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第二話 夜桜

「どうしたかすみ、もう桜は昼間散々見ただろう」


 満開の桜から舞い落ちる桃色の花びらが、月明かりにほんのりと照らし出されて、穏やかな春風ではらはらと踊っていた。


 かすみは縁側に腰掛けてその様子をじっと見ている。


「そうなのですが、夜桜がとてもキレイなのです」


「夜桜か……」


 勇次は元の世界に居た頃、自宅であるマンションの近くの公園に一本の大きな桜の樹があった。その桜の張り出した枝葉が勇次の部屋のバルコニーにまで達していて、そこに座って一人で夜桜を見ながら酒を飲むのが好きだった。その時に感じる安らぎは、女を抱いた時の様でもあり、母親に抱かれていた時の様でもあり、いつも自分を雁字搦めに縛り付ける日常から心を開放出来る僅かな時間でもあった、


 一つの後悔を除いては――。


 それは、まだ勇次が極道の世界に入ったばかりの頃。

 借金を取り立てて来いと命じられた勇次と兄貴分だった成田一樹なりたいつきは、街外れの古びた町工場に出向いた。如何にも潰れそうなその町工場の社長である森島もりしまは、数名の社員の給料を払うため、勇次が居た松永組の関係している金融屋から借金をしていた。

 それがここ数ヶ月の間、業績が不振で、金利すら返す事が出来ずにいた。


「勇次、お前はまだどうやったら金が取れるか判ってねぇから、オレのやり方を見てろ」


「はい、兄貴」


「あっちが泣付いて来たり、ごちゃごちゃ喚いても耳貸すんじゃねぇぞ」


「判りました」


 成田は勇次がヤクザにしては優し過ぎると感じていた。しかし、何かを頼むといつも断らず、どんな事でも必ず成し遂げてくるので、根性はあると一目置いていた。だから勇次を可愛がっていたし、勇次も自分にいつも目をかけてくれる成田の事を信頼していた。


「――おい、邪魔するぜ」


 勇次らは町工場の事務所に押しかけた。行き成りヤクザがやって来たので、事務所に一人で居た森島は驚いて立ち上がり、ワナワナと震えながら「ど、どちら様でしょう……?」と言うのが精一杯だった。


「あんたが森島さんかい? オレらは三田金融の使いで来たモンだが、ウチが貸した金とその金利、もう随分返して貰ってないみてぇなんで、それを頂戴しにわざわざこんなとこまで来た、という訳です」


「あぁ、そう、そうですね。スミマセン。あともう少し待っていただけないでしょうか……」


「もう少しってさ、社長さん。もう何ヶ月も金利すら払って貰えてねぇんじゃ、もう待てないって社長に言われましてね」


「そこを何とかなりませ――」


 ――ドガッ!


 成田が事務所にあった椅子を蹴り飛ばす。


「フザけた事言ってんじゃねぇぞ! コラァ! これ以上待てねぇって言ってんだろ! 借金のカタにこの工場の権利書は預かってんだ。もうここから出てって貰うしかねぇな」


「ここは自宅も兼ねてますので、追い出されたら住むところも……」


 ――ガシャーン!


 成田はテーブルの上にあった灰皿を投げつけて、かつては綺麗な花が生けられていたであろう花瓶を無残な形にした。


 ――ヒィ……。


 森島は完全に怯えきってしまい、体中がガタガタと震えていた。


「あ、悪ぃな。花瓶壊しちまった。その分は借金から引いとくわ。幾らだ、それ?」


「あ、あ……。いえ……。大丈夫です……」


「おぅ、そうかい」


「は、はい……」


「んで、いつ出てくよ? 今夜か? 明日か?」


「いえ……。それは……。明日、必ず金利分だけでもお支払いしますので、ま、待っていただけないでしょうか……」


 森島が手を合わせるようにして成田に懇願する。


「ほう……。明日ねぇ……」


「はい。必ず。ですのであと一日だけ待って下さい……」


「オイ勇次、どうするよ?」


 成田が勇次に向かって呆れたような顔をして訊ねる。


「そうスね。明日払うってんなら、それでもいいんじゃ――」


 ――ボコッ!


「うっ……」


 勇次は鳩尾に成田の拳を喰らって一瞬息が止まる。


「ナメた事言ってんじゃねぇぞ、勇次! こいつが明日金なんて払えるワケねぇだろ! チッたぁ考えて物言え!」


「――ス、スミマセン」


「シラけたわ。オレは先帰るから、勇次、お前きっちり金取ってから戻ってこい。金取れるまで帰ってくんじゃねぇぞ!」


 成田はそう言い残し、事務所から出ていった。


「……あの……。勇次さんでしたっけ……? 大丈夫ですか……?」


「あぁ、俺は大丈夫だ。それよりあんたのとこの方がヤバいだろ。本当に明日、金用意できるのかい?」


「スミマセン……あては無いです……」


「そっかぁ……。やべぇなぁ……。兄貴キレると何スっか判んねぇから」


「――もう死ぬしか……」


「あんたが死んだら、保険金でも下りるのかい?」


「いえ、それも全部解約したので、一円も入りません……」


 勇次は成田が蹴飛ばして転がっていた椅子を直し、そこに腰掛けて煙草に火を点けた。


「んじゃ、どーするよ。死に損じゃねぇか。あんた家族も居るんだろ?」


「妻は五年前に死んでしまって……娘が一人おります」


「じゃ、あんたが死んだら娘さんが取り立てにあうぜ?」


「そう……ですよね……」


「で、借金は幾らあんだよ?」と勇次が煙を吐き出しながら訊く。


「借りたのは百万でしたが、今は金利が膨らんで四百五十万だと言われました」


「ま、そんなもんだろうなァ。しかし、弱ったなぁ……。どうする、森島さんよ」


「はぁ……。あのう……?」


「ん?」


「こんなことを言うのは筋違いだと判ってますが……、四百五十万、貸して頂けませんか?」


「ハァ? そんなこと出来るわけねぇだろ!」


「もう、他に頼める人がいないのです! お願いします! 後生です! お願いします!」


 森島は事務所の床に頭を擦り付けながら勇次に頼み込んだ。


「……判った。俺がその金用意する。でも絶対に返せよ。逃げたら地獄の底まで追い込むぞ」


「ほ、本当ですか!? ありがとうございます! この恩は一生忘れません!」


 勇次はその夜、森島を飯に連れていき、酒を飲ませてやった。

 久しぶりに心が休まり安堵した森島は、近い内に結婚することになっているという娘の事などを楽しそうに勇次に話し、ありがとうございましたと何度も何度も頭を下げ帰って行った。



 ――その二ヶ月後、森島は死んだ。自殺したのである。

 勇次に肩代わりをしてもらって一旦は金を返したものの、別の金融屋から再び借金をしていた。そこが質の悪い闇金業者であっという間に追い込まれ、借金のカタに工場の権利書を取られただけではなく、森島自身に保険金を掛けられて――要は殺されたのだ。


 組事務所で、森島が自殺したと報じているニュースをスマホで見た成田が、勇次に向かって訊ねる。


「ナァ勇次。この森島ってぇの、この前お前と取り立てに行ったやつだよな?」


「そうッスね……」


「何であいつ、あの時金返せたんだ? お前が持ってきたけどよ」


「……なんだか、親戚に借りたとか、何とか……」


 勇次が成田の方を見ずに応える。


「そうかい……。おめぇ、馬鹿だな……」


「スミマセン……」


「この闇金って飛鳥組の傘下のとこだろ。えげつねぇよなぁ。工場差し押さえて保険金も取り上げて、娘はソープに沈めるらしいぞ。まだ二十三歳とか聞いたが、ひでェことしやがる」


「マジですかい……」


「あぁ、飛鳥組のとこにちょいと知り合いが居てな。そいつから聞いた話だから間違いねぇだろ」


 その話を聞いて、勇次はあんなに楽しそうに話していた森島の娘の事を思い出した。


「スミマセン、兄貴。俺ちょっと出てきます」


「何処行くんだ?」


「煙草買ってきます」


「オイ、勇次! てめぇ変な気起こすんじゃんねぇぞ! 判ってんのか、勇次!」

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