ!」
「だったら、どうした! でくの坊ォ!」
「貴様ァァァァ……ぶち殺す!」
邪鬼は穴が開いた手をグッと握りしめて見つめると、穴は塞がって直ぐに元に戻る。
「道玄! こいつどうやったら殺れるんだ!? こいつはドスをぶち込んでも死なねぇぞ!」
勇次は幾ら攻撃をしても直ぐに再生してしまう邪鬼を見て、埒が明かない事に苛立つ。
「勇次、その鬼は不死の呪を掛けられて居る。要は幾ら蹴っても殴っても死なぬということじゃ」
「じゃ、どうすんだ!」更に苛立つ勇次。
「防御呪術と言うのは呪術防御と直接攻撃防御の二つを同時に掛ける事は出来ぬのだ。お主は別じゃがな――つまり、勇次の直接攻撃が効かぬ其奴は、わしらの呪術が効くという事じゃ」
「じゃ、倒せるんだな、あんなバケモンでも」道玄が光明が見えている事を勇次は知る。
「但し少々の呪術では倒せまい。じゃからわしら三人で同時に呪を掛ける。勇次はその準備が整うまで暫く其奴の相手をしてくれ」
道玄が勇次にクっとした鋭い視線を送る。
「何だか判かんねぇが、時間を稼げばいいんだな? 任せとけ」
道玄の目を見て勝ちを確信した勇次は、再び邪鬼に飛びかかっていく。
「海道、お主、三位一体の呪、使ったことがあるか?」道玄が海道に向かって訊ねる。
「さ、三位一体で御座いますか? 修行中に一度だけでしたら……。しかし、道玄和尚、我ら二人しか陰陽師はここに居りませぬが……」
「かすみが居る。あの娘なら……遣れるじゃろう」
「道玄和尚……」
海道はまだ幼いかすみが陰陽道の究極的な呪術を行き成り使う事に、不安を隠しきれなかった。
道玄は怒りのオーラを発し続けているかすみの元に近寄って、その目を見ながら伝える。
「かすみ、今からわしの言う通りにせい。あの鬼を中心にしてわしと海道、かすみの三人で取り囲んで同時に呪を掛ける」
「呪ですか……? 道玄和尚様、かすみは、その詠唱の文句を知りません」
今まで治癒の呪術しか使ったことがないかすみは、道玄の申し出に少し戸惑いを見せる。
「かすみと海道は、わしと同時に詠唱の前段のみを唱えればよい。残りはわしが唱える」
道玄が少し余裕を見せるかの如く口角を上げて、親指をビシっと立てると、二人は安心したように頷く。
「判りました」
「畏まったで御座る」
「では、それぞれ散って準備をするのじゃ」
かすみと道玄、海道は、その場から蜘蛛の子を散らすように散会して、邪鬼を中心に置いて三人が均等に並び立つ。
「勇次、その場から直ぐに離れるのじゃ!」
「おう、判った!」
勇次は邪鬼から離れ、かすみの後ろに付いて「頼んだぜ、かすみ」とかすみの頭を優しく撫でる。
「はい! がんばります!」陰陽師の風格を漂わせたかすみは、邪鬼を凝視したまま応えた。
「皆、始めるぞ!」道玄の合図で、三人が同時に呪術の詠唱を始める。
「――我はかすみ。字は元化。この地に揺蕩う全ての御霊よ。須らく我渇求を知れ――」
「――我は海道。字は天蓋。この地に揺蕩う全ての御霊よ。須らく我渇求を知れ――」
「――我は道玄。字は昇竜。この地に揺蕩う全ての御霊よ。須らく我渇求を知り、我ら三位が重ねし力那由多の彼方へ誘う門扉を開く糧とせし我が一念をぉぉ通せぇぇぇぇぇ――!」
同時詠唱をすると、三人に囲まれた正三角形の地帯が地割れを起こしたように抜け落ち始める。
何も無くなったその場所は、突如漆黒の闇となり、天神組の屋敷の瓦礫やチンピラ、植樹された樹々など、あらゆるもの全てをその闇の中へと飲み込み始めた。
「グウォォォォォォォォォォ、何じゃぁこれはァァァァ……」
邪鬼が呻き声を上げる。
かすみたち三人の陰陽師は闇に掌を向けたまま念を通し続け、その巨体は蟻地獄に落ちた蟻の如く少しずつ闇の中に落ちるように消滅していく。
「グォォォォォォォォ……」
最後は何かにしがみつくかの様に闇の中から伸ばした片手だけが宙を彷徨い、力なく吸い込まれて大鬼は消え去った。
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