ゲームを後ろから見てるだけ
水源さんの「最初期のファンタジーは~」(毎度のことだがタイトルなげーよー)について、否定したいわけじゃない。全く持ってこの通り。見てる方が面白い面もある。その点ゲームを後ろから見てるだけじゃつまらないって、なろう嫌いを代表して良い例えできたな?ってドヤ顔してる人を否定出来てると思う。
そういう人が分かれてる集団がいるってだけの話で後者はなんの説得力もない。お前はそうだろうなってオマソウってやつだと思う。おまそうが集まって1つの集団を形成してるだけ。すべての人が納得できる回答なんて無い。あるのはそういう集団が分かれるだけって話になる。何故そう言わないのか?暗に自分たちが多数派でどマイノリティの特殊癖としてゲームを後ろで見てて楽しむ人を押し込めたいからだ。
ただこれも問題だと思う。別に水源さんが間違ってるわけじゃないが、以前からずっと書いてるが擁護するものもそれなりのもの持ってこないといけないと思ってる。ずばりのものをもってこないと間違った言及を突っ込まれるってややこしい事になる。何度も書くが間違ってるわけじゃない。
頓珍漢な的外れな擁護も大量にあるし、それは害悪でしかない。さっさとつぶした方がいい。そいつは背中から見方を打つ敵よりやっかいな敵だから。水源さんの場合そうじゃない足りないんだ。それはそうなんだけど、なんで相手の土俵に敢えてのらないといけないの?ってなる。
そもそもそんなゲームねーだろ?ってところからスタートしないと。相手が言ってることが根本的に間違ってるんだ。そもそもそんなゲームないから、こんなゲームあったらいいなって見る楽しみは実況とは全く楽しみが違うんだ。サッカー見てて手でもちだすやつがいて、これがゲームとして成立してしまって楽しんで後にラクビーとして定着すると。
ラクビーがないときにはじめてサッカーを見た感情はサッカーを楽しむ感情とは違う。これはかなり矮小化してる。もっとすごい体験だから。ハードもソフトもどっちもなろうの異世界ファンタジーをゲームとして創るのは不可能だから。これはVRMMOが技術的にむつかしいじゃない。
何が違うの?端的に言えば”自由度”が高すぎるんだ。自由度って何?これ勘弁して、ゲームを作る人とかやりこむ人ならわかるから。それはさすがにわかってる人だけに書く。これ説明するのむつかしいんだ。今回これを書こうと思ったのは水源さんのエッセイがあったからじゃない。この言葉を思いついたからで、私はこの話何度も書いてる。でもいざこれだけを扱ったものがあるか?とエッセイを見たら一度もなかった。それで今回この言葉を軸に書こうと思ったから。
実際はもっと違う。もっと一段階深いところに行く。だがその前にドヤ顔してる馬鹿を否定するため書いてる。ドヤ顔する馬鹿は当然この言葉分かるから説明なしに書いている。後水源さんも多分わかるから。もしドヤ顔してる馬鹿が分からないならそのレベルで偉そうに語るなとなる。
こんな自由度の高いゲーム現代のハードとソフトで作れないから。それを後ろから見てる体験してる人この世界にいませんからー。想像力ないんじゃない?ってバカにしてみてる。
何が問題なのか?で何故つまらないのか?って原因を安直に決めてるからになる。悪口いう人の特徴は真摯にどういう点がつまらないんだろうか?って考える人がいないんだ。なるべく早く違いを見つけて思考停止しようと心掛ける。どういうことなんだろうか?と悩む人見たことがない。
大半の人間は何に悩んでるか?自分をいらいらさせるこの感情を早く解消したいってだけなんだ。私は揶揄する人からまともな言及をほとんど見たことがない。同時に擁護もあまりろくなのを見たことがない。どっちも大差ないのは根底が感情論だからだ。どっちも感情を扱うものだが感情について感情に振り回されて考えたらダメなんだ。
さてここで終わるわけじゃない。実はゲームと物語って全く違うメディアの違いってやつがまだ含まれている。ゲームには自由度があり、今のゲームはかなり自由度が低い。理想は現実みたいなゲームか?または現実の面白い部分を抜粋するため敢えて一部手を入れた不自由なゲームになる。
でも自由度がそれでも存在する。物語の結末をコントロールするのがむつかしい。これを制御するのがいろいろテクニックはあるが、1つはフラグだろう。物語とは決まった結果の一本筋に事象を時系列に流していくものになる。カットバックなどの方法はあるが、あくまで意表を突いた例外として、基本はストーリーはヒストリーのラテン語から派生したというのが納得できるものになる。
もう1つはオフゲとオンゲの問題がある。終着点と主人公がそのキーになる。オンゲはすべての人が主人公なんだ。それゆえにオフゲの主人公を英雄にした英雄伝説が書けない。SAOは疑似的にオンゲをオフゲにした物語だと私は書いた。ある意味あれはオンゲの面白さじゃない。キリトとその周りに焦点を当てたオフゲの面白さになる。それはオンゲの一部分の集団を切り取ったものじゃない。
多分その他を切り取っても面白くないんだ。物語としてオフゲの面白さを軸にして構造的にオンゲを無視してオフゲとして作り直してある。キリトの体験は本物のゲーム体験っぽいが、ほかのプレイヤー視点だと多分あんまり見てて楽しい体験じゃない。ラスボスの打倒という終着とキリトという英雄主人公の存在。この面白さはオンゲの面白さじゃないオフゲの面白さなんだ。
後はオフゲにある自由度を排除すればいい。だがそうするとゲームの面白さがなくなってしまう。これは劣化じゃないか?そこが逆に物語として面白くなるように自由度の高いゲームが開発されたようにしてしまう点にある。実質的には物語としてゲームのプレイ感という自由度は削られてしまう。
だが、その変わりこんなの自由度の低い現代のゲームじゃ不可能って流れをふんだんに入れる。これだけだとこんなのそもそもゲームじゃないってなる。そこをうまく錯覚させるようにしてる。自由度の高いゲームの存在をリアリティがあるように見せている。実際悪口いう人が、それを支えてくれている。
ゲームを後ろから見てるだけのものじゃないかと。
そりゃMMORPGに限った話だろう。そうじゃないなろう異世界ものすべてにこの批判は存在する。自由度の高いゲームをやってるようでいて、実際は物語として面白く成立するように見せている。
本来ある、ゲームのアニメ化が失敗することが多いのはゲームはストーリーだけじゃない。この自由度に絡んだプレイ感が面白さを底上げしてるからだ。慣れてくるとわかるのは、このストーリー映像で見たらそんなに面白いものじゃなくない?ってなる。逆に漫画アニメのゲームは土台のストーリーが邪魔をしてつまらなくなるケースも多々ある。
両方の良いところをうまく融合させたのがなろう作品だとなる。実際自由度はないんだけどね…。
1つは実際にこんなゲームがないって点、2つ目はこんな物語と相性の良いゲーム実況もありえないって点。当然これをうまくやれる人とやれない人がいて、ゲームのアニメ化に失敗したような作家もいて上位はそれに成功してるって点。この批判をしてる人がソシャゲのアニメ化を批判してるから笑うんだけどね…。
ある程度目の肥えたアニオタならゲームと物語の違いなんて知ってるわけで、でもそれをなろうのアニメ化になるとゲームにたとえたとき関係してると思えないんだ。何故?感情論だから多分ずっと気が付けないと思う。最初にまともに考えようとなんて思ってないから。