第七話 お風呂、お風呂
式神どもを始末した勇次らは、札之町を目指して畦道を進んでいた。辺りは一面に生い茂った茅が道端にまで溢れ出ていて邪魔になる。
茅は葉に油分を多く含み耐水性が高いため、この世界でも屋根を葺くのに使われていて、瓦屋根との割合は五分五分だった。多くの村では、集落周辺を茅場にして、建材や籠などの日用品を作るための材料として確保するようにしていた。
「痛い!」かすみが急にそう言いながらしゃがみ込む。
「どうした?」と勇次が心配して訊ねると、道端の茅の葉で可愛いらしい足を切り、僅かに出血している。
「だから言ったろ? 危ない所行くんだからそれなりの服装にしろって」
「はい。ごめんなさいです……」かすみはすっかり悄気げて俯いている。
「その程度なら唾でも付けときゃ直ぐに治るだろ。気をつけて歩かなきゃだめだぞ」
「はい……」
「勇次、そんなに怒らなくても良いじゃろ。かすみは女の子なんじゃから、おしゃれをしたい気持ちは如何なる事よりも優先するのじゃ。お主、全然女心が判って居らんの。のぅ、かすみ」
道玄がかすみの頭を撫でながら「大丈夫かのぅ?」と言いつつ、わしがかすみの唯一の味方だと言わんばかりに勇次を責めた目で見上げる。
「うるせぇ、ロリコン坊主。少女愛好家が判ったような事抜かしてんじゃねぇ」
「ろ、ロリコンはともかく、し、少女愛好家とはなんじゃ! けしからん!」
道玄は既にウリになりつつある『地団駄を踏む』攻撃を発動した。
「……そこにキレる程の違いがあんのかい?」
――そんな会話をしながら旅路を進めているうち、周囲は夜の帳が降りてきそうな頃合いになってくる。
「そろそろ夜になるのぅ。この辺りで一度点鉱寺へ戻るとするか」
「あぁ、帰来の護符とかってぇのを使うんだな」
「うむ、丁度そこに桜の樹がある。そこを目印にするとしよう。お主らわしに付いて参れ」
道玄は近くにあった満開の桜の樹の下に行くと、懐から一枚の護符を取り出す。
「勇次、かすみ。この樹に手を置くのじゃ」
勇次とかすみが桜の樹に触れると、道玄はその護符を樹に押し付けるようにしながら呪術を詠唱する。
「――我は点鉱寺僧侶道玄也。護符に定めし此の地より帰来の護符にて点鉱寺僧侶海道が元へ移すこと切に願わん。オン・アロリキャ・ソワカ――」
押し付けてた帰来の護符が桜の樹に吸い込まれていき、完全に見えなくなった時、三人の姿はその場から消失した。
「――アァ、生き返った気分だぜぇ――」
勇次は湯船に浸かり溜まった湯をバシャバシャと溢れさせた。
海道の点鉱寺に備え付けられている風呂は、近くに原泉があるらしく温泉であった。しかも風呂場は大人でも十人は楽に入浴できる広さで、用いられている木材は全て檜。その芳しい香りが鼻腔の奥に語りかけるように漂ってくる。
「真・閻魔とかどうでもいいから、ずっとここに居たいねぇ――」
「おぉ、討伐者殿、それは拙僧も願ってないこと。是非そうして頂けば――」
――カコーン!
風呂桶を格子状になっている窓目掛けて投げつけると、外で「あイタっ」と言う声と、ドサッと何かが落ちたような大きな物音がする。
「ったく、男が風呂入ってんの覗いて何が嬉しいんだ……。ホモの気持ちはさっぱり判んねぇ」
突然、風呂の扉が開き誰かが入ってくるのが判った。風呂場の中は湯けむりが立ち込めていて、誰が入ってきたのか判らない。
「おぃ、海道か? 今度は堂々と正面から来たのかよ……」
やれやれと言わんばかりに勇次が再び風呂桶を手にした。
「勇ちゃーん! かすみも一緒に入るのです!」
「かすみだァ? ったく何で一緒に……」
――ザバーン!
勇次が喋り終わる前にかすみは湯船に飛び込んできた。
かすみは一旦頭まで潜るように浸かると、鼻から上だけを出して嬉しそうな、恥ずかしそうな目をして勇次を見ている。
――ブクブクブクブクブク……。
「ちゃんと話せ」
かすみは勇次にそう言われて、ぬっと顔を出し「だって旦那様と一緒に入りたかったのです――」と既に湯に逆上せているかの如く耳まで真っ赤にして言った。
「恥ずかしいなら無理して入って来なくていいだろうが……。ま、湯船はデカイし、混浴温泉だと思えばいいか」
「わーい。勇ちゃんとお風呂、お風呂……」かすみは鼻歌交じりで大きな湯船の中で小さなお尻を突き出して泳ぎ始める。
楽しそうに風呂に入っているかすみを見ていて、小さな娘を持つ父親になったかのような気持ちになった勇次は、「かすみ、頭洗ってやろうか?」と訊ねた。
「本当ですか? はい! お願いするのです」
急いそと湯船から出たかすみは、自前のシャンプーを用意していて「これでお願いします」と手渡してくる。
「お願い、お願いって、気安くぽんぽんと……まァいいけどよ……。椿油配合……? こんなものあんのか……」
勇次はシャンプーを手に取りかすみの頭をゴシゴシと洗い始める。
「あぁ、勇ちゃん上手ですね――。かすみは良い旦那さんの元に嫁ぐことができました!」
「ガキのくせに何言ってんだ。さ、流すぞ」
勇次はお湯を風呂桶に汲むと、かすみの小さな頭に二度三度と掛ける。かすみは頭を下げたままでじっとしている。
「さ、キレイになったぞ、かすみ」
かすみの肩をポンと叩くと力が抜けたように、その場にドサッと倒れ込んでしまう。
「おい、かすみ、どうした? 逆上せたのか?」
小さな肩を掴んで前後に揺さぶっても反応を示さない。不審に思いかすみを抱きかかえ、顔にお湯を少し垂らしてみるが、ぐったりしたままだ。
「おい、かすみ! かすみ!」
頬をパチンと叩いても相変わらず反応がないため、慌てて勇次はかすみの胸に耳を押し当てる。
――ドクンドクン……。
――良かった、死んでるわけじゃないんだな。しかしこれは良くねぇな……。道玄たちに看てもらったほうがいいな――。
――――――――――――
「――これは、呪を掛けられて居るな……。一体何処で……」
道玄が動かないかすみを看た後、腕を組み悩ましそうにしている。
「呪を掛けられてるだァ? それって……呪いとかを掛けられたって事かい?」
「うむ、そうじゃ。しかし原因が判らん」
「今日あった事は、先程道玄和尚より伺いました。なにやら式神どもと戦になったとか」
海道も心配そうにかすみを見ている。
「確かに戦ったが、かすみは戦場には足を踏み入れてねぇぞ。かなり離れた場所にじじぃと居たはずだ」
「そうじゃな。かすみはわしとずっと共に居った。幽鬼結界へも踏み込んで居らん」
「では、何処で呪を掛けられたので御座いましょうや」
かすみは浴衣を着せて寝かせてあるが、勇次がふと足元を見ると茅で切った傷口が紫色に膨れ上がっていて、その中で時折何かが蠢くようにのた打つのが見える。
「おい、じいさん、これ!」
「これか……。あの茅場には式神毒を蒔いて居ったんじゃな。茅で怪我をするとその傷口から毒が入って全身に周り、式神に身体を乗っ取られるんじゃな」
「それで、野犬やクマがあんな風になってたのかい」
「まさに。これは早々に呪を取り払う儀式を行なわんと、かすみは式神に乗っ取られ操られてしまうぞ」
ふと、かすみが目を醒ます。
「ハァ……ハァ……。勇ちゃん……。なんだか身体が熱いのです……。ハァ……ハァ……。かすみは逆上せてしまったみたいなの……です……」
「あぁ、そうだな。いいから大人しくしてろ。直ぐに良くしてやっから」
「ハァ……ハァ……。ありがとうです……」とかすみは力なく微笑む。
「じぃさん、さっさとその儀式とやらやってくれ。かすみが変になったらどうすんだ!」
「判っておる。しかし、これは呪術転移の儀を行なわなければならん。どうする……。勇次は仮にも討伐者じゃし……」
道玄が苦悩の表情で腕を組む。
「道玄和尚様、拙僧が……」海道が眉間に皺を寄せて、何かを決意したような顔になる。
「……しかし、わしとて上手くいくかどうかは五分五分じゃぞ」
「勇次殿は討伐者で在らせられる。道玄和尚は術者として必須。残るは拙僧のみで御座います。それにかすみ殿もまた選ばれしお方……。迷うことなど御座いませぬ。拙僧は道玄和尚を信じております」
「何だか深刻な話みてぇだが、どうした?」
「呪術転移の儀は掛けられた呪を他の者に移して呪を取り払う技。因って呪を移す者が必要で、更に移された者は呪に掛かるか、もしくは死ぬか、助かるか……。それは儀式をやってみんと判らんのじゃ」
道玄は深刻そうな顔をしたまま腕を組んでかすみを見下ろしている。
「そんな危険な事なら俺でやればいい。かすみは何だか凄いんだろ? 星のマークが付いててよ。俺は一度死んだ身だ。もう一回死んでも問題ねぇ」
「どアホ! お主は討伐者じゃろう。こんな所で死なせるわけにはいかん!」
勇次を見ること無く道玄は苦悶の表情を続けている。
「俺は観音菩薩様から、何だか不思議な力を貰ってんだろ。それなら俺は無事だって! 俺でやれって!」
いつになく勇次は冷静さを欠いているように見える。
「気持ちは判るがのぅ、勇次。お主は自分の存在がこの世界にとってどういうものかまだ理解して居らんらしいな――。駄目なものは駄目じゃ。わしと海道を信じてここで待って居れ」
海道が穏やかな顔で訊ねる。
「勇次殿、もし拙僧が無事に戻った暁には、一度共に湯へ浸かって下さらぬか?」
勇次は今までと違う殊勝な態度の海道を見て、その決意の重さをヒシヒシと感じた。
「おうよ、風呂くらい毎晩入ってやるから、ぜってぇ死ぬじゃねぇぞ! ホモ坊主!」
「そのお言葉……、拙僧絶対に死ねませぬな。わははは」
道玄はかすみを抱きかかえて、海道と共に本堂に向かって行った。
ブックマーク、感想、評価、レビューなど、よろしくお願いします!




