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レストラン Dreamy Droplets

雫がアメリカに去ってから10年後、悠太が運営するレストランでの一コマです。

「うーん! おなか、いーっぱい!」


「はぁ!? 自分、もっと食えるやろ?」


「えー、もう食べられないよぅ・・・・・・ ほら、こーんなにお腹もパーンパンだし!」


「どこがパンパンや。まだパンパンちゅうよりフニフニやないかー」


「え! ちょっとやめて! つままないで・・・・・・! だからわたし、これから痩せるんだもん!」


「ほな、300 グラム追加な? 悠太はーん!」


「だめ! お腹破裂しちゃう! もうデザートにしよう? ・・・・・・ってやめてっ! つままないで! くすぐったいからーっ!」


奥のテーブルで、可菜と春佳がおなじみのやりとりを始めた。毎週金曜日の夕方は二人が来るので騒がしい。春佳はなんだかんだ言いながら、お腹いっぱいと言い出してからも 1 kg ちょっとはペロリと食べる。本当に満腹なのは口数が少なくなったときだ。可菜の方もそれはよく分かっているようで、いつも春佳が残した分は可菜がちゃんと食べ切って、春佳に肩を貸しつつ帰って行く。


落ち着いた深緑のチェックスカートと、主張しすぎない黄金の装飾刺繍が胸元に光るブレザー。着ている制服が同じであること以外に共通点を探す方が難しい二人は、一年前の開店時から毎週欠かさず通ってくる常連客だった。某歌劇場の男役が似合いそうなスラッとした可菜と、可菜より頭一つ小さな「ふにっ」という効果音の似合う春佳。どこでどうして「ご学友」になるのかは分からないが、人は自分の持っていないものに惹かれ合うのかもしれない。


春佳が椅子に座ったまま、背中を反らせ、強調するようにお腹へ手を当てる。入店時は余裕で閉まっていた金ボタンがピンと張り詰めており、確かにちょっとした膨らみが見える。机の上には二人が食べた沢山の大皿小皿。達成感が分かるよう敢えて使用した皿を下げないのがこの店のスタイルだった。


レストラン Dreamy Droplets ――たった一人で切り盛りする裏路地の小さな店だが、最近は知る人ぞ知る名店として雑誌に紹介されることも増えた。小学生の頃から料理研究に勤しみ、中学卒業と同時に各界の名店で修行した湯本悠太シェフが世に放つ、低カロリーの絶品創作料理――雑誌のあおり文句は未だに恥ずかしいが、昨今の大食いダイエットブームに乗って店の経営は順調である。アメリカのセレブ界で大食いダイエットが大ブームとなってから5年あまり、日本にも大食いダイエット専門店が続々開店していたが、まだまだ需要が供給を上回っている。


アメリカで活躍する料理研究家の Ms. Yumemi が、料理の食べ過ぎで肥えてしまった愛娘を減量させるべく、ダイエットメニューの開発を始めたのが今からちょうど10年前。人間が吸収できるカロリーには限りがある一方、消化吸収には食べた分だけエネルギーを使うので大量に食べればむしろ痩せる――そんな眉唾な話が大ブームになったのは、愛娘のダイエット本やビデオが出版されたからだ。


胸もお尻も太腿も脂肪でプックリとはち切れそうな 83 kg の小学生が、毎晩 20 kg 近い量の料理を平らげ、次第にスレンダーになっていく――そんな馬鹿なと誰もが思ったが、時間の経過とともに同様の手法でダイエットに成功した人々の体験談が積み重ねられ、信憑性は上がっていった。消化に使うカロリーが吸収するカロリーを上回るように大量の食事を摂取するという Ms. Yumemi の開発したメソッドは、愛娘の名前に因み "Shizuku 式" と呼ばれていた。


本来の Shizuku式では、低カロリーのメニューで大食いの練習を始め、食べる量の増加に伴ってメニューの自由度を高めていく。Ms. Yumemi の計算式によれば、煮物や焼き物・汁物を中心とし、ご飯に専用のこんにゃく米を混ぜ込んだ和食なら、1食 9 kg 食べることで消化と吸収が釣り合い、毎食 9 kg 以上食べれば次第に痩せることができるのだそうだ。パンや炒め物だって、毎食 18 kg 以上食べる人なら太らないし、ケーキや揚げ物だって毎食 27 kg 以上食べる人なら太らないとのこと。


実際には、そんな量を食べる方が通常のダイエットやトレーニングより遥かに大変なので、本気で痩せようとしてShizuku式のレストランに来る人はほとんどいない。低カロリーで美味しい料理をたくさん食べて、ストレスを発散したい人が主な顧客だ。焼きたてのおからバーグ 300 グラムにアボガドと特製ソースを添え、春佳の机に持って行く。


「悠太さん! ちょっとこの人に言ってあげて! 私もうこーんなに食べたのに、この人まだ私に食べさせようとするの!」


「せやかて限界ちゃうやろ?」


「限界ですっ! もう私、これ以上食べたらおなかパンパンで破裂ちゃいそうですっ!」


「ほな行こか? デザートもまだやけど。悠太はん、今週の限定デザートは?」


「ホワイトハニーと青リンゴのジュレに・・・・・・」


「そのデザートはっ・・・・・・食べたいけどっ・・・・・・!」


「これ以上食べたらおなかパンパンで破裂する、んやろ?」


「・・・・・・もーっ! 可菜の意地悪っ・・・・・・そうだ・・・・・・悠太さん、はどう思う? 私のおなか、もうこんなにパンパンだけど・・・・・・まだ食べても大丈夫だと思う? 思わないよね?」


少し上目遣いの、キラキラした目線。全然顔立ちは違うのに、一瞬あの頃のことを思い出してしまった。あの頃の雫さんも、同じようにキラキラした目で、こちらを見ていた。「こんなにパンパンだから、もう止めようよ」といくら止めても「まだ・・・・・・大丈夫・・・・・・私のおなかの限界は・・・・・・私が一番分かってるし・・・・・・あともうちょっと・・・・・・今日なら入りそうだから・・・・・・」と詰め込むのをやめようとはしなかった・・・・・・


「ほら、お皿もこーんなに山になってるしっ! 去年の10倍くらいは食べてるもん! 身長だってそんなに高くないしさ? もう止めてデザートにした方がいいよね?」


確かにテーブルの上には、お皿が15枚ほど山積みになっている。概算にして5キロぐらい食べているだろうか。去年の今ごろ、大食いダイエットを始めた頃の春佳は「牛丼並盛りを完食するのが精一杯」と言っていたから、確かに去年の10倍以上は食べているだろう。150 cm 足らずな女の子の胴体に、驚異的な量の食べ物が既に納まっていることは疑いない。しかし出会った頃の雫さんは、140 cmにも満たない華奢な痩せぎすの身体で、今の春佳の倍近い量を食べていたのだ。ほとんど皮下脂肪のない、薄っぺらに伸ばされた真っ白な皮膚のすぐ裏に、ギッチギチに食べ物が詰まった胃袋のシルエットを浮かび上がらせながら、それでもママの料理を残すまいと気力だけで口を動かし続けていた・・・・・・


「たしかにまだ私、ちょっと表面はフニフニしてるように見えるかもしれないけど、胃はパンパンに張ってるの! 分かる? 胃袋がパンパンに張って苦しいのが実感できちゃうんだよ・・・・・・」


春佳がブレザーのボタンを外し、薄黄色のドレスシャツが描く弧を強調した。ふんわり柔らかそうな下腹のお肉が、しっかりスカートの上に乗っている。胃袋が張って苦しい感覚は分かる。初めて雫さんの家に呼ばれて食べ過ぎた日、お腹が破裂しそうに痛くなって、意識を失ったこともある。雫さんが急に転校してしまってからは、雫さんの気持ちに少しでも近づいてみたくて、大量の料理を作っては胃袋に詰め込んでみた時期もある。背も伸びた今は試作料理を 10 kg くらいなら食べられるが、あの頃の雫さんには遠く及ばない。転校する直前の夏休み、ずっと胃袋をパンパンにし続けた雫さんのお腹は、厚い皮下脂肪の裏にも胃袋の形がはっきり感じられるほど特徴的な膨らみを示し、汗でぐっしょりと貼り付いた白エプロンの生地の裏には浮き上がった無数の血管と肉割れの線が見えていた・・・・・・


「ねえ悠太さん! 私もう、デザートにした方がいいよね?」


名前を呼ばれて、現在に引き戻される。


「そればかりは・・・・・・ご自身でご判断いただくしか・・・・・・」


正直、食べられるとは思うが、大食いは基本、自己責任である。何かが起きてしまったときに、店のせいにされても困る・・・・・・そんなことを考えている自分は、小ずるいのだろう。料理を作る人がいるから、料理を食べる人がいる。料理を喜んで作る人がいなければ、食べる必要のないことだってある。あの夏休み、どうしてストップをかけてやれなかったのか。どうして料理作りを、止めなかったのか。ママの料理を既に食べ切れるようになっていた雫さんに、あんなに必死で食べ続ける必要はなかったのではないかと今にして思う。思えば「いつも料理を全部任せちゃってごめんね」と謝る雫さんに、「料理するのが好きだ」と答えた気がする。「どんな人を素敵だと思うか」という質問に、「美味しそうに食べている人は素敵だと思う」と答えた気がする。「将来の夢は何か」と訊かれて「雫さんのママみたいな料理研究家になれたらいいな」と答えた気がする。雫さんはいつも誰かのために、料理を笑顔で食べようとする人だった。どんなにお腹がいっぱいでも、いつもキラキラ輝く目で皿を見て、的確な味のフィードバックをくれた。無理をさせていたのかもしれない・・・・・・いや、きっと無理をさせ続けてしまっていたに違いない。自分が雫さんにあれほど食べさせなければ、雫さんは転校する必要もなかったのではないだろうか・・・・・・


「や、止めましょう! デザートにしましょう。こちらはのバーグはお下げしますので・・・・・・」


「あーあ、悠太はん困っとるやないかー」


「いえ、そうではなく・・・・・・これはしず・・・・・・春佳さんの身を案じて・・・・・・」


「ほな、そのバーグはどうなんねん?」


「こちらは適切に廃棄いたしますので・・・・・・」


「そうかー、廃棄されんのかー、せっかくの悠太はんの料理がー」


「食べます食べます! 食べますよー、勿体ないですもん! ただ・・・・・・」


「ただ?」


「デザートも食べますからねっ!」

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。もう少しで完結の予定です。

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