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第三話 もう一人のかすみ

 勇次は愛車の古いフォードムスタングを川崎に向かって転がしていた。エンジン音がドコドコと地鳴りのように響く、いわゆるマッスルカーだ。


 車内で森島と酒を酌み交わした夜のことを思い出していた。


「木崎さん、私の娘なんですけどねぇ、もう全然似て無くて死んだ妻にそっくりなんですよぉ。妻が死んだ後、私なんかの面倒を甲斐甲斐しく看てくれましてねぇ。本当に出来た娘で……。うっ……。それが来年の春結婚するって言うんですよぉ。私は嬉しいやら寂しいやらで、もうどうしていいのか判らなくて……。でもあいつだけは、かすみだけは、幸せになって欲しいと心から願ってるんですよぉ……」


「あぁ、そうかいそうかい」


 森島は久しぶりに飲んだ酒のせいか、完全に泥酔状態となり、勇次に娘の事ばかりをずっと話し続けていた。


「娘さんは、かすみって名前なのか。でも嫁に行ったらアンタ一人になっちまうだろ。やっていけんのかい?」


「私一人位、自分で何とか出来ますってぇ……。でも、もし私に何かあったら娘の事よろしくお願いしますよぉ、木崎さん。もうアンタしか私は頼る人が居ないんです。ヒック……。本当にお願いしますよ……」


「あぁ、判った判った。だからそんなに飲むな。借金はとりあえず俺が何とかするから、これから工場立て直して、がんばれや」


「うっ……うっ……。木崎さん、アンタいい人だ。私はアンタに会えて本当に良かった……」


「なんだよ、泣き上戸か? いいオッサンがおいおい泣いてんじゃねぇよ――」



 勇次は森島に娘の事をお願いされていた。名前は森島かすみ、年齢は二十三歳。森島が写真を見せてくれたが、気立ての良い可愛らしい娘だった。

 その子がソープランドに売り飛ばされると成田から聞いた勇次は、何としてもかすみを助けようと組事務所を飛び出したのだ。


 飛鳥組の息の掛かった店は、川崎のソープランド『泡姫の玉手箱』だと以前聞いたことがあった。

 同じ様な風俗店がズラッと並ぶ一画のコインパーキングにムスタングを停めた勇次は、目当ての店を探して淫靡いんびな香りがそこら中に漂う街を歩いた。


「お、あれか……」


 派手なピンク色の看板が電飾で縁取られ、そこに『泡姫の玉手箱』と記された文字が踊っている店を見つけた。

 客として来たわけではないので、店の前に立っている呼び込みに声を掛ける。


「兄さん、ちょっと話があるんだが」


「はい、なんでしょう。うちの店は上玉の可愛い子ばかり取り揃えてますよ! どんな子が好みなんです?」


「いや、客じゃないんだ。ここの支配人、居るかい?」


 勇次がそういうと呼び込みの男性の顔色がサッと変わる。


「どういった要件でしょうか? ……組の方ですか?」


「いや、そうじゃないんだが……」


「スミマセン、ちょっと支配人に取次は出来ませんので……」


「そうかい。でも中には居るんだろ? 勝手に入らせてもらうぜ」


「イヤぁ、それも困ります。お引取り下さい」


 勇次の胸を抑えて入店を阻止しようとする呼び込みの胸倉を掴んだ時、店内から四、五人の男どもが飛び出してきた。


「兄さん、威勢がいいねぇ。ちょっと事務所まで来てもらおうか」


 勇次の周りを男どもが取り囲む。ここで事を荒立てると面倒なことになるが、かすみのことを何とかしないといけない――勇次はどうするか逡巡した。


「おめぇーは、成田の舎弟の……木崎か?」


 そう言いながら更に一人、店内から恰幅のいい如何にも極道ですと言わんばかりの強面の男性が出てきた。


「そういうアンタは?」


「俺は飛鳥組の、神原かんばらってモンだ。おいお前ら、ここはイイから引っ込んでろ」


 神原にそう言われると、男どもは店内に戻っていった。


「さっき、成田から電話があってな。うちの若いもんが店に行くかも知れねぇから、よろしく頼むってな」


「あぁ……そうですかい」


「ちょっとあっちで話そうか――」



 ――――――――――――



 ――勇次と神原は近くの喫茶店に居た。店内にはよく耳にはするが、似たような顔をした女の子を何人も集めたグループの曲が流れている。


「――それで、そのかすみって娘をアンタが身受けするっていうのかい」


「はい。出来るならそうしたいと……」


「その娘、二十三だろ? 明日から出勤で、まだ店には出てないが、これからたっぷり稼げるからなァ。見受け自体は出来なくはないだろうが、その子を見受けするってぇと、相当吹っかけられるぜ?」


「どれくらいっスか?」


 勇次がある程度の覚悟は決めてますと言わんばかりの顔で神原を見る。神原は胸元からマールボロの箱を取り出し、中から煙草を一本抜き取ると、テーブルの上でトントンと煙草の葉を詰め、サファイアが埋め込まれているキラキラしたダンヒルのライターで火を点ける。フーっと煙を吐き出し、コーヒーをグイッと飲むと、カップを皿に戻し、指を一本立てて勇次に言った。


「コレくらいは出せって言われると思うぞ」


「いち……一千万ですか?」


「バカが。一億だ」


「い、一億っスか……」


「だから、諦めろ。悪いことは言わん。別に兄さんの女って訳でもねぇんだろ? 忘れた方がいい――」



 ――――――――――――



 勇次は自宅のベランダで一人酒を飲んでいた。ジャックダニエルを注いだグラスの中に、舞い落ちてきた桜の花びらが浮かぶ。


 ――何とかしてやらねぇとなァ……。


 目の前にある満開の夜桜が、温んだ春風で揺れている。

 桜の花びらごとバーボンを飲み干すとグラスを置いて部屋に戻り、寝室へ向かう。そしてベッドに敷いてあるマットをガサッとひっくり返すと、そこに革製のボストンバッグがあり、そのファスナーを開けると中に拳銃ハジキが入っていた――。


 翌日、店に一般客を装って電話を架け「新人の娘とか居るかい?」と訊ねると、「本日の夜から、新しい子が入りますので、如何ですか」と教えてくれた。店に出ている時間を聞いてから、年格好を訊ねると、森島の娘に違いないと判ったので、その娘を予約をして電話を切った。電話で聞いた出勤時間から逆算すると、店に来るのは多分夜の七時頃。勇次の自宅からあの店まで三十分程の距離だった。

 勇次は拳銃を腰に刺して部屋を出ると、再びあの店に向かった。


 車を走らせながら、成田に電話をかけたが、電話は通じず留守電になった。


「兄貴、俺どうしてもあの娘、助けないとなんで、スミマセン。俺のワガママ許して下さい。今まで有難う御座いました」


 ――もうあの娘をさらうしかねぇ……。



 勇次は、ソープランドの裏手のゴミを収集するための大きなゴミ置き場の影に潜んでいた。

 時計を見ると、六時五十分。時間的には丁度いいはずだ。

 暫くそのまま待機をしていると、黒塗りのアルファードがやって来て店の裏口で停まる。最初にチンピラ風の派手なスカジャンを来た若い男が降りてきて、その後、「いや、いや」と声がして、引っ張り出されるようにして若い女性が出てきた。


 ――あれだな……。


 森島に見せてもらった写真と雰囲気は少し変わっていたが、間違いなく森島の娘だった。

 騒ぎを大きくして自分の組に迷惑が掛かることを案じた勇次は、腰から拳銃を取り出し、最初に店に設置されている監視カメラに狙いを付けた。


 ――パン!


 監視カメラ撃ち抜いて脱兎の如く飛び出した勇次は、スカジャンを着たチンピラに当身を喰らわせる。不意打ちに虚を突かれたチンピラはふっ飛ばされて、店の壁に頭を打ち付けて失神した。そして、そのまま助手席のドアを開け、運転手に向けて「悪ぃな」とだけ言い、眉間と胸に一発づつ弾を撃ち込むと、何が起きたのか判らず、両手で顔を抑えてワナワナとしているかすみの手を取って「来い!」と引っ張る。

 そのまま近くに停めてあった車に乗り込み、隠れ家である横浜の古ぼけた倉庫を目指して出発した。


「とりあえず、ここまでは無事に来れたな……」


「あ、あなたは?」


「俺の事はどうでもいい。あんたの親父さんに娘を頼むって言われたからな。その約束を守っただけだ」


「そうなんですね……。ありがとうございます」


「礼なんかいらねぇ。無事に逃げ切れたらいいけどな――」


 車は横浜の大黒ふ頭近くの、人気のない倉庫の中の前で停まる。


「さ、ここだ。降りな」


 勇次は赤錆が浮かんでいる古い鉄のドアに鍵を差し込み、回そうとした時、既に鍵が開いている事に気がついた。

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