第十話 天神組
勇次は一人で札之町の繁華街に居た。
日が落ちて通りには誰の姿もない。そんな中でも営業している居酒屋らしき店があり、赤提灯がその軒先で淋しげに揺れていた。
勇次は少し一人になりたいと思い、かすみたちと共に居た旅籠をこっそりと抜け出したのだった。かすみを一人にしないでくれとお願いされたが、道玄と海道が共に居るはずだから、願いを違えたわけではないだろうと考えていた。
場末の寂れた飲み屋街で酔い潰れ、明け方、ゴミ箱を引っ繰り返して餌を探すカラスたちを追い払いながらフラフラと家を目指す。仕事明けで顔の髭が青々としてきたオカマに「勇ちゃん、今から一緒にどぉ?」と気色の悪い声で誘われて「偽乳ヤローが、髭くらい剃ってから出直して来やがれ」とケツを蹴り上げ、その勢いで傍にあった飲み屋が店先に出してあった空便を派手に倒してすっ転んで地べたに座り込む。その界隈の飲み屋は全部顔馴染みで「勇ちゃん、また飲み過ぎたんでしょ、しっかりしなさい」とそこら中のママがパジャマ姿で顔を出してきて、勇次を介抱する――。
勇次はそんな暮らしが嫌いではなかった。何処に行っても知ってる人間ばかりで良くしてくれた。そんな記憶が勇次を夜の繁華街に誘った。
――あいつら今頃、どーしてんのかねぇ……。
暖簾をくぐり店に入る。
「いらっしゃい」
店内は狭く、カウンター席だけで十席程。一番奥の席に寡黙そうな四十歳程の男性が一人。二つ席を開けて、外出禁令なんかクソ喰らえと言わんばかりのやんちゃそうな若者が二人居て、大きな声であの店の女は可愛いとかやりてぇとか下らないことを言い合ってる。
勇次は一番手前の席に座ると、メニューらしきものを探すがなにもない。
「酒、何がある?」と女将に聞く。
「何って、燗か冷しかないよ」と素っ気ない。
カウンターの中には女将しかいない。見た目は三十半ばといったところで、気の強そうな顔立ちの綺麗ないい女だった。髪はセミロングで器用に纏めてあり、そこに差し込んだ藤の花を模した簪がよく似合っていた。
――久しぶりに大人の女を見た気がするな……。
「で、兄さん、何にするんだい?」
「そうだな。じゃ冷で頼む」
出された枡には波々と注がれた冷酒。それを煽るように、クッと一気に飲み干す。
――ふぅ……。あんまり旨い酒じゃねぇが、久しぶりに飲む酒はうめぇな。
「もう一杯頼む」
そう言うと、女将が徳利から枡に波々と酒を注いでくれる。
「あんた、ここいらじゃ見かけない顔だね。変な格好してるしさ。なにモンだい?」
「俺か? 俺は……そうだな、旅をしてるんだ。何処に行けばいいのか判んねぇけど」
「何処に行くか判らないだって? ハハハ。面白いこと言うねぇ。ま、外は危ないしゆっくりしておいきよ」
女将は少し微笑んで、一番奥に腰掛けてる男性の元へ行く。
――なるほどな、あのオッサンの女ってわけかい。何処の世界でも似たようなもんなんだな……。
ふと、煙草が吸いたいと思った勇次は、癖でポケットを探る。
――あぁ、そうか、煙草……ないんだった。酒を飲んだせいか妙に煙草を吸いたくなったな、ちょっと訊いてみるか……。
「女将、すまねぇ、煙草ねぇかい?」
すると、カウンターの奥から女将が煙草盆と煙管一式を持ってきてくれる。
「私が使ってるので良かったら吸いなよ」
それだけ言い残し、また女将は奥へ戻っていく。
勇次は煙管を使ったことは無かったが道玄がやってるのを見ていて、凡そどうしたらいいのかは知っていた。煙草盆から刻み煙草を一つまみして、煙管の小さな火皿に詰める。それを火種に近づけ息を吸うと、チリチリと音がして、煙がすぅーっと身体に入ってくる。
――おぉ、意外に旨いな。普段は煙草を吸わなくても気にならなくなったが、酒の時にはこいつはアリだ……。
そうして、二度三度と煙草を燻らせる。勇次は少し満たされた気分になり、更に酒を飲み、煙管を愛撫した。
突然――。
「うるせぇよ、あんなクソ売女何処がいいんだよ、ふざけんじゃねぇ!」
「ハァ? テメェもう一回言ってみろ、ぶっ殺すぞ!」
若い二人が喧嘩を始めたようだった。
いい気分になっていた勇次は、その思いを台無しにされて――キレた。
「おい、テメェら! ガキがギャーギャーうるせぇんだよ、喧嘩するなら表でやれ! それ以上はしゃいだらただじゃ済まさねぇぞ!」
「へぇ、オッサン。デカい口叩くねぇ。オレたち誰だと思ってんのー? なぁ、太助」
「そうそう、オレら、天神組のモンなんだけどよ、判ってんの? あァ? たたじゃ済まさないってどーしてくれるんですかねぇー? ヒャッヒャッヒャ」
「ちょっとお兄さん、コイツらに関わらない方がいいって。ほっときなよ。天神組と関わると面倒な事になるよ」
女将が心配そうに勇次に声を掛ける。
「あんらたも、この人旅の人だって言うし、勘弁してあげなよ。組のことなんて知らないんだからさァ……」
「うっせぇ、ババァ、すっこんでろ!」
太助と呼ばれてた若い男が枡を女将に投げつける。
――ガシャーン……
太助の投げた枡は、女将には当たらなかったが、その代わり棚に置いてあった陶器の徳利を壊した。
それを見た勇次はスクッと立ち上がり、太助の元まで近付くと行き成り顔面を殴りつけた。太助は吹っ飛び狭い店の壁にしこたま身体を打ち付けて一発で気絶する。それを見たもう一人の男が、勇次の後頭部に徳利を叩きつけた。
――ガシャーン!
自分の頭が熱くなり、視界が赤く染まっていくのが判った勇次は、ゆっくりと振り返り、そいつの鳩尾を目掛けて蹴り込む。「グハっ」と声を漏らし前屈みなると、そいつの頭を両手で掴んで鼻っ柱に膝蹴りをくれてやる。鼻の骨を砕かれた男はダラダラと鼻血を垂らしながら「クソが……」と勇次を睨みつける。勇次はカウンターにあった別の徳利を手にすると、そのままその男の頭に叩きつけた。
――ガシャーン!
徳利は木っ端微塵に砕け散り、その男はその場に崩れ落ちた。
「……兄さん凄い血が出てるけど大丈夫かい……?」
「あぁ、こんなのかすり傷。それよりあちこち壊して悪かったな。弁償させて貰うよ」
「イヤ、そんな事はいいよ。それより手当しないと――」
「気にしないでくれ。こいつら店の外に放り出して、俺も宿に帰る。済まねぇな、迷惑を掛けた」
――――――――――――
「勇ちゃん、この怪我どうしたのですか? 急に姿が見えなくなったのでかすみは凄く凄く心配したのです!」
かすみが涙目になりながら、勇次に治癒の呪術を施している。
「それがな――ちょいと女風呂を覗こうと思ってたら、転んじまって、頭ぶつけて気を失ってたみたいだ。済まねぇ」
「女風呂じゃと! 何故わしを誘わんのじゃ! そんな事するから怪我するんじゃぞ。罰当たりめ!」
「女風呂なんて覗いて何が楽しいのやら、拙僧には一向に解せませぬなぁ……」
「そんな無理しなくても、かすみはいつでも見せてあげるのです。今度覗きたくなったら言って下さい!」
「かすみ、その時はわしも一緒にいいかの?」道玄がすっかり鼻の下を伸ばす。
「だめです! 私は勇ちゃんの妻なのです! だから勇ちゃんだけ見ていいのです!」
――――――――――――
その日の深夜。
「――で、勇次、何処に行って居った?」
夜空には綺麗な月が出ている。
道玄は旅籠の出窓に背凭れて、煙管を燻らせながら勇次に訊ねる。かすみは隣の部屋で寝息を立てていた。
「酒と煙草の匂いがしたぞ。かすみはまだそういったことには疎いからバレてないだろうがのぅ」
「そうかい」
「女の匂いはせなんだから、何も言わなんだが」
道玄がゆっくりと吐き出した煙は月に霞が掛かるように揺蕩う。
「一人で飲んでみたくなっただけだ。そこで変なのに絡まれて、ちょっとな……」
「ちょっととは如何様な?」
海道が勇次の大怪我を思い返して心配そうに訊ねる。
「天神組とかいうチンピラと喧嘩になった」
「あぁ……天神組ですか」海道は妙に納得したような顔をしている。
「知ってんのかい?」
「札之町を取り仕切ってる、質の悪いヤクザだと聞いたことが御座います」
「確かにガラはかなり悪かったな」
「可成りあくどい事をしており、弱い町人たちを散々食い物にしてると聞き及びました……」
「昼間会った……えっと、長谷山さんって、そういうの取り締まってるんじゃねぇのかい?」
「左様なのですが、手口が巧妙で簡単に尻尾を掴ませないと、以前御会いした折、口惜しそうに申しておりました」
「そうかい……。俺は弱い者いじめする奴が大嫌いなんだよなァ――」
勇次の目が細くなる。
「わしも好かん。どうじゃ勇次。――潰すか?」
道玄が珍しく憤りをみせる。
「道玄和尚……。潰すとはまた物騒な」
海道が驚いたような表情で道玄を見る。
「どうせ唯の穀潰しどもじゃろ。そんな輩は何の役にも立たぬでな。海道よ、明日火付盗賊改方所に行って、天神組の情報を貰ってくるのじゃ。討伐者が退治してくれると言って仔細を尋ねれば、幾らでも協力してくれよう」
「畏まりました。では、明日行って参りまする」
「それとな、勇次……」
道玄が少し改まったような声で静かに言う。
「なんだい?」
煙管を灰落しにコンと当て、一度フッと空拭きして、勇次を見る。
「もう少し、かすみを構ってやれ。まだ十二なんじゃぞ。お主が居らぬ時、どれ程健気に頑張って居るか……」
「……そうだな。ここの所少し寂しがらせたかもしれねぇ……。判ったよじいさん」
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