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第八話 帰還

 目の前で真っ白のワンピースを着て、白く小さな帽子を被り、白く短いフリルのついた靴下に白のパンプスを履いたかすみが笑いながら手を振っている。


「かすみ、その格好、まるで俺が居た世界の服装じゃねぇか……。どうして?」

「えへへ。こういうの似合いますか?」

「あァ、似合うが、少しおかしな気分だ」

「そうなのですか? 勇ちゃん喜ぶかと思って……」

「俺はどんな格好してようが気にしねぇけどな」

「……勇ちゃん、元気ないのですか?」

「かすみ……、俺はなんだか疲れてるみてぇだ」

「どうしたのですか?」

「俺はこの世界に自分の居場所なんてないんじゃねぇかと……よく判んねぇけど」

「かすみは勇ちゃんに会えてとても嬉しいのです」

「そう言ってもらえんのは嬉しいけどな……」

「きっと他のみんなも、かすみと同じなのです!」

「それなら良いんだけどよ」

「かすみはそう思ってますよ!」

「だが……」

「大丈夫です。かすみはいつまでの勇ちゃんと一緒にいますから、安心して下さい。他に誰も居なくなっても、みんな敵になっても、かすみはずっとずっと勇ちゃんの味方なのです!」


 勇次はハッとして目が覚めた――どうやら気づかないうちに眠っていたようだった。


 道玄たちが本堂に籠もってから三度目の朝が来ていた。三日三晩道玄の呪術転移の儀は行われていた。

 勇次はその間、ただ只管ひたすらじっと待っていた。待っている間、ずっとこちらの世界に来て起きた出来事を回想していた。楽しいと感じることは特に無かったが、辛いとか悲しいと思うことも無く、ただ驚くことばかりの連続だった。


 春真っ盛りの点鉱寺の境内は、温んだ春風が優しく吹いており、満開の桜が咲き乱れ、淡く薄紅色をしたその花の中で黄緑色のうぐいすが時折甲高い声で鳴いている。穏やかな春の日常が勇次の存在に構うこと無くそこに横たわり、悠久の時を刻む。


 勇次は所在無さげに縁側に腰を掛けて後ろ手を突き、晴れた空を見上げる。雲一つ無い青い空でつがい雲雀ひばりがじゃれ合うように宙を舞っている。「ふぅ……」と息を吐き目を下げると、境内にある小さな池の縁に咲いている菖蒲あやめが映る。その紫色をした、大きくも小さくもない可憐な花は、そっと撫でるように通り過ぎる春風に揺れていた。


「そういや俺、花粉症だったのになァ。ここに来てから全くなんもでねぇ。それだけはここに来て良かった」


 フフフと何故か笑い出す勇次――。

 極道の世界に居た頃は常に気を張って生きていたし、寝る時でさえ安心して眠ることは殆どなかった。それが今はかすみたちに支えられて生きていて、こんな穏やかに晴れた空の下で舞い散る桜の花を見ながら、安閑として過ごしている。それは以前の暮らしでは有り得ないことだった。

 今居る世界では自分の存在は異質で部外者だ――と、知らず識らずの内に心の何処かで孤独を感じ、周りの人間と一線を画していた事に、この三日間一人になって考える時間が出来たことに因って気づいたのだった。


「誰か一人でも俺を見ててくれる人が居るんなら、その人のために頑張ってみるのも悪くねぇかもな――。ちゃんと戻ってこいよ、かすみ、海道」


 ――ちゃんとみんな無事に戻してくれよ、観音菩薩様ァ……。そして……、俺をこの世界と巡り合わせてくれた事に感謝するぜ……。


 心のなかで手を合わせる勇次だった。


 

 一瞬春風が強く吹き、桜の花びらが大きく空に舞い上がり、勇次は目に埃が飛び込むのを防ぐように片手で目を押さえ頭を下げる。



「勇ちゃん! 勇ちゃん!!」


 かすみの声で振り返る。


「おぉ、かすみ! 無事に戻ったか! 良かった良かった。海道もいるじゃねぇか。無事に終わったんだな」


 かすみの後ろに立つ海道、そして道玄。だが様子が少し変である。


「あ? どうしたんだ? 皆、鳩が豆鉄砲を食ったような顔して……?」


 かすみが勇次の元に駆け寄っ来て抱きつく。どうやら泣いているようだ。

 勇次はかすみの頭を撫でながら訊ねる。


「どうした? 何で泣いてる?」


「だって……だってぇぇぇ……ひっく……ひっく……」


「どうした? 儀式、痛かったのか?」


「ううん……ひっくひっく」


 どういう理由か、かすみは勇次に抱きついたまま泣き続けている。


「じゃ、どうしたんだ、かすみ……」


 勇次は顔を見上げて、道玄を不思議そうに見る。


「……勇次。何も判らんのか?」


「何もってどういう事だい? 俺は三日三晩、ここでずっと、あの何とかの儀ってのが終わるのを待ってたんだぜ」


「それは真か? うーむ……」道玄は腕を組んで何かを考えている様子。


「海道も無事に戻ったんだな。良かったな」と勇次が笑いかける。


「有難う御座いまする。しかし、勇次殿……」海道も同様に何かに納得できない様子だった。


「一体ぇ、どうなってんだ? かすみも海道も無事に還ってきてるじゃねぇか! それなのにみんなどうしたんだい? かすみはずっと泣いてるし」


 勇次は周りの状況が理解できず、泣き続けているかすみの背中をぽんぽんと叩きながら、小首を傾げて訝しい顔をして道玄を見る。


「お主、本当に判ってないんじゃな」


「何が?」


「勇次、お主は先程、三日三晩、そこでわしらを待ち続けて居ったと言ったのぅ」


「あぁ、待ったさ。暇すぎて色々考えちまった」


「ふむ。実はのぅ……、呪術転移の儀はわしらが本堂に行って、明け方には無事に終わったのじゃ」


「なんだってぇ!?」勇次は驚愕する。


「かすみが勇次に皆無事だったと知らせると言って本堂を飛び出して行き、暫くして『勇次が居ない』と泣きながら戻ってきてのぅ」


「はぁ? 何ワケの判らねぇ事言ってんだ? 俺はずっとここに……」


「それが三日前の話なんじゃぞ」


「なんだと!?」


「わしらはどれだけお主を探したか……。かすみはずっと泣いて居ったし」


「そうだったのか……。そりゃなんてぇか……俺もよく判んねぇが、何だかすまねぇ事しちまったなぁ、かすみ……」


 勇次の泣いているかすみを見る申し訳無さそうな表情を見て、道玄は「ふむ……」と言って思考し始める。


「――恐らくじゃが……、お主は観音菩薩様に別の世界に連れて行かれたのではないか?」


 道玄は勇次が本当に事態を理解していないことを知り、この不可思議な状況を合理的に解釈するために全員が納得の行く答えを考えた。


「別世界に……?」


「お主、どこか心に闇でも抱えて居ったのではないのか? それを不憫に思った観音菩薩様が道を示してくれたのではないか?」


 道玄が勇次を見て、そのあと目を閉じ手を合わせて空に向かって祈りながら大きな息を一つ吐いた。


「――あぁ、そう言われれば……」


 勇次は先程まで自分が考えていたことを思い返し、納得したように何度も小さく頷く。


「もう勝手に居なくなったりしないで下さい! お願いします!」


 かすみが泣きはらした目で一度勇次を見た後、再びしがみつく。


「あぁ……。判ったぜ、かすみ」


「……ということはじゃ、お主の方こそ無事に還ってきたということじゃのぅ?」


 道玄が珍しく破顔して勇次を見る。


「確かにそうだな……。そっか……。心配掛けたな、かすみ――」


 勇次に抱きついて泣いたまま離れようとしないかすみの頭を何度も撫でた。


「――それから、じいさんも、海道も……。みんな、ただいま」

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